イメージ 1

原題 : The Big Carnival
製作年 : 1951年
製作国 : アメリカ
配給 : 東宝洋画部

カーク・ダグラス  (Charles Tatum) ジャン・スターリング  (Lorraine) 
ボブ・アーサー  (Herbie Cook)     ポーター・ホール  (Jacob Q. Boot) 
フランク・キャディ  (Mr. Federber) 

監督 製作 ビリー・ワイルダー 
脚色 ビリー・ワイルダー  レッサー・サミュエルス  ウォルター・ニューマン 
撮影 チャールズ・ラング 

チャールズ・ブラケットとコンビを組んできたビリー・ワイルダーが、「サンセット大通り」のあとコンビを解消、独立して初めて製作・監督・脚本(共同)を担当した1951年作品。ワイルダーと、レッサー・サミュエルスとウォルター・ニューマンが協力して脚本を書いた。撮影は「旅愁」のチャールズ・ラング、音楽はヒューゴー・フリードホーファの担当。主演は「ガラスの動物園(1950)」のカーク・ダグラスと新進ジャン・スターリング(「武装市街」)で、「旅愁」のボブ・アーサー、「不時着結婚」のポーター・ホール、フランク・キャディ、リチャード・ベネディクトらが助演する。なお本作品は、最初Ace in the Holeと呼ばれていた。

敏腕の新聞記者チャールズ・テイタム(カーク・ダグラス)は、勤務中に大酒を飲むという悪癖で東部の大新聞社から追われ、アルビュカークの小新聞社にしけ込んでいた。しかし、なにか特ダネをつかんで一流新聞に戻ろうと、テイタムは常に機会を狙っていた。そこへ、レオ・ミノザ(リチャード・ベネディクト)という男がインディアンの住居だった崖の洞穴に探検に出かけ、生き埋めになる事件が起きる。テイタムは保安官と共謀してレオの救出をわざと遅らせ、この事件をビッグ・ニュースに作り上げ、自分の名声を高めようとする。事件は忽ち各地に広がり、現場は見物人が押しかけて、カーニヴァルのような騒ぎだった。レオの若い妻ロレイン(ジャン・スターリング)は冷たい女で、見物に来る大勢の人たちにガソリンを売って一儲けしようと計る。  (gooより)

映画『クライマーズ・ハイ』で、堤真一演じる悠木が憧れていたのが、この『地獄の英雄』でカーク・ダグラスが演じていたテイタムだった。今回初めてこの作品を鑑賞したが、何とも凄まじいダークヒーローの姿がそこにあった。

このテイタム、数々の新聞社をクビになっている問題児。地方の新聞社を口説き落として、何とか職にありつくが、いつかは大スクープをものにして、ニューヨークに戻ろうと目論んでいた。そこに降って湧いた、洞窟での落盤事故による、生き埋め事件。テイタムはスクープを独占して、この事故を自分に有利に演出しようと画策を始める。

つい、先日、チリでの落盤事故により、33名が無事救出されたばかり。この時も過熱報道により、救出された人々が、ヒーローに祭り上げられた。テイタムの計画も、そのつもりだったのだろう。悪徳保安官や、生き埋めになっているレオの妻・ロレインを巻き込んで、ことはテイタムの思惑通りに運ぶはずだった。

洞窟に閉じ込められているレオが元気だったので、本来なら一日で救出が可能なのに、ワザと時間のかかる方法を選ぶ。テイタムの書いた新聞での第一報の記事を読んだ人々が、この田舎町に大勢駆け付け、ロレインの店も大繁盛になる。事故現場に通じる道の入り口で入場料を取ったり、カーニバルまでやってくる有様だ。人々は救出作業を、飽きることなく見守っている。

もう60年も前の作品なのに、マスコミの恐ろしさが、これほど明瞭に描かれていようとは思わなかった。そして人間の野次馬根性の醜さ。

新聞やTVで報道されることを、読者や視聴者は、大抵鵜呑みにして信じてしまう。しかし、そこには、ウソではないが、演出が見え隠れしていることに、我々はもういい加減気付くべきだろう。ドキュメンタリーと言っても、そこには必ず製作側の意図があり、同じ映像を使っても、編集ひとつで、どうにでも情報は操作出来る。我々はマスコミに踊らされて、一喜一憂しているのだ。

この映画の中でも、テイタムの新聞記事に乗せられて、大勢の人々が集まってくる。みんな自分たちは危害の加わらない安全な場所にいて、このショーと化した落盤事故の救出作業を楽しんでいる。そこに閉じ込められているレオの苦しみや、テイタムが作業を引き伸ばさせていることも知らずに…。

テイタム以外の登場人物も、ダークな人間が多い。レオの妻のロレインは、実は田舎暮らしに飽き飽きしていて、夫のことはもう愛していない様子だ。これを機会に家を出るつもりだったが、テイタムに唆されて、傷心の妻役を演じることになる。

テイタムに協力する保安官も、自分のことを新聞に書いてもらい、人気取りに躍起になっている。レオのことなど、これっぽっちも心配していない。ペットのヘビをいつも連れて可愛がっているのも、この男の異常性を強調しているようだ。

レオの両親だけが、この映画の中で、唯一、本気で心配している人間だ。ロレインの心変りも知らずに、穴の中で、ひたすら彼女に対する愛情を示すレオが痛々しい。

共感出来ない人間ばかりが登場する作品だが、かなり面白いので弱ってしまう。人間の、綺麗事ばかりでない、ダークサイドを見せつけられるのは、あまりいい気持ちはしないが、それでもこの作品で描かれていることに、目を背ける訳にはいかないだろう。

この作品から60年。マスコミのこの在り方と、それを受け取る人間たちは、何も変わってはいない。