1978年から1989年まで。木曜日の夜九時といえば、『ザ・ベストテン』。僕も毎週欠かさず、楽しみにこのランキング方式の歌番組を見ていました。司会は黒柳徹子さんと、当初は久米宏さん。二人の掛け合いも面白かったです。この本は、番組で最初から最後まで、ディレクター、プロデューサーを担当した山田修爾さんの、裏話盛り沢山の思い出話であります。
 
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これまでの歌番組は、全てキャスティング方式。ランキング方式を取り入れたのは『ザ・ベストテン』が初めてでしょう。この当時はアイドル歌手と、ニュー・ミュージック系の歌手が活躍していました。ランキング形式の問題点は、このニュー・ミュージック系の歌手がなかなか出演してくれないこと。順位が発表されてもミラーゲートから誰も登場せず、久米さんが謝る姿をよく見たものでした。しかし、これが返ってランキングに嘘がないことの証しにもなり、視聴率アップに繋がっていたと思います。
 
ベストテンの集計方法は、リクエストのハガキ、レコードの売上、ラジオのランキング、有線放送のランキングの要素の重要性に応じて比率を算出して、その集計した数値を総合的に判断し得点化したもの。とにかくウソをつかないという方針で、組織票を排除する為、ハガキは同じ筆跡のものは除外するという徹底振り。
 
歌手が仕事の都合で遠方にいると、「追いかけます、お出かけならば、どこまでも」と追っかけマンのアナウンサーが活躍して、生中継で繋げていました。中森明菜さんが列車(ホームだったかな)で歌ったり、松田聖子さんが飛行機のタラップを降りて歌ったりと、時間との争いのハラハラした中継を覚えています。岩崎宏美さんは8月6日に広島で「すみれ色の涙」を歌いました。
 
静岡の人間として思い出深いのは、400回記念の時の、日本平からの中継。「雨の西麻布」を歌うとんねるずに、詰めかけたファンが大勢飛びついて大乱闘。衣装はボロボロで、怒った石橋貴明が「お前らサイテー」とこれまた大暴れ。
 
スタジオのセットも豪華なものから、意味不明なものまで様々で、面白かったです。荻野目洋子さんの「六本木純情派」の時、白塗りの男たちが周りで妙な踊りをして訳が分かりませんでした。驚いたのは、山本譲二さんがふんどし姿で「みちのくひとり旅」を歌ったこと。タンスを担いだのは大川栄策さんでしたね。演出ではピンク・レディが「透明人間」の歌の途中で本当に消えてしまうというのもありました。
 
この本の巻末には、全放送603回分のランキング一覧が載っています。
それとは別に第一位ランクイン歌手回数が、本文中で紹介されていました。
 
1位  中森明菜         69回 
2位  チェッカーズ        51回
3位  松田聖子               44回  
4位  光GENJI               40回
4位   近藤真彦            40回
6位  田原俊彦            25回
7位  少年隊              24回
8位  世良公則&ツイスト      18回
9位  工藤静香          14回
10位 サザンオールスターズ  14回
11位  西城秀樹         13回 
12位  安全地帯           12回
12位  沢田研二               12回  
12位  寺尾聰                    12回
16位  クリスタルキング     11回
16位  長渕剛               11回
16位  KUWATABAND      11回
16位  松山千春                  11回