タクティクスオウガ『二人のランスロット』について | Delightful-Point

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とある男の生き様と知恵を記録しています。

私の思春期において、

人生に影響を与えたゲームとして、

挙げることができるのは、

トルネコの大冒険タクティクスオウガです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トルネコの大冒険からは、

 

『有事に備えよ(危機管理)』

『どんな危機的状況に陥っても、

 切り抜けられる可能性を

 否定してはならない(問題解決能力)』

 

といったことを教えられました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは、タクティクスオウガはどうでしょう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしは、タクティクスオウガからは、

 

『人間という生き物の業の深さ』

『人間の汚い部分と綺麗な部分』

『選択した結果がハッピーエンドとは限らない』

 

といった点を教わりました。

宗教戦争や民族紛争、

政治イデオロギーといった価値観が存在するということも

この作品を通じてなんとなく把握しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこで今回は、名シナリオ

 

『二人のランスロット』

 

について、触れたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まずは先入観無しで、

こちらのムービーをご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、以下スクリプトです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

聖騎士ランスロット
「……日増しに高まる民衆の不満を抑えきれないようだな……?」


暗黒騎士ランスロット
「所詮、バクラム人は

 我々とは違い劣等民族だからな。
 彼らには少々荷が重すぎたということだ」


聖騎士ランスロット
「力で人を縛り付ける、

 そうしたローディスのやり方に問題がある、
 …そうは思わないのか?」


暗黒騎士ランスロット
「縛り付けた覚えなどないな。
 彼らは力で支配されることを望んだのだ


聖騎士ランスロット
「望んだだと?」


暗黒騎士ランスロット
「そうだ……世の中を見渡してみろ。
 どれだけの人間が自分だけの判断で

 物事を成し遂げるというのだ?
 自らの手を汚し、リスクを背負い、

 そして自分の足だけで歩いていく……
 そんな奴がどれだけ

 この世の中にいるというのだ?」

聖騎士ランスロット
「…………」


暗黒騎士ランスロット
「……貴公らの革命を思い出してみよ。
 貴公らが血を流し、

 命を懸けて守った民はどうだ?
 自分の身を安全な場所におきながら

 勝手なことばかり

 言っていたのではないのか?」

聖騎士ランスロット
「彼らは自分の生活を維持するだけで

 精一杯だったのだ……」

暗黒騎士ランスロット
「いや、違う。被害者でいるほうが楽なのだ。
 弱者だから不平を言うのではない。
 不満をこぼしたいからこそ

 弱者の立場に身を置くのだ。
 彼らは望んで『弱者』になるのだよ


聖騎士ランスロット
「ばかな……

 人には自分の人生を決定する権利がある。
 自由があるのだ!」


暗黒騎士ランスロット
わからぬか!

 本当の自由とは

 誰かに与えてもらうものではない。
 自分で勝ち取るものだ。

 しかし民は自分以外にそれを求める。
 自分では何もしないくせに

 権利だけは主張する。
 救世主の登場を今か、今かと

 待っているくせに、

 自分がその救世主になろうとはしない。
 それが民だっ!」


聖騎士ランスロット
「人はそこまで怠惰な動物じゃない。
 ただ、我々ほど強くないだけだ」


暗黒騎士ランスロット
「……聖騎士よ、貴公は純粋すぎる。
 民に自分の夢を求めてはならない。
 支配者は与えるだけでよい」


聖騎士ランスロット
「何を与えるというのだ?」


暗黒騎士ランスロット
支配されるという

 特権をだっ!

聖騎士ランスロット
「ばかなことを!」


暗黒騎士ランスロット
人は生まれながらにして

 深い業を背負った生き物だ。
 幸せという快楽の為に

 他人を平気で犠牲にする……
 より楽な生活を望み、そのためなら

 人を殺すことだっていとわない。
 しかし、そうした者でも

 罪悪感を感じることはできる。
 彼らは思う……

 これは自分のせいじゃない。
 世の中のせいだ、と」
「ならば、

 我々が乱れた世を正そうではないか。
 秩序ある世界にしてやろう。
 快楽をむさぼることしかできぬ愚民には

 ふさわしい役目を与えてやろう。
 すべては我々が管理するのだ!


聖騎士ランスロット
「意にそぐわぬものを虐げることが

 管理なのか!」

暗黒騎士ランスロット
「虐げているのではない。
 我々は病におかされたこの世界から

 その病因を取り除こうとしているにすぎん。
 他組織に影響を及ぼす前に

 悪質なガン細胞は

 排除されねばならぬのだ!」

聖騎士ランスロット
「身体に自浄作用が備わっているように心にもそれを正そうという働きはある!」


暗黒騎士ランスロット
「それを待つというのか?
 ふふふ……貴公は人という動物を

 信用しすぎている。
 民はより力のある方へ、

 より安全なほうへ身を寄せるものだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以上。

引用でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうです?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんか、

黒ランスの言う一言一言が

ゾクゾクしませんか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このタクティクスオウガという作品は、

1995年の作品です。

つまり、

インターネットが一般公開

される前の作品です。

にも関わらず、

ここまで人間の本質を描いたシナリオを

見事に再現したこの作品は、

滅茶苦茶完成度が高く、

神がかっていると言える出来です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時このゲームを初プレイしたおれは

