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製作年 1943年  
製作国 日本  
時間 79分  
公開日 1943年3月25日 
監督 黒澤明  
出演 藤田進 大河内伝次郎 月形龍之介 轟夕起子 志村喬 花井蘭子 小杉義男 青山杉作 高堂国典 菅井一郎

明治15年、会津から柔術家を目指し上京してきた青年、姿三四郎は門馬三郎率いる神明活殺流に入門。ところがこの日、門馬らは修道館柔道の矢野正五郎闇討ちを計画していた。近年めきめきと頭角を現し警視庁の武術指南役の座を争っていた修道館柔道を門馬はいまいましく思っていたのだ。ところが多人数で襲撃したにも関わらず、矢野たった一人に神明活殺流は全滅。その様に驚愕した三四郎はすぐさま矢野に弟子入りを志願した。 

やがて月日は流れ、三四郎は修道館門下の中でも最強の柔道家に育っていたが、街に出れば小競り合いからケンカを始めてしまう手の付けられない暴れん坊でもあった。そんな三四郎を師匠の矢野は「人間の道というものを分かっていない」と一喝。反発した三四郎は気概を示そうと庭の池に飛び込み死ぬと豪語するが矢野は取り合わない。兄弟子たちが心配する中意地を張っていた三四郎だが、凍える池の中から見た満月と泥池に咲いた蓮の花の美しさを目の当たりにした時、柔道家として、人間として本当の強さとは何かを悟ったのであった。 

ある日蛇のように異様な殺気を帯びた男が道場を訪ねてきた。良移心当流柔術の達人、檜垣源之助は三四郎の兄弟子を一瞬で倒すほどの実力の持ち主。師匠に稽古止めを言いつけられている三四郎がこの時戦うことは適わなかったが、双方いずれ雌雄を決する日が来るであろう予感を抱く。 

やがて修道館の矢野の元に新しい柔術道場開きの招待状が届く。その場で他流試合を設けたいという誘いであったが、これは暗に神明活殺流の門馬が裏切りと積年の復讐を果たすために三四郎にあてた挑戦状であった。しかし実力を増してきた門馬も既に三四郎の敵ではなく、三四郎の必殺投げ技「山嵐」が決まった時、門馬は壁に頭をぶつけ死んでしまった。試合とはいえ他人を死なせてしまったこと、その場にいて悲劇を目撃してしまった門馬の娘の悲痛な目が脳裏から離れず、三四郎は柔道を続ける意義を見失ってしまう。 

黒澤明、記念すべき第一回監督作品だ。
一作目ではあるが、そこは後々まで世界の映画史に名を残す監督だけあって娯楽作品として、とても面白い。

腕は確かだが、人間的にはまだまだ未熟者の姿三四郎(藤田進)が、様々な敵と闘いながら、人間的にも成長していく物語であると同時に、古くからある柔術と、新しい勢力柔道との対立の構図でもある。

黒澤明監督は、この映画の中での7つの格闘場面を、それぞれ違うバリエーションで描くことを心がけたという。その成果は見事に表れていて、観ているものを飽きさせない。ただ、残念なことに、そのうち一つの闘いの場面は、カットされたまま、フィルムが見つからず、もう観ることが出来ない。僕が録画しておいたBSの放送でも、その部分はストーリーを字幕で入れてることで、話を繋いでいた。

戦意喪失している姿三四郎が、気合いを入れ直す為に師匠に何度も投げられるシーンで、物語的にもとても重要なポイントだと思うのに、かなり残念だ。その場面は僕の貧しい想像力で補うしかない。

闘いの場面では、やはりラストの二つが最大の見せ場だろう。

村井半助(志村喬)との長い勝負のシーンは、100カット近くある(黒澤監督談)。息詰まる闘いの合間には、ユーモラスなシーンも交えて、ちょっと一休み、肩の力を抜いて緊張緩和させてくれるのも有り難い。三四郎の必殺技・山嵐対ベテラン・半助の、意地を賭けた闘いは、どちらが勝利しても拍手を送りたくなる。

そして、クライマックスは、因縁の檜垣源之助(月形龍之介)との野試合。ロケ地は箱根の千石原。すすきでも有名な場所だ。ここでの風が凄まじい。空を飛ぶような雲の流れは、コマ撮りだろうが、超高速に見える。最後の闘いに相応しい荒涼とした風景は、目を見張るものがある。名場面だろう。

名場面と言えば有名な、三四郎が蓮の池で、杭に掴まっているシーン。ここでの蓮の花はモノクロでもとても美しく感じられる。ただ、どうしてもピンとこなかったのは、何故、三四郎が蓮の花を見て、池から揚がる気になったのか、というところだ。悟りでも開いたのだろうか。

師匠から、「お前は人の道を知らぬ」と言われて、池に飛び込んだ三四郎だが、それと蓮の花が咲いたことと、どう繋げて考えればいいのだろう。ここは池から揚がるきっかけが欲しかった訳だが、やや説得力に欠けるように思えた。

その他にも記憶に残るシーンはたくさんある。

三四郎が理由あって、ゲタを投げ捨てる。このゲタのその後の様子をショットの積み重ねで見せて、時の経過を表現するなど、憎い演出だ。

三四郎と門馬三郎との死闘の後の、門馬の娘のどアップ。長い。これは観客にかなり強烈なインパクトを与える。それはそのまま脳裏に焼き付いて離れない表情となり、三四郎を苦しめるのだ。

三四郎と小夜(轟夕起子)とが、何度もすれ違い、やがて二人が会話を交わすきっかけとなった、下駄の鼻緒を直すシーンは、闘いがメインの映画の中でも、一服の清涼感を与えてくれる。

カットされている不完全版でしか観られないのは残念だが、それでも世界の黒澤監督の一作目に相応しい、将来性を見事に感じさせる作品だった。