1リットルの涙といのちのハードル
1リットルの涙といのちのハードルを図書館で借りてきてイッキに読んだ。
今回、娘から「1リットルの涙」と言う言葉が出た時は驚いた。
逆に言えば、命の重さを教えるチャンスだと思った。
しかし、本を読めと言ってもおそらく半分も読まないうちに飽きてしまうかもしれない
だから、ドラマのDVDを見せた。
泣きながら見ていた… 作戦は成功である。
娘なりに、考えることもあったのであろう
この2冊の本にも興味が出てきたみたいで
「読んでみる」と言っていた。
オイラとこの2冊の本との出会いは、もう15年も前であろう。
命の重さを教えてもらった。
木藤亜也さんとオイラは同世代である。
亜也さんが、リハビリをしていた時期にオイラも足の怪我をして
リハビリをしていたときである。
オイラは車椅子での生活が、1ヶ月ほど続いて
「街というのは、なんと障害者に優しくないのであろう」
と、感じていたときでもある。
亜也さんから比べればオイラのリハビリなんてたいしたことない
それでも、辛いし、痛いし… 車椅子では動くのは大変だし…
でも、リハビリに行くと頑張ってる障害者の人たちがいっぱいいる。
オイラの数倍は頑張っているのが見てわかる。
それからは障害者の人たちにオイラは「頑張って」とは言えなくなった
今、凄くがんばっている人にさらに「頑張って」とはとても言えない。
自分を見つめなおし、なんて自分が小さいのだろうと感じた時期でもある。
娘に、「車椅子の人が困っていたら?」と聞かれた。
もちろん、手を貸すのは当たり前である。
車椅子の経験者はしっいると思うけど
ちょっとした段差で、止まってしまう場合がある
それを後ろから、前輪を上げて段差を乗り越えてもらうだけでも
オイラの場合はありがたかった。
そして、行く方向が同じであれば
「後ろから、押してよい?」と聞いてみる。
決して「押してあげる」と言い方ではなく「押してよい?」である。
車椅子の人が行く所まで付き合うのではなく
自分の行く方向が同じで、自分の負担にならない程度。
ちょっとだけでも手を差し伸べることが大事なんだと思う。
木藤亜也さんの言葉に
「何で病気は私を選んだの?」
「私は何のために生きているの?」と言う言葉がある。
その時は、わからなかったかもしれないけど
今なら判る人はたくさんいるはず。
木藤亜也さん、あなたはすばらしい文献を残しました。
その文献が、ベストセラーになり、映画になり、ドラマになりました。
そして、その本を読んだ人、映画を見た人、ドラマを見た人の心を揺さぶったはずです。
「いのちのハードル」の中に、読者からの手紙でこんな言葉を見つけました。
"私は、障害者をみるたびに指をさしたり、笑ったりしていました
これからは絶対にしません。ごめんなさい"
こういう人たちを、一人でも少なくすることができていると思います。
立派に、人のためになるような生き方をしている
木藤亜也さんがお亡くなりになって20年たちます。
20年たった今でも娘は、ドラマを見て、映画を見て心を揺さぶられています。
そういう作品を残したあなたは偉大です。
木藤亜也様の冥福をお祈りします。