鬱の人の事をこうゆう言い方をするようになったんて何時からなんやろう?
このブログを始めた頃に書いてるんやけど、俺は「鬱」です。
自分で分かってる事が出来ない…
自分のしたい事をしないと気が収まらなく、後になって後悔して極度に落ち込む…
人混みに長時間居るとパニックになりそうになる…
色んな事を考えすぎて眠れない…
眠るとドス黒い夢しか見れなくて眠るのが怖い…
些細な事でもキレやすくなってる自分がソコに居る…
人に当たり散らす事が出来ずに自分を切り付ける事しか思い浮かばない…
切り付けた自分の血を見ると落ち着くと同時に生きている事に違和感を感じる…
薬に頼らないと日常生活が出来ない…
…最近はかなり落ち着いてきてるものの、やっぱり先に書いた様な状態が残ってる。
以前に勤めていた会社でも仕事とそれ以外の事でやらなアカン事を頭では理解出来てるはずやのに、頭が回らなくなり行動が出来ず、結果パニックに陥ってしまい3ヶ月の間休職したものの結局は自主退職とゆう名目で解雇された。
多分、俺以上に「鬱」で本当に悩んでる人は沢山居るんやと思うからこそ、それを簡単に「メンヘラー」とか「メンヘラ」って使わないで欲しいと俺は思う。
確かに俺自身も人に説明する時に「アムカ」や「リスカ」って言葉を使わない訳ではない。ただ、そう言わないと自分自身が耐えきれない事があるから…
ほんの半年ほど前、色々とあって自分の居場所を見失ってしまい頭に中に浮かんだのは「死」…
「全てを清算してしまおう、周りが悲しむのは最初の内だけで、その内忘れられて行くやろう」って思い、両親と嫁に「生きててゴメンなさい」ってメールを送った…
まだどうやって自分の結末を綴ろうかと模索していると、数分もしない内に親父から携帯に電話が掛かってきた。しかも俺の家に向かいながら…
今、こうしてこのブログを書いてるって事は”未遂”で終わったからで、あの時の嫁や家族の支えが無かったらどうなってたんやろう?
こんな俺でも心配してくれる人が居る。必要としてくれてる家族が居る。ただ、その大切な思いを素直に受け入れきれない自分もまだそこに居た。
なぜ過去形にしたのか?それは先日おこした事故のおかげかも知れない。
対向車に当たって空中に投げ出された瞬間「あぁ、もしかしたら俺はここで死ぬかも…バイクでは死なれへんってあれほど言ってたのになぁ」って生にしがみついてる自分を見つけてしまったから…あれほど死のうとしていた俺が死に直面した状況で、生きる事を考えたから。
よく「死ぬ気になれば何でも出来る」って言う人がいるけど、俺はそうは思わない出来る事は出来るが、出来ない事は出来ない、ましてや「死ぬ気」に何てなる必要もない。
死にそうになって初めて何かをしたいと思う事の方が自然なんやないやろか?
今日は久々に文字ばかりで、しかも内容もまとまっていない駄文になってしまいましたけど、最後まで読んで下さった皆さんありがとうございました。