前述の通り僕はいわゆる毒親、毒祖父母に物心ついた時には日々言葉のサンドバッグにされる日々。

ただ、それがツライとか不幸だとは思わなかった。というか自覚がなかった。

子供は天真爛漫で目の前の事に一喜一憂する。

家庭環境なんてそれがまともじゃなくてもよその家庭がどうかなんて知らないし、その環境が日常だから当たり前。


ただ、やはり深層心理にはきっちりダメージを受けていて本来安息の地であるはずの自宅にいる時はなんだか緊張していて、祖父母、父に会うと何か嫌な事が起こる気がして身構えていた。

当時は好きであったはずの父でも機嫌を伺ってビクついていた。

この状態は大人になっても続いた。

そんな日々は確実にメンタルを削り、緊張する体はスタミナを消費した。


そんな幼い日々、僕は自分でも何故かわからない行動と異変を起こす。

今でも覚えてるが幼稚園の時、アルバムの表紙にする絵を書いた時。

車が走る町並みを書いたら先生に上手だねと褒められた。次の瞬間不思議な感情が湧き上がり、水色のペンで沢山の斜線を書いて「雨!」

と言った。

突然の行動に先生はあっけにとられ「勿体ないなぁ」と言っていた。当時は自分でも分からない衝動で目茶苦茶にしたいと思った。

その豪雨の町並みが表紙のフォトアルバムはまだある。


もう一つ不思議な事。

僕は小3ぐらいまでウンチをもらしてた。

下痢とかじゃなく普通のウンチをパンツ履いたまま出していた。

自分でも分からないけどトイレに行こうと思わない。おしっこはできるのに。

学校でも家でも。

幸い、学校で漏らす事は少なくたまに漏らしても臭うと騒ぎになっても僕だとは思われなかった。

家で漏らすと勿論なじられ笑われ怒られた。

母だけは怒らなかった。今思うとなんとなく原因を察してたんじゃなかろうか。

病院に行っても当時の児童心理学では分からなかったようだ。そもそも心因性とも思われてなかったと記憶する。


現在、いろんな児童心理をカウンセラーさんに聞いたり自分で調べてるうちに分かったが


絵をグチャグチャにしたのは、日頃出来損ない扱いされてるのが心に染み込んでしまい無意識に「僕は出来損ないでなければいけない」

とインプットされ、先生に褒められた事に違和感を感じ絵を台無しにして落ち着いたらしい。


ウンチを漏らしてたのは深層心理にある怒りや悲しみをこうする事で表してたらしい。

多くはおしっこをもらすらしいが頑固な性格だとウンチになる事もあるそうだ。

この症状は言葉で色んな気持ちを表現できるようになってなくなったように思う。


子供は無意識の反応が強くこういう表層心理では自覚できない思いを謎の行動に走らせてしまう。

この後学生時代になっても、優等生だったのに急に勉強意欲がなくなり成績が下から数えるくらいまでさがったり、将来の夢が思いつかなかったり、なんとなく生きたい!というか死にたくないだけ存在を無にできるならしたい。というスタンスになった。

全ては自分に自信が持てず、心のどこかで勉強しても僕に成功はない夢をもっても叶えられない。そもそも存在価値がないと思ってたからだ。

自分の自信を無くさせる人と一緒にいてはいけない。離れられる時は速やかに離れる方が良い。

僕はその事に気づくまで時間がかかり過ぎた。