監督 ジャック・ヘイリー・ジュニア
音楽監督 ヘンリー・マンシーニ
特別出演 フレッド・アステア  ビング・クロスビー  ジーン・ケリー  ピーター・ローフォード
      ライザ・ミネリ  ドナルド・オコナー  デビー・レイノルズ  ミッキー・ルーニー
      フランク・シナトラ  ジェームズ・スチュアート  エリザベス・テイラー
製作年 1974年
製作国 アメリカ
配給 松竹=富士映画

トーキー黎明期の1929年に作られた「ホリウッド・レビュー」や「ブロードウェイ・メロディー」に始まって、1958年の「恋の手ほどき(1958)」に至るまで、その間に作られた75本のMGMミュージカル作品を中心に構成した作品。製作・監督・構成はジャック・ヘイリー・ジュニア、製作総指揮はダニエル・メルニック、音楽監督はヘンリー・マンシーニ、音楽監修はジェシー・ケイ、編集はバド・フリージェン、スペシャル・キャストはフレッド・アステア、ビング・クロスビー、ジーン・ケリー、ピーター・ローフォード、ライザ・ミネリ、ドナルド・オコンナー、デビー・レイノルズ、ミッキー・ルーニー、フランク・シナトラ、ジェームズ・スチュアート、エリザベス・テイラーなど。(キネマ旬報 全映画作品データベースより抜粋)

ハリウッドのMGMスタジオをバックに、フランク・シナトラが語りかける。1929年「ホリウッド・レビュー」が作られ、後年ジーン・ケリーによって大ヒットとなった「雨に唄えば」が、すでに、ここで歌われていた。そして、それが1932年の「キートンの歌劇王」の中でジミー・デュランテに唄われ、更に1940年の「リトル・ネリー・ケリー」でジュディ・ガーランドに引きつがれ、1952年の「雨に唄えば」の大ヒットにつながっていくのである。こうしてひとつの唄が時代と共に変化していく過程を見せ、シーンを構成していく。超豪華なセットで数千人のエキストラで埋めつくした大作「巨星ジーグフェルド」の圧巻シーン。そしてフレッド・アステアとエレノア・パウエルがコンビを組んで絶妙なタップを見せる「踊るニューヨーク」の一場面。シナトラにバトンタッチされて登場するのはエリザベス・テイラー。自らの若い頃の時代をふりかえりながら、ミュージカルの楽しさを語る。クラーク・ゲーブル。ゲーブルこそハリウッドが生んだ歴史的な大スターだろう。その彼のブロマイドを見ながらうっとりして唄うのは、今は亡き幼い頃のジュディ・ガーランドだ。ガーランドといえば彼女との共演が一番多かったミッキー・ルーニーが思い出される。二人のコンビ作「初恋合戦」「青春一座」「ブロードウェイ」などが次々にバラエティ風に写し出される。アメリカのミュージカルの中で忘れてならない最高のエンタティナーといえばフレッド・アステアだろう。「ダンシング・レディ」ではジョーン・クロフォードと、「バンド・ワゴン」ではシド・チャリースと、そして「恋愛準決勝」で踊りまくる抜群のテクニックにはしばしば時の経過を忘れる。デビー・レイノルズもこの頃デビューした。同じ頃全く別の意味で一世を風靡した特異なスターが誕生した。水着ショーを売りものにしたエスター・ウイリアムズがそれだ。アステアとならんで、もうひとりのエンタティナーといえばジーン・ケリーだろう。「雨に唄えば」の傘をさしながら踊るシーン、フランク・シナトラ、ジュールス・マンシンと組んだ「踊る大紐育」、マンガの主人公トム&ジェリーと踊る楽しい「錨を上げて」などなど。次にライザ・ミネリが登場し、母ジュディ・ガーランドのことを語る。ガーランドはアステアやケリーとならんでハリウッドに一大ミュージカル時代を築きあげた大女優だ。そのヒット作「オズの魔法使」にはじまり「ハーベー・ガールズ」「美人劇場」「サマー・ストック」など、彼女の見事な歌と踊りを次々に披露する。そして、今や世界のポピュラー界の大御所ビング・クロスビーが登場する。彼の初期のヒット作「虹の都へ」から、モナコの王妃となったグレース・ケリーとのラブ・シーンを見せる「上流社会」が写し出される。 (gooより)
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MGM社が創立50周年を記念して1974年に製作した、ミュージカル映画のアンソロジー。日本公開は1975年で、その年のキネマ旬報ベストテンの第六位。200本の作品から厳選されたシーンなので、素晴らしいのは当たり前だろう。

