新学期がスタートしました。
双子の中学校の文化祭や校外学習はいずれも延期が決定し、部活も中止になりました。
仕方ないことではありますが、、、
いい若いもんは、もっと活動的に過ごして欲しいなぁと
、
ちょっとやるせない気分です。
そういえば、我が家の双子のワクチン予約、ようやくとれました。
ワクチン接種が進めば、少しは普通の学校生活が戻るでしょうか…。
そうだといいのですが
。
さて、
今回は、前回予告のとおり、双子が小5本科から日能研に入塾した頃の話を振り返りたいと思います。
本当はもっと早くアップするつもりだったのですが、
結局間が空いちゃいました。
なにしろここのところ、すごく忙しいのです。
通勤電車で途中まで執筆しては途中でストップ、次の出勤日に続きを書く、を繰り返しているうちに、、、ま、瞬く間に日にちがたってしまいました
。
(あのー、あまりご興味はないと思いますが、、、そのうち私の1日のタイムラインも少し公開したいと思っています
。え、つまらないですか?すみません
。)
では、本題です。
入塾の経緯は下記の過去ブログをご覧下さい。
(注) ここから先は最上位のお子様をお持ちの保護者様には全くご参考になりません
。
入塾前、本当に公文の学習しかしていなかった我が家の双子たち。
小2の時、一度だけ受験した『全国統一小学生デスト』の結果もいたって平凡でしたので、日能研の入塾テストの結果もあまり期待していませんでした。
ですので、上から2つ目のクラススタートとなったことは、『ほー、意外とやるねぇ
』という感じで、、、
この頃は親子ともに欲がなく、難関校を狙うなど、雲の上の話だと思っていました。
(そもそもどこが難関校かも詳しく知りませんでした…
。いやー、お恥ずかしい。)
その後の経過は次の通りです。
①入塾直後の公開模試は予め予定していたスキー旅行のため受験せず。
②入塾一ヶ月後位から、二人とも『育成テスト』でクラス3番以内のご褒美ノートを毎回もらえるように…。え、すごくない??という感じで、親はそわそわ…。双子は結果が出て俄然やる気に。
③2回目の4月の公開模試で初めての偏差値がでました。蓋を開けたところ、息子が4教科総合でまさかの58。娘は『まぁそうだろうなー』と納得の50。
④息子、予想外に5月からMクラスへの移動を打診されるも、Aクラスの息子から見たMクラスはさながら超人集団(公開模試のクラス平均の差が、Mクラスと1つ下のクラスでは毎回80点開きがありましたので、無理ないです
)。すっかり怖じ気づいた本人がクラスアップを断固拒否。
⑤息子、5月からも2番目のクラスにステイしたところ、同じ小5スタートで仲良くなった子が先にMクラス入りしてしまい、クラスアップを断ったことを激しく後悔。
⑥息子、6月の公開模試で再び結果をだし、再度クラスアップを打診され、今度は二つ返事で了承。この時、娘も50台後半の偏差値をマークし、まさかの同時クラスアップを打診されることに。
⑦小5の夏期講習から揃ってMクラス入り。
⑧小6本科スタート時Mクラス二十数名が、小6の9月までにクラス落ちで半分近くの人数になるも、二人ともからくも最後までM残留。
大まかに言うと、大体上記のような経過をたどりました。
今後のブログで、もう少しパート毎に振り返りの記事を書きたいと思います
。
親としては双子がもともとの想定を超えて頑張ってくれたので、オロオロしつつ、、、とにかく家族をあげて一緒に走るしかありませんでした。
前にも述べましたが、この頃の我が家は大変情弱で(今は皆様のブログで勉強させていただいているので少しは違います
。なんて
)、全く受験ガチ勢じゃありませんでしたので…。
中受系の勉強0で入塾した新小5が、こんな経過をたどった要因を考えると、ポイントは次の各項目だったかと思います。
①学習習慣が確立しており、勉強にポジティブな感情を持っていたこと。
学ぶことを苦にしませんでした。
②中だるみがなかったこと。
入塾した年は周囲に追いつくのに必死。2年目は受験生でしたので…
。
③四則計算力があったこと。
『高い四則計算力』、これは言わずもがな、公文で培われたものです。小学校の学期ごとの計算力コンテストで、優勝は常に双子のどちらかであり、一度も優勝を他家に渡しませんでした。
④国語が得意だったこと。
入塾直後の公開模試の総合偏差値を50台後半に引き上げてくれたのは、国語だったのです。公文の学習で一番受験に役立ったのは算数ではありません。国語でした。国語は最後まで二人の武器になってくれました。
またすごく長くなってしまいましたので、
今日はこの辺で。
いつも長くてごめんなさい。
この先の目標は、1回の記事を短くすることです
(あ、宣言しちゃった
)
また振り返りを書きますね
。
それでは!
また、近いうちに
(本当かしら…
。)
