もう1月も後半ですが、2019年初めての投稿です。
今年もよろしくお願いいたします。
最近、一年前を思い出すことが多いので、今日はそれを記事にします。
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去年の今頃は、
臨月の大きなお腹を抱えて、
よいしょよいしょと過ごしていました。
妊娠経過は順調で、運動制限もなく、
適度に体を動かしながら、
日常生活を送っていました。
息子の存在をずっと側で感じられることは
本当に幸せで、
お腹の上から撫でたり、
優しくぽんぽんしてみたり、
とても貴重な時を過ごしていました。
ですが、そんな大事な時期に、
私は出産に対して大きな不安を抱えていました。
情けない話ですが、
生まれて初めての手術に怯えていたのです。
その不安はどんどん強くなり、
自分が死んでしまうような恐怖心を覚えるまでなりました。
ただの心配というよりも、
かなり切迫したものでした。
年末に親族で集まった時、
いつもはそんなことはしないのに、
家族で集合写真を撮りました。
もしかしたら、
これが最後になるかもしれない
と思ったからです。
本当に、息子とみんなとの最後の写真になってしまいました。
また、自分がいなくなった後、
見られたら恥ずかしいからと、
昔の日記を処分しました。
今思えば、出産に対する漠然とした不安を
息子に結びつけたくないがために、
自分の方に差し向けていたのだと思います。
胎動が少ない、逆子が治らない、でもお腹の子に何かあるとは絶対に思いたくなかった。
現に、胎動が少ないことを伝えても、
医師は赤ちゃんは元気そうだと言っている。
でも、何故かとんでもなく嫌な予感がする……
息子と一緒にいられる大切な時期に、
こんなことを考えていたのです。
たまたまですが、
手術当日に読んでいた小説は、
平野啓一郎の『葬送』。
なんでこんなタイトルの本を選んだのだろう。
手術室に呼ばれ病室を後にする時、ベッドサイドテーブルの『葬送』が目に入って、不吉だなぁと思いました。
そして手術台に乗る時には、
これがこの世の最後にならなければいいけれど、
なんてとんでもないことを考えました。
何故もっと穏やかな気持ちで過ごすことができなかったのかと、とても後悔しています。
そんな精神状態だったので、
元気に生まれるはずの息子が泣かなかった時、
「私のところにくるはずがあの子のところにきてしまった」と思いました。
それこそ何の根拠もないのですが、
息子が私の身代わりになったように感じたのです。
いまでも、
あの子が私を助けてくれたように思っています。
もうすぐ息子の一歳のお誕生日です。
どんな風に成長したのかな。
やっぱり、切なくなりますね。
今日も読んでくださり、ありがとうございました。