僕は「雨に唄えば」の曲はジーン・ケリーの映画のものだとばかり思っていたが、1929年の初ミュージカル作品『ハリウッド・レビュー』で既に歌われていた。その後も『キートンの歌劇王』『リトル・ネリー・ケリー』でも歌われていて、どうやらMGMのテーマ曲とも言えるようだ。

各作品やミュージカル・スターを紹介していくプレゼンターには、豪華なメンバーが集う。筆頭はフランク・シナトラ。ミュージカルは歌と踊りのある恋愛映画で深みには欠けるが、時代の心情を表していたと語る。ここで紹介されるエレノア・パウエルのタップが素晴らしい。コマかと見紛う程の物凄いスピンである。

エリザベス・テイラーは10歳からMGMスタジオで過ごしてきた。セットと分かっていても、まるでお伽噺の国にいるようだったと振り返る。

ミュージカル全盛期には、役者はみんな歌って踊ることを要求されたようだ。ジェームズ・スチュワートもその一人。ジョーン・クロフォードジーン・ハーロウケイリー・グラントも歌わされた。中には吹替えされた人もいたようだ。クラーク・ゲーブルまで歌っているのには驚いた。この踊っている姿はある意味ハラハラものであった。彼の歌と踊りはともかく、「ディア・ミスター・ゲーブル」という曲をジュディ・ガーランドが歌っている。実在のスターに捧げられた最初の曲。バックに映し出されるゲーブル作品のラブシーンの数々が魅力的だ。当時の観客は元より、若い女優達からも熱い視線を送られていた存在のようだ。

ミッキー・ルーニーも撮影所育ち。17歳で既にベテランであった。ジュディ・ガーランドとのコンビ作品は「裏庭ミュージカル」と呼ばれた。それだけこじんまりした作品ばかりだったのだろう。主役二人の名前が変わるだけで、みんな似たようなパターンのストーリーばかり。何作かダイジェストで見せてくれたが、本当に同じようなことばかりやっていて笑った。作品がヒットする毎に、舞台が裏庭から納屋、体育館からついにはブロードウェイにと大きくなっていったというから、着実に二人とも実力をつけていったということだろう。

ジーン・ケリーは最高のパートナーはフレッド・アステアだったと断言する。一緒に踊っていて気が抜けなかったというのは、やはり負けたくはないというライバル意識からだろうか。二人のタップシーンの数々は、観客の方も気が抜けない。それはどこをとっても素晴らしい瞬間の連続だからだ。お互いにちょっかいを出しながら踊るシーンは、実に見事なタイミングで、感心すると共に笑わせてくれるから凄い。

アステアといえば、ジンジャー・ロジャースの存在も欠かせないだろう。ケリーは更に語る。アステアは天性のエレガンスを持ち合わせているが、大変な努力家でもある。新しいステップをいつも工夫していた。しかし、そんな苦労を観客には見せないところがまた凄いのだ。帽子立てとのダンスのアイディアが素晴らしい。六足の靴と踊ったり、天井や壁を使ってのトリック撮影もお見事。シド・チャリシーとのダンスは優雅でウットリしてしまう。美しくて気品が感じられた。

ドナルド・オコーナーエスター・ウィリアムズを紹介する。彼女は元水泳選手。その特技を活かした水中レビュー映画で活躍した。せり上がる巨大な噴水、滑り台、水上空中ブランコからの飛び込みが華麗だ。光と色と水のスペクタクルのショーは感動的だ。水中から笑顔でリフトされるその姿は鳥肌ものであった。

アステアは逆にジーン・ケリーを語る。『踊る海賊』で会得したアクロバット・ダンスが彼の持ち味だと言う。でかいセットを縦横無尽、上下左右に自由に駆け巡る姿は圧巻だ。彼はスタントは使わず、いつも自分で演じていた。『錨を上げて』ではアニメのねずみ、ジェリーと息の合った踊りを見せてくれた。『踊る大紐育』はケリーとフランク・シナトラの共演。ミュージカルとしては初オールロケの作品であった。

ライザ・ミネリは母、ジュディ・ガーランドを語る。やはり代表作は名作『オズの魔法使』か。そして「虹の彼方に」は、やはり名曲である。

ビング・クロスビーフランク・シナトラグレース・ケリーと共演した『上流社会』を紹介する。『掠奪された七人の花嫁』の男性的な激しい踊りは、まるでアクロバットのようだ。

そしてMGMが選んだ最高の一本。それは『巴里のアメリカ人』だった。

ここに紹介されたのは何れも名場面ばかり。こうなると個々の作品が観たくなるのが映画ファンである。DVD等で観られる作品は、出来るだけ観ておきたいと思う。