お久しぶりです。
 
 
皆さま、お変わりなくお過ごしでしょうか。
 
 
 
ブログから離れている間にも書きたいことがたくさんありましたが、気持ちが沈んでいたこともあり、なかなか書けずにいました。

 

 

 

実は、3月6日、母方の祖父が亡くなりました。

 
 
今日はそのことについて、お話します。
 長文です。
 
 
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祖父のことは、以前の記事で触れたことがあります。
 
 
祖父は緑内障でほとんど視力を失い、実家近くの施設で車椅子生活をしていました。
 
 
 
 
肝臓ガンの宣告を受けましたが、治療をし病状も落ち着いていました。
 
 
 
そんな中、祖父は1月にインフルエンザにかかりました。
 
 
 
そこから肺炎になり、嚥下機能が低下し、飲まず食わずの状態が続いて、3月6日に心臓が止まってしまいました。
 
 
87歳でした。
男性の平均年齢を考えれば、大往生なのかもしれません。
 
 
ですが、私からするととてもはやく、そして突然に逝ってしまったように思いました。
 
 
というのも、祖父の母(私の曾祖母)は101で大往生し、祖父の父(私の曽祖父)も90を超えていましたから、祖父も90歳までは頑張るのではないかと勝手に考えていました。
 
 
祖父はとても優しい人で、私が幼い頃よく遊んでくれました。
 
 
かくれんぼをしたり、お布団の中でお話をしてくれたり、一緒にお風呂ではしゃいだのをよく覚えています。
 
 
長い滑り台のある公園や、
牧場に連れて行ってくれたこともありました。
 
 
祖父とは、楽しい思い出ばかりでした。
 
 
祖父の家は自宅から車で1時間程でしたが、
帰るときはいつも寂しかったです。
 
 
帰る時、車の窓から振り返ると、
祖父はいつも大きく手を振っていました。
 
 
 
寒い冬でも、雨の日でも、軒先に立ち、いつもの曲がり角で私たちが見えなくなるまで、見送ってくれました。
 
 
 
だんだん小さくなっていく祖父を見て、私たちが帰った後の静かな家に、祖父はひとり残されて、寂しくなってしまうのではないか。
 
 
そう思ったら、幼いながらに胸が痛くて、車の中で静かに泣いてしまいました。
 
 
中学生になってからは、部活やら受験やらで、少しずつ祖父の家から足が遠のいていきました。
 
 
お正月や連休には会いに行きましたが、祖父の田舎は少し退屈に思えたこともありました。
 
 
 
祖父は悲しい思いをしていたのではないでしょうか。
 
 
 
 
5年程前、祖父は足が弱くなり、実家近くの施設に入居しました。
 
 
 
その時に肺ガンで余命4カ月の宣告を受けましたが、祖父は生きることを諦めず「頑張るから」と言い続けました。
 
 
 
4カ月経ち、半年経ち、そして一年以上経っても肺ガンは進行せず、不思議に思っていたところ、肺ガンの診断は誤診であることが発覚しました。
 
 
ですが、緑内障が進行し視野が極度に狭くなり、そして今度は肝臓ガンが見つかりました。
 
 
治療をするか、
そのまま自然にまかせるかを選択するにあたり、
祖父は「生きたいから頑張る」と自ら治療することを選びました。
 
 
治療は成功し、祖父の前向きな気持ちが病気に勝ったのだと思いました。
 
 
 
息子を亡くしたばかりの時、
祖父から電話がかかってきたことがありました。
 
 
 
祖父は息子が亡くなったことを誰からも聞かされていなかったようで、
「赤ちゃんはどうなったのか」と私に聞いてきました。
 
 
「赤ちゃん、亡くなったよ」
その言葉に、祖父はショックを受け言葉を失ったようでした。
 
 
そして、涙声で、私に言いました。
 
 
「生きていればいいことがあるから」
 
 
他の人の言葉なら、そんな適当なことを言わないでと怒ったかもしれません。
 
 
 
でも、この時、有難いのと申し訳ないのと悲しいのとで、色んな感情が溢れてきて、涙が止まりませんでした。
 
 
目も見えず、車いすで、がんの宣告をされた祖父。
自分のことで精一杯なはずなのに。
 


 私の赤ちゃんをとても楽しみにしていてくれていた。
大きなお腹で一緒に食事をしたこともあった。
私の出産を心配し心から応援していてくれた。
 
 
 
 
「生きていれば、いいことがある」という言葉は、祖父の口から言われると特別な重みがあるように感じました。
 
 
 
今年の1月に祖父がインフルエンザにかかり、施設から病院に移ったと聞き、2月に病院にお見舞いに行きました。
 
 
 
その時は、少しずつ流動食をとれるようになっていて、退院できるものと思っていました。
 
 
見舞いに行くことを事前に告げていなかったので、病室に入り枕もとで声をかけた時、県外に住む私がその場にいることが信じられない様子で、驚きながらも嬉しそうに笑っていました。
 
 
病室を後にする際、祖父がなにかもごもご言ったので、私は祖父のところまで引き返して、どうしたのと尋ねました。
 
 
「楽しんで」
声を出しづらそうにしていましたが、
祖父は確かにそう言いました。
 
 
それが、私が祖父から聞いた最後の言葉になってしまいました。
 
 
祖父を失い、
息子の時とはまた違った悲しみを感じています。
 
関係性が濃い分、
娘である母はもっと辛いのでしょう。
 
 
私は親を亡くした悲しみは分かりませんが、
母の気持ちに寄り添えたらと思います。
 
 
 
子供が大好きだった祖父、
息子と仲良く遊んでくれていたら嬉しいです。
 
長くなりましたが、
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。