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Terima Kashi 日記

低AMH、着床障害による5年間の不妊治療を経て、2016年3月男の子を出産しました。
日々の徒然を綴っています♪

父が亡くなってから、自分が自分でないような感覚になっています。

今までは、ありとあらゆる色んなことのおもしろい部分を抽出するのが好きだったし、楽しかったのに、できなくなりました。

テレビを見て、おもしろいものをおもしろいと感じ、笑うことはできるけど、作り出せなくなったというか。

思いつく文章も平坦になったなあと感じます。

複雑なことは考えられず、思考回路が単純化されてしまったような。

考えようとしても、必ず頭のどこかの行き止まりで止まってしまう。

今まではそんなことなかったのに。

行政の手続きや日常生活ではこれまで通り段取りを考えられるし、特に問題ありません。


新しく何かを創造したり、想像することができなくなりました。脳が薄っぺらくなったような。


大事な家族が亡くなったせいなのかな…。

ちゅん坊の相手全力でしてるうちに精神年齢が6歳になったのかな…。(むしろ喜ばしいのか?)

単純に歳なのかな…。

なんてったってアラフィフですもんね…。


ところで来年年女なんですけどね。

「お母さん、年女なんだよ。うさぎさんだよ。ぴょんぴょん。」とか、ちゅん坊に言えないのが辛いです。だってサバよんでるんですもの。


ちゅん坊に聞かれた時に困らないように、忘れないように、私の干支は夫と同じということにしてあります。(年下夫)

ね、こういう段取りは完璧でしょ。

ちゅん坊がいくつの時に真実を知るかわかりませんが、できるだけパンドラの箱にしまっておきたいものです。


前回の続きです。


私は今も学校送迎をしています。

ちゅん坊の視力の問題もありますが、彼にとって1人登校はしんどいだろうと考えるからです。


1学期の頃、ちゅん坊は出発前、自宅最寄駅、乗り換え駅、学校最寄駅の4回トイレに行っていました。1時間以内に4回ね。実際ちょろちょろしか出てなかったようですが、緊張のためだとわかっていたので、何も言いませんでした。膀胱のことは膀胱の持ち主にしかわからんしね。2学期になってからいつの間にか登校中にトイレに行くことはなくなり、寒くなって今度は私が行きたくなって困ってます


スイミングに通っていた時も、体操の部屋から私が退出するのを嫌がったので本人がもういいよと言うまで一緒に居るようにしました。それも少しずつ、私の在室時間は短くなりました。


小学校の送迎も、ほとんどの保護者が付き添わなくなり、甘やかしてるかなー、恥ずかしいかなー乗り換え駅はわかってるから1人で行けるよなーと迷いました。

でも、ちゅん坊自身が、まだついてきてほしいと言っていること、1人での登下校を期待されていることを本人が自覚していること、今はまだちゅん坊の中で1人で行くタイミングではないらしいこと、私の生活スケジュールがちゅん坊の希望に沿えること(私のタイミングで決めなくてもいい案件だということ)から、状況が許す限りそのタイミングをちゅん坊に決めさせようと思っています。


周りの子供達の中にも、私の姿を見ると必ず一緒に行こうとする子が何人かいます。

ほんとはまだその子にとっても1人通学できるベストタイミングではないんでしょうね。


とは言え、フルタイムでがっつり働く両親や、下に小さい子が居る場合、そんなことも言ってられないし、物理的に可能なら1人でやらせるのが一般的だし、そういうものだと思います。


私の場合、子供の自分を思い浮かべて、あの時かかっていたストレスが、その後あまり良くない方向で発散されてたという心当たりがあります。早い自立を促され、親に心配かけない子供になるよう期待され、親にSOSが出せない分、彼氏や友達などの他人に過剰依存していたなあ。

だから、ちゅん坊には自分でタイミングを決めさせてあげたいと思うようになりました。


ちゅん坊は、100の刺激を120とか150で受け取る子です。学校で1日過ごすだけで、どろどろに疲弊して帰ってきます。

そんな彼の負担を減らすことができるなら、登下校付き添いはトータルでプラス。お釣りがくると思い…たい。

自分の時間ないし、しんどいけどね(^◇^;)

でも、2人で過ごす時間も楽しいのも事実です。金曜日は二駅分歩いたりしてのんびり帰ります。今だけの大切な親子時間(о´∀`о)


子供の人生で,決めないといけないたくさんのこと。親が許容できる選択肢を提示して、できるだけ子供自身が決める機会をつくってあげたいと思います(^-^)


2人目の子供。兄よりしっかりした女の子。父親は仕事で忙しくワンオペ。今よりは平和な時代?実際はどうだったかわかりませんが。

そんなこんなの条件が重なったのか、母が私に何かを1人でさせるタイミングは基本的に1年生でした。周囲もそんな感じだったし、やってみれば物理的にはできてしまうんだけど、実はかなりストレスがかかってたんだなーと、最近しみじみ思います。


例えば、スイミングに通うことになった時、わりと遠い場所だったので、お友達とそのお母さんと一緒に行く(そのお母さんに連れてってもらう)ことになりました。早く着きすぎたのか、お友達親子が遅れたのかわかりませんが、待ち合わせ場所に誰も居ません。で、どうしたか。母親は私をその場に置いて帰ってしまいました笑

私自身母になった今となっては、そのお母さんにそもそも失礼だろとか、よく1年生女児を置いていけたなと、疑問だらけですが、母は大丈夫だと判断したんでしょうね。

その後どれくらい待ったのか。実際の時間は短かったかもしれませんが、1人で居るのが心細く、結局1人でスイミングに歩いて行ったのを覚えています笑 もちろんその後は1人で通いました笑


ある時は、留守番を命じられました。1人ぼっちがこれまた心細くなり、お隣の家に逃げ込みました。携帯電話のない時代、母と連絡がとれず、戻ってるであろう時間帯にお隣のおばさんと帰宅しましたが、誰も居ない…。おばさんが「多分でかなちゃんを探しに行ったと思うから、おばさんちに居るよって手紙書こう」ということで、手紙を書いて玄関に貼っておきました。おばさんの予想通り、私を探しに行っていた母が、大慌てで迎えに来ました。誘拐されたのかと心配だったようです。「おばさんが、怒らないであげてって言ってるから怒らないけど、もうこんなことしたらだめだよ」と言われ「うん」と答えましたが、これも今から考えると、私全然悪くない案件です笑笑


その他にも同じようなことが色々ありました。


大人になってから、自身がHSPであることを知り、子供の私がどれだけ不安だったか、いかにストレスがかかっていたかに気付きました。

当時、1年生が習い事に1人で行ったり、留守番するのは、そこまで珍しいことではなかったし(今でも普通のことなのかな?)皆ができることだから、私もさせられていただけで、虐待とかじゃないんですよね。


でも、しんどかった。

1年生の私には無理だった。

習い事についてきて欲しかったし、留守番もすごく怖かったし…。

親が決めたタイミングが、私にとっては真にベストなタイミングではなかったんですね。


「もう1年生だから」「周りはできているから」という言葉、まだまだ聞かれるように感じます。物理的にできてしまう場合は特に。

でも「物理的にできる」ことと「精神的に、情緒的にできる」ことは必ず同じラインにあるわけではなく、実は乖離している子供もいるんじゃないのかなと、ちゅん坊が小学生になって思うようになりました。


続く…。