昨日はある話題から夫婦の会話に花が咲き
晩御飯の準備を始めないといけないというのに
旦那さんの話が止まらなくて・・・。
まあ、こういう日もあって良いよねと。
旦那さんが話したい時は何をさておきそれを優先することは
私が大切にしてることの一つ。
その止まらなくなった話とは?
話題が逸れて宗教の話。
ある家族ぐるみで付き合っていた知り合いが
宗教を転々と変えている。
その人は自分の行動を正当化する理由をみつけるがごとく
細かな教理の内容に今気がついたかのように(どうして最初から目に止めなかったのか不思議)
知的に理由付けする・・・。
そして半端でなく投入して
最後はそこの人達との人間関係で喧嘩して終わりになり
3度ぐらい宗教を変えている(この2年ぐらいの間に)
そういう話から行き着いた旦那さんのまとめ
「 宗教というのは教理自体はどんな宗教でも良いことを教えているんだから
それを受けてその人が
どんな風に生きるかってことが大事なんだよ。
セウォル号の事件で逃亡し続けてる救援派の教主!
その宗教で一般の信徒は自分の宗教を信じていているだけだから
何も悪くない。
教え自体で悪いことをするように教えてる宗教なんて殆どないだろうに!
その教えを受けてどう生きてるか・・・ってことが大事なんだよ。 」
ほんとうにそうだよね~と相槌打ちながら
旦那さんの信仰観がわかったようで嬉しかったです。
逆に言えばどんなに良い教えを学んでいても
その人自体がその教えからかけ離れていたら何にもならないのだから。
以前こちらで観光の仕事に関わっていたとき
教育してくださった尊敬する教授がいるのですが
その方の話の中で忘れられない話を思い出しました。
その教授自体は宗教はもっていませんが
お母さんが熱心な仏教徒で
教授にも常々それらのお話をしてこられるそうです。
いわゆる仏教徒2世?ですね。
教授はこんな話をされました。
知り合いに最近クリスチャンになった人がいる。
その人はカラオケ店を経営していて結構繁盛していたけれど
その人が信仰を持ち始め
店のことに構わなくなってから客が減り始めた。
その人は更に熱心に信仰して
店の繁盛のためにも熱心に祈った・・・。
祈りが足りないから商売が上手くいかなくなったのだと!
けれど・・・
周りの人達は
「 以前のように店を綺麗に掃除して関心をもったら
お客さんが来るだろうにね~~ 」
と話していたそう・・・。
教授の言わんとするところが
旦那さんの言わんとするところと結びつく。
そして常に私の中では戒めのように反面教師のようになっているのです。