本作はフェイクドキュメンタリーの体裁をとったコメディ。製作・配給は吉本興業だ。「ラーク」という地元のボランティア・エキストラ団体に所属している、64歳の荻野谷幸三を中心に、エキストラあるあるがユーモラスに描かれていく。

 

ドラマや映画などの背景として欠かせないエキストラ。昔はギャラも出ていたと聞くが、近年では事務所にでも所属していない限り、無料のボランティアだ。長い拘束時間の中でも、ほとんどが待ちであることが多い。待つのがエキストラの仕事だと、よく仲間内では言っている。ようやく出番が来ても、カメラから遠いポジション。長い秒数撮っていたと思っても、実際の使いどころは僅か数秒。カットされることは当たり前。映っていてもピンボケ。そんな状況なので、ほんの一瞬画面に映っただけで自慢する。結局、出番がもらえないことだってある。役者さんに声をかけたり、写真を撮ったりするのはご法度。たまに役者から声を掛けられると、もう有頂天でこれまたみんなに言いふらすことになる。本作の中でも、ある女性エキストラが、寺脇康文に演技を褒められたなどと言っていたが、かなり誇張している。

 

ギャラでも出れば慰みにもなるが、ノーギャラで報われないエキストラを、何故続けるのだろう。役者の演技を目の前で見られることもある。現場の雰囲気が好きだという人、コスプレをして役になり切るのが楽しいという人もいる。人によって続ける理由は様々だ。荻野谷幸三にはどうしてもやりたい役があった。画面に映らなくても、それだけで楽しいのだ。

 

潜入捜査官の件は、如何にも映画的な見え見えのウソなのだが、本職よりもエキストラに嵌ってしまう気持ちはよく分かる。演技レッスンでの、演出家の感性最優先の指導は結構可笑しい。ガモゲドラのチープさもまたご愛敬。松崎しげるは、やらせ過ぎ。

 

大林宣彦監督は語る。エキストラはマエストロ。最大の賛辞であるが、ちょっとこそばゆい。しかし、映画全体を通してみるならば、大林監督の本音かどうかは別にして、やや揶揄感も否めない。エキストラの存在なしには映画は成立しないという、そんな映画人の映画愛が感じられたなら、エキストラとしても嬉しかったのだが…。