強チン?を、境に、理性から、少し

離れ始める。分身への刺激は、彼女へ、

彼には、後ろを、刺激され、きっと

人生で、一番良いセックスライフだった。

 当時、関東近郊の観光地には、かなり

足を運んだ。しかし、何を見て、食べた

等の記憶はない。残っているのは、どこで

どれだけ、交わったか、どんなふうにした

 露出の引き金は、生涯忘れないだろう。

彼女の部屋で、後ろから、抱えて 確認

していた時、扉が、開き彼女の母親が、

立っていた、凝固、目が合う、母親の視線

が、下がる。それを確認したから、?

下腹部が、離れて 爆発

尿管下裂の分身は、それを 飛ばす事が

出来ない。口が、広いホースからは、

水を遠くへ飛ばせないのと同じ

 それは、分身から流れ落ちる 時間に

したら、1-2秒だったろうが、何分にも

感じるながら、そこを脱いだ、ズボンで

隠した。 この時、一番ショックだった

のは、母親だろうが、一番快楽を感じたの

は、わたしだった。

 それ以降、見られる快感を、追い始め

車はともかく、映画館、公共のトイレ

当時多かった 混浴風呂などでも 行うよう

になる。

 その後、新たな欲求が、生まれる。

普通?フェラなど、数回交われば、自然と

行うようになると思いが、1年過ぎでも

一向に彼女はしてこない。それどころか

その行為を否定、拒絶していた。

 その感覚は、彼により教わっているので

どうしてもその行為を 求める必要も

なかった。だだ、確認したいだけ?だった

しかし、これが わたしが、不満を

 感じていってしまう、原因だった。