3月がずっと調子が悪くて家に引き籠りがちになっていたので、

4月は多動力を発揮して、新し仕事を始めたり、いろんな場所に桜を見に行ったりしている。

 

桜は一年に一回、刹那的に開花して散っていく植物なので、その刹那に立ち会わなければいけない!

私はあと桜の開花に20〜30回くらいしか立ち会えない……

とせつなくなって、桜の開花に可能な限り立ち会いたくなります。

 

なので、桜の木の下で一日中酔っ払っての都会の花見の習慣はわりと好きでした。

 

田舎でびっくりしたのは、そこらじゅうに桜の木があふれているので、

満開の桜の木の下で誰も花見をしていない(酔っ払いがいない)ところ!

 

どこに行っても満開の桜の木を独り占めできます。

 

そうなると、こんなに美しさ満開の桜の木に立ち会う人が少なくて、何だか桜の木がもったいない、かわいそう!と貧乏性な私は思ってしまう。

 

でも、それって、私の思いだけで、桜の木からしたら、人間の思いなんて全く関係なく、

ただ、一年のライフスタイルを淡々と繰り返しているだけ…

 

子どもと接する時も、華々しい結果が出た時だけチヤホヤするのではなくて、春も夏も秋も冬もずっと見守って一緒にいるのがよいのだろうなと思う。

田舎は自分ちの庭に桜の木がある場合が多く、秋は大量の落ち葉でそうじが大変

 

田舎の人の桜の木に対する接し方を子育てにも生かしたい。