おお〜、ついに漫画、岩明均作「ヒストリエ」の新刊が3年ぶりに出ましたね!

幸村誠作「ヴィンランドサガ」の新刊も発売も重なったので、嬉しい6月でしたキラキラ

 

紙媒体で購入をしているのは、今はこの2冊だけなので、久しぶりに漫画のインクの臭いを嗅げて幸せ〜

 

 

※ネタバレ注意
 
 
岩明均先生は元から遅筆なようで、高齢になりさらに遅筆になり、
3年かけてやっとこの1冊…
今後、13巻以降もお話しが続くか分からず、エウメネスの活躍が見られるのは
これで終わりかもしれません汗
 
アシスタントを雇わない主義(自身の社会性の欠如のため)らしく、
ペンで緻密に描写するのがもう限界だそうで、今回の12巻は見開きページが目立ちました。

とは言え、効果的に見開きページが使われていたし、見開きである必要性があったと思うので文句はないのですけどね…

 

 

 

↑このような残酷見開きシーンも説得力があった。

心臓を生贄に捧げるマヤの儀礼にも通じる祝祭感。

 

昨今、このような残酷シーンは漫画表現で多いけれど、

岩明均の流血シーンは「寄生獣」のころから、説得力があって恐ろしくなく高潔感さえある。

 

寄生獣のころから、岩明均は、「人間ならざるもの」を描き続けている。

「人間ならざるもの」とは、人間的な感情や思考を持っていない生物のこと。

寄生獣や、人間を超越した存在のアレクサンドロス大王もそう。

 

「ヴィンランドサガ」の幸村誠が、徹底的なヒューマニズムを描くのと対照的。

トルフィンが人間的な感情を身に付けてみんなの幸福のために頑張っているのに対して、

エウメネスは狂気と隣り合わせの基本的に利己的な主人公。

 

岩明均の漫画の主人公はいつも、「人間ならざるもの」と人間のちょうど中間にいる存在。

寄生獣の主人公とヒストリエの主人公はとてもよく似ている。

この主人公像が、岩明均が考える、自分がそうありたい人間像なのだと思う。

 

理性的で、勇気があって、全ての存在にフェアだけれど、最後は犠牲が出ようが自分の本能のままに行動する。

 

 

 

岩明均先生は、ご自身で社会性がないと明言しているので、まあ、おそらくASD傾向があるのだろうなーと思う。

だから、あんなに、「人間ならざるもの」をリアルに描いて、主人公も「人間ならざるもの」に対してフラットな態度を取るのだろう。

 

 

↓このシーンは、岩明均の人間観が出ていて面白かった。

 

 

 
人間的な感情を母によって封じ込めれられた天才アレクサンドロス王子。
その王子を愛さなかったフィリポス父王。
 
そりゃ、本当に自分の子かわからない(設定)し、ちょっとイカれてて気持ち悪いもん。
フィリポス父王はアレクサンドロスを超優秀なので王子として利用するけど、心から愛せない。
そんな打算的なところは人間らしいともいえる。
 
そんなフィリポス父王をみて、「歪な心」と称する、アレクサンドロスの母のオリンピア。
 
オリンピアこそ感情を排し、役割のために生きている存在で、この漫画では「人間ならざるもの」の代表。
 
人間的な立場だけに立っていれば、オリンピアがイカれているだけの描写で終わってしまうのだけれど、
作者は、オリンピア側の立場にも立って、フィリポス王も歪な心と言わせる。
 
そのフラットな視点が、ただの完全懲悪に留まらない、何か生々しくて面白い漫画にしているのだろう。
 
 
岩明均の漫画では、だいたいヒロインは死んでしまい、主人公は一人で新たな旅に出るラスト。
ASD傾向がある私には、このラストも何かしっくりくる。