昭和23年~24年生まれと言えば、第二次世界大戦後に起こった
ベビーブーム(1947年~1949年)の真っ只中。戦争の終結に安どした人達、戦地から復員してきた人達、まず行ったのは食べること、住む家を見つけること、将来の夢を子供にかけることだった。この時期は世界的に見ても人口の増加が見られた。
まだ幼いころ、両親が「この子たちが大人になるころ、また兵隊に採られて戦争にゆくのかねぇ~」との会話が耳に残っている。子供心に戦争に行くんだと思った。幸いにして、それから日本は戦争をしていないが、この頃の世界の情勢を鑑みると「孫が大人になるころ・・・・・・・」と心配せざる負えない昨今である。
ベビーブームの私たちは何しろ人数が多かった。墨田区立二葉小学校(亀沢4町会、石原4町会、横網2町会のブロック)は一学年が5クラス、1クラスが55名で、全校で1,600名以上の生徒がひしめいていた。現在が全校生徒645名なので2.5倍の人数だ。そして親たちは教育熱心(私の親父の口癖が「頭で来い。腕力で来い」だった)。なので受験も競争率が高い。就職も競争率が高い。結婚も競争率が高い。でも、一生懸命やりさえすれば何とか生きてこられた時代だ。
考え方も今とは違って、女性も結婚適齢期などというものがあって、27~8歳でちょっとおそいかなぁ~・・・、30歳過ぎたら行き遅れ、なんて言われた時代だから私も何とか結婚ができたが、今の時代じゃ結婚できたか解ったもんじゃない。
昭和という時代はとても良かった(ちょっとノスタルジックかなぁ)。
ゴジラの映画(1954年公開)映画館は満員で後ろの方で親父に肩車されて見た。それが5歳の時、今でもその怖さを覚えている。
初めて見た洋画が有楽町にあった有楽座。中学一年生の時で、チャールトン・ヘストン。ソフィア・ローレン出演の「エル・シド」日本映画しか見ていなかった私はそのスケールの大きさに度肝を抜かれてすっかり洋画ファンになってしまった。
最近リメイクされている「ウエスト・サイド物語」もナタリー・ウッドとリチャード・ベイマーで初めて見たミュージカル。
初めて飲んだコカ・コーラには驚かされた。今まで三ツ矢サイダーしか飲んだことのない私には衝撃的な味だった。いまだに冷蔵庫の中からコーラがなくなったことがない。
音楽もそうだ。これは音楽には入らないが、親父が蓄音機で聞いていた広沢虎造の「清水次郎長伝」古今亭志ん生の「火炎太鼓」、歌謡曲では藤山一郎の「丘を越えて」、東海林太郎の「名月赤城山」、音丸の「船頭可愛いや」等々、78回転のSP盤レコードを聴いていた。その後45回転のシングル盤、33回転のLP盤と進化してCD盤になって、今やネットからのダインロードと変わってしまった。音楽も色々なジャンルを経験できた。色々な変化を目の当たりに経験できた。この変化を目の当たりにした感動は今の子たちは味わえないだろう。
文明の利器もそうだ。自動車も劇的に変わったし、通信手段も、電報、手紙、ダイヤル式電話、電話にしても地方へ掛けるときは交換台を通しての呼び出しだった。今やウルトラマンで見た腕時計式携帯電話で日進月歩で文明が進んでゆく。
彼女の家に電話すると、親父が出て「お前誰だ、娘に何の用だ」なんて脅かされて。これだけは「今の方がいいかなぁ」と思っている。
文通なんてものもやった記憶がある。今どきのように、mailやLineじゃないから直ぐに返事は帰ってこない。この「いじいじ感」が何とも悩ましい。ラブレターも出したが、今思い起こせば良くもまぁ~あんなことが書けたなぁ~と我ながら顔から火の出る思いである。まだ誰かが持っているとしたら直ぐに燃やしてくれぇ~。
色々な物が次から次へと新しく現れて、どんどん吸収されて行く。全てが完成されいなく発展途上だ。だから、昭和という時代はとも良かった。
今、この時代に生まれて生活しなければならない人、これからの時代の人は私たち以上に大変でと思う。頑張ったら何とかなる時代ではなくて、学力か技、発想力と知恵、そして運と人脈、これだけ揃わないとなかなか難しい。つくづく大変だなぁと実感する。
