『ケータイが縛る生活』 | 「今」のもう1つ上へ。 ~ひとまず脱・無気力へ~

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テーマは「今」の自分よりも1つ、そしてその自分よりまた1つ、と成長すること。そのための日々の記録、思ったこと、あとは普通に日記とかを書いていきます。

さっき新聞読んでいたら、ちょっと面白い記事がありました。



『ケータイが縛る生活』というタイトルです。




今の子どもたちがケータイに依存しているというか、生活が縛られている、といった内容です。

(この記事の中では主に中学生が取り上げられていますが、小学生でもそうなのかもしれません。)




彼らは、多くて1日メールを300件、少なくても50件、そして返信は即座にする、らしいです。

「無視した」と思われないために、即返信するようです。

そして風呂やトイレでもケータイを手放さない、と。



似たようなニュースは何度か聞いたことがありますが。





まぁ、多分それはもう少し大人になれば意識は変わってくるんじゃないですかね?


俺は、たまたま暇で携帯が手元にあって、すぐ返信できるときは返信します。

手が空いてない時は、携帯なんか意識もしてませんし、返せるときに返します。

必ずすぐに返せるわけじゃないっていうのはわかる前提で。


そういうのがわかってくるのは、みんなバラバラになったころなんじゃないですかね?


でも、俺は最低でも1日以内には返すようにしますね。

もちろん、1日以上携帯に触れられないほど忙しいことがまだないから。


海外出張とか、山の中とか、入院とか、そういうのは別にして、

だいたいの人は、1日に全く携帯を見ないことはないと思います。

そういう意識で1日以上連絡が取れないときには心配になるので、

俺はそうならないように心がけているということです。






この記事で、特に面白かったのは、




「修学旅行でケータイのない生活になり、むしろホッとした表情を見せる子もいる。」




と言うところですね。




俺が中学生のころは、

「携帯を持っているやつは修学旅行に持って行きたくてたまらない」といった感じだったので。


多分それほど依存している人もいなかったと思いますが、

「持っていることがステータス」みたいな雰囲気があったんでしょうね。






そんな俺は、

小5の時にくじで当たったのをきっかけに携帯を持ち始めました。

当時は一番近い友達が家の都合で携帯を持たされていたというくらいでしたので、

電話帳にも自宅のその友達しか登録していませんでした。


そして、小さい白黒液晶、ストレート型のスタイル、単音メロディ、Eメール機能なし、

しかも、当時のJ-PHONEは我が家でも電波が1本しかたたないといった感じでした。

(親が使っていたドコモは3本立っていました。)


なので、ほとんど使ってなんかいませんでした。



中学のころには、Eメール機能がついた携帯に変え、パソコンを持つ友達や携帯を持つ友達が増えたので、

メールをよくするようにはなりました。

それでも依存とは言えないくらいだったと思います。


一度は、ただ単にメールと言う機能を使うことにハマって、楽しいなと思っていたことがあり、

何かの自己紹介では「趣味はメール」と書いたことがあったような覚えがありますが・・・。