息子を亡くして何故こんなに辛いのかということを今日はじっくり考えてみました。
辛いと一口に言っても、異なる感情がない交ぜになっています。
息子に会えない寂しさ
自分のせいでという罪悪感
もっと会いに行けばよかったという後悔
信じてあげられなかった心の弱さ
自分のエゴに直面したこと
悲しみの種類や比重はその時々で変化して、
時に寂しさでいっぱいになり、
時に罪悪感でたまらなくなり、
不規則な波ような形でやってきます。
そして、息子の無念を考えるとき、その波はとりわけ大きくなり、私は悲しみに溺れてしまうのです。
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息子はどんなに生きたかったことでしょう。
青くて清々しい空やポカポカした日の光、
花が綺麗に咲いていて、いい匂いがする。
可愛いお洋服に袖を通し、動物のおもちゃで遊び、子守唄を聞いて、おくるみの中でうっとり眠る……
全部、息子が享受するべき世界でした。
全部、あの子のものだったのです。
それをひとつも知ることなく、
一度も病院から出ることなく、
小さな身体で痛みを味わい、
その果てに亡くなってしまった。
なんてひどいだろう。
あんなに可愛いのに、こんな罰みたいなこと。
そう思うと、私はたまらなくなります。
あの子の無念を思うと、苦しくて悲しくて、
真っ黒な海のような絶望感が襲ってきます。
そして、この絶望を一生抱えて生きるなんて、
とても耐えられないと途方に暮れるのです。
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家族は私の心配をしてくれます。
母親であるあなたが一番辛いと。
でも違うのです。
一番辛いのは、私ではなく息子です。
あの子は亡くなり、私は生きています。
私は今生きていて、人生のあらゆる喜びを味わうことができる立場にあります。
悲しくても、美味しいものを食べれば嬉しいし、
苦しくても、花をみれば綺麗だと溜息がでる。
その立場にある私が、生きることを諦める?人生に意味がない?そんなこと言っていいわけがありません。
生きたくても生きれなかった、最後まで一生懸命生きていた息子に顔向けできません。
いい加減な気持ちで生きたら、
息子に申し訳ないと思うのです。
そう考えて、毎日踏ん張って生きています。
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もし私が確固たる信仰を持っていたら、
きっともっと楽になるでしょう。
つまり、魂やあの世というものを、
1ミリも疑いなく信じることができれば、
もっと気持ちは違うはずです。
ですが、私は昔から頭がかたく、
スピリチュアルなものを信じることができません。
信じたい気持ちが強いのですが、
理性がノーというのです![]()
一方で、そういうものがなければ、
悲しみに耐えられないとも思っています。
パスカルは『パンセ』で、
「神がいるかいないかの賭け」について語り、いると賭けた方が合理的だとしています。
それが正しいのかはともかく、
私もそんなスタンスでいこうかと思います。
実際のところ、死後のことは誰も証明できません。
だったら、信じた方が救われるし、
その方が得も多いのだから、
うだうだ言ってないで、
自分の信じたいものを信じようかなと。
魂はある
死後の世界もある
息子はそこで幸せにしている
こちらの思いも受け取ってくれる
理性がノーと言っても、
信じると言い続ければ、
いつか本気で疑いなく「ある」と言える日が
くるかもしれない![]()
だから、私は今日も息子に話しかけます。
「生まれてきてくれてありがとう。
ママはあなたのことが大好きです。
10日間あなたと時間を共にできたのは、
紛れもなくあなたが頑張って生きてくれたおかげです。
あなたをひとりの人として尊敬し、いつまでも愛しています」
どうか、息子に届きますように![]()