また、この頃思うのは、誰かが選んだものを選ばされているような気がする。食べ物も、誰かの「食べログ」見て「これ美味しかったで~す」と写真と一緒にアップされて、「じゃこれ食べてみようかなぁ」なんて・・・・。
私たちの時代は、腹が減ってたまたま入った古汚い店がうまくて感動したり、「あそこのイチゴ大福旨いぞぉ」と友達から紹介されたり、土産のもらったものが旨くて今度は自分が持って行ったり、となんとなく店と密着していた。自分で選んんだ感がある。自分か中心で自分が良いのだからこれで良いのだ。だから、「蕎麦」は藪蕎麦か尾張屋。「ラーメン」はこむぎや。「とんかつ」は上野井泉か浅草とお山。「ハンバーグ」はモンブラン。「どらやき」はみすず。「カレーパン」はカトレア。といった具合に全部決まっている。頑固と言えば頑固だが、今までに見つけた店はそう簡単には変えられない。店選びに時間を使うのが面倒くさいのだと思うし、好みでないものは食べたくない。それを便利にしたのが「食べログ」なのかな?。情報過多でセレクトするのに時間と労力が必要になるので、簡単に誰かが選んだものを選ぶ。その連鎖なのかも知れない。全てのものがそのような気がする。
ちょっと変なことを思い出した。袋田の瀧に行ったとき蕎麦を食べたことがある。何処も混雑していたが、店が立ち並ぶ道の入り口あたりにあった店で出された蕎麦が「超ぉ~まずかった」この私が一口食べて箸を置いた。10年も前の話だが、テレビで袋田の瀧が出てくると思い出す。これは失敗した話だがそれもまた楽しい。「食べログ」で失敗したよりは十分ましだ。自分のせいに出来るから。
また新入学の時期がやってきた。私の母校(小学校)も4月6日が入学式だ。私の嫌いな歌に「一年生になったら一年生になったなら友達100人できるかなぁ・・・」という歌があるけど、「友達って100人もいるのかなぁ」て思う。友達一人もいなくたっていいじゃない。一人になることを怖がる必要がない。一人で生まれてきた一人で死んでゆく。その時々で人が現れ助けられ助ける。その人との関係が長く続こうが、別れようが、たいした問題じゃない。大事なのはまた会う事が出来るかどうかだと思う。
勉強好き。仕事好き。という人は中には居るだろうが、勉強は、やらなくちゃいけないから好きにならなくちゃ。仕事は、やらなくちゃいけないから好きにならなくちゃ。と思っている人の方が多い。これって結構つらい。こんな人たちばかりだから、学校とか職場は人間関係がきつい。自分の周りに好きなものを置いておける事が出来たらこんな楽しいことはない。
今から4年半前、新しい師と出会った。新しい人達と出会った。同じところを目指す人達と、それを指導してくださる先生だ。色々な年代、色々な業種、色々な地域の人達がいる。でも武道が好で集まっている人達だから人間関係はつらくない。むしろ楽しいし快感だ。好きなものが周りにあって、同じものを好きな人が周りにいる。そんな空間を週2回持つのは頗るストレス解消になる。大切な人、物に出会えればそれだけで幸せと思う。
人は完璧ではないし、物も完ぺきではない。不完全なもの同士が交わるのだから、緩やかで隙間があっておおらかな方がいい。人も少々欠けていても、少々ひび割れていても、気にすることはない。
日本には古来から金継ぎの技法がある。金継ぎは陶磁器の割れやひびの修復の使われる技法で、一度壊れたものを治すだけではなく何とも言えぬ景色を作る。それだけではない修復しなくとも、割れた景色も、ひびの入りも、火ぶくれの窪みさえも景色として楽しむ。そんな文化を持っている我々は何と寛容で懐が広いのだろうか。人も同じで、割れても、ひび割れても、修復してもそれがその人の個性なのだから人に迷惑かけなければ誰が何と言おうと堂々としていればいい。その景色を好きだという人がきっといるし、いなくても「まぁ~」いいじゃない。
いい加減な爺さんのつぶやき

