いつの時代もカッコいい人間像がある。俳優や女優だったり、アイドルだったりする。
「江戸っ子だね、神田の生れよ」
「宵越しの銭は持たない(その日の収入はその日のうちに使い果たす、金銭に執着しない江戸っ子の気性)」と誰が言ったか知らないが、「きっぷがいいね」とかちょっと計画性が無いとも感じるその行動も当時の庶民文化を作っていたと思われる。
大工・左官・土方などの若い衆が、腕っ節が強くて気は優しい存在だったりしていたことが窺い知れるが、それは何らかの反動によってなされていたのかも知れない。
社会環境というものがあまりにも荒んでいたため、たまにはパーと使い果たしてしまいたいという庶民感情の表れが象徴的に表現されたのではないか。(後が続かなくなって気を取り直し、またせっせと働き、またパーと行くその繰り返しの人生) それができる人とそうはいかない人というのが必ずあって、まあいいとこどりの言葉だけが残ったって感じなのかね。
斜に見れば、偶像崇拝というのもあるし、ベーコンのイドラに関する哲学もある。人と人との関係の中で他人を評価するのは個人的な自由に含まれているので多言は無用であるが、見た目のカッコ良さ(その中身も素晴らしいと信じる)に絞れば、見目形(ビジュアル)の優劣ということ以外に判定できない。
となれば、いかにビジュアルをよくするか、その構成要素を如何に整えるか、カッコいいと感じる見た目をいかに変身させるか、だけである。プラスアルファは後回しということでいいのである。
例えば、「短足、胴長、頭が大きい」と来たら、カッコイイのカテゴリーにはちょっときびしい感じを受ける。そこんところを何で交わして逆転ホームランと言う具合に持っていけるのか、というあたりにも何らかのヒントもある。短足は着物ならカバーできる。胴長はむしろプラス面になるかも知れない。そして頭の大きさだが、これを小さく見せるための工夫と言うものが丁髷(ちょんまげ)などにもあったのではないか、そんな気がした。
参考(ウィキペディア)
「いき」と「いなせ 」
「いき」とは、江戸時代に生じ時代に従って変転した美意識(美的観念)で、遊興の場での心意気、身なりや振る舞いが洗練されていること、女性の色っぽさなどを表す語。反対語は野暮(やぼ)または無粋。
「いなせ」とは、「男気があって粋なさま」ないし「勇み肌でいきな若者、また、その様子」を表す語。「いき」を意味に含むが、主に男性の気風についていう語。