中学校2~3年でした。

まさに思春期真っ盛り。

そんな時にこのシナリオを見せられ、

あまた考えさせられ・・・

「己を棄てろ・・・

大義のための礎となれ・・・!」

とかいうプランシー父さんに感化されて

この先進む道を決めたりと。

私の人生を語る上で、

なくてはならないゲーム、

それがタクティクスオウガです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

話を戻しましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この『二人のランスロット』というシナリオ、

学生時代初めて見た際は、

「白ランスカッコイイ・・・//////」

と、

当時純真な心ながら、

そう思ってました。

 

 

 

 

しかし、

私もやがて大人になり、

社会の荒波に揉まれ、

ただ首を縦に振っているだけでは

世の中渡っていけないことを悟り、

くたびれた社会人になってしまった今、

改めてこのシナリオを見ると、

黒ランスが語っていることが

人間の本質であるということに気付きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サービス業をしていて、

こちらがサービスを提供します。

すると、そのサービスは質が悪いと

クレームが飛んできます。

こちらがいくらサービスの質を向上させても、

大勢のなかに数人、文句を言う客が必ずおります。

正直、キリがありません。

その時、

黒ランスのこの言葉が

脳裏を過ります。

 

 

 

 

暗黒騎士ランスロット

「自分の身を安全な場所におきながら

 勝手なことばかり

 言っていたのではないのか?」
弱者だから不平を言うのではない。
 不満をこぼしたいからこそ

 弱者の立場に身を置くのだ。
 彼らは望んで『弱者』になるのだよ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ソーシャルネットワーキングサイト「X」では、

連日連夜、ネガティブな事件に対する

バッシングや誹謗中傷が目につきます。

自分が関係しない出来事に対して、

ここまで下衆な立ち回りが

できてしまうのか。

あまりにもひどいポストを見ると

そんなことを考えてしまいます。

そこでこの言葉が刺さります・・・・

 

 

 

 

暗黒騎士ランスロット
自分の身を安全な場所におきながら

 勝手なことばかり

 言っていたのではないのか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とある有名人が政界へ進出するために、

政界へ立候補します。

すると、立候補者同士で

ネガティブキャンペーンを実施します。

 

 

立候補者が直接舌戦を繰り広げるなら

まぁ盛り上がってるなという

感想を抱きますが、

外野がギャーギャー言っているのは

正直見るに耐えません。

 

 

 

 

暗黒騎士ランスロット
本当の自由とは

 誰かに与えてもらうものではない。
 自分で勝ち取るものだ。

 しかし民は自分以外にそれを求める。
 自分では何もしないくせに

 権利だけは主張する。
 救世主の登場を今か、今かと

 待っているくせに、

 自分がその救世主になろうとはしない。
 それが民だっ!」

 

 

 

 

この状況は、

悲惨な状況には目もくれず、

ひたすら動画を録画し、

後にバズり・インプレ目的でSNSへアップする人にも

刺さる言葉だと思います。

カメラ回してる時間があったら

問題解決のために

動くべきですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また、一時の快楽のために

平気で他人を不幸に陥れる

不倫なんかにも、

この言葉の引用が刺さります。

 

 

 

 

暗黒騎士ランスロット
人は生まれながらにして

 深い業を背負った生き物だ。
 幸せという快楽の為に

 他人を平気で犠牲にする……
 より楽な生活を望み、そのためなら

 人を殺すことだっていとわない。
 しかし、そうした者でも

 罪悪感を感じることはできる。
 彼らは思う……

 これは自分のせいじゃない。
 世の中のせいだ、と」

 

 

 

 

幸せという快楽のために

他人を平気で犠牲にする。

素晴らしい言葉です。

刺さる人、

結構いるんじゃないですかね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

白ランスが理想を語ろうとすると、

黒ランスが現実で反駁します。

このやりとりが滅茶苦茶面白く、

現実世界においても、

結構当てはまる構図があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは私の経験談ですが。

世の中には、

自分の出世のために、

他人を利用して成り上がろうとする人がいます。

マンパワーもないのに、

仕事をこなせる知識もないのに、

自分のキャパシティを遥かに超える量の仕事量を

要求される場合があります。

その時に、

『無理なものは無理』

と断る能力がなければ、

人間を壊されてしまいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実際に

死にそうな目に遭ってから

このシナリオを見ると、

すごく考えさせられるものが

あります。

弱者と強者、

救世主と民衆、

人間という動物の

卑しさや下衆さ、

理想と現実の乖離・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昔見た視点とはまた違った評価で

見ることができますので、

みなさまも久し振りに

一目ご覧になってみてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は保守的な考えの人間なので、

救世主になどならなくても良いと考えています。

でも、折角血を吐きながらお仕事頑張っているのであれば、

出世したいなぁという欲はあります。

黒ランスさんに怒られない程度に、

今後一生懸命人生を歩んでいきたいなぁと思います。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暗黒騎士ランスロット
わからぬか!