彼は今いったいどうしているのでしょう・・・。
1993年1月
私は当時信仰を持って1年ぐらいのメンバーのスタッフをしていました。
その頃は3万双の祝福の後でいっきに拉致監禁が増えていました。
この月、私の部署だけで2人も・・・。
当時の私の日記から・・・。
1993、2,28
H兄が監禁された。
本人も賭けをしたのだろうと思います。
様々な兄弟姉妹が離れていったのは(拉致監禁で)
なぜなのか・・・。
それを知りたくて反対牧師が待ち構えていると知っても
あえてその中に飛び込んでいった・・・・。
もし、帰って来れないとしても
再びあなたの前に帰ってくる道を残しておいて
あげたい。
そう思えたのは、H兄を本当の兄弟、
自分の家族の一人として私が認めている証拠だと思います。
それは彼と一緒の最後の祈祷会。
次の日に帰省すれば、ほぼ完璧に拉致監禁されるだろうと
隊長はじめスタッフは本当に深刻な
涙の祈祷をしました・・・。
もし、もし戻って来れなくても
彼のために本当に真剣に神様に祈ったみんなの祈りが
彼の心の中に残りますよう・・・。
そんな気持ちだったこと
今でも覚えています。
最近、彼のことを更に強く思い出したのは
「 拉致監禁をなくす会 」 の中の
ある拉致監禁を受けた元信者Kさんの日記
この日記を読んだからです。
新潟の松永牧師に監禁下で脱会説得され
脱会後、新津福音キリスト教会でリハビリ生活をしていた
元信者Kさんの日記。
リハビリ生活中の心の葛藤。
説得牧師に対する嫌悪感・・・。
脱会を表明してもまだ教会に対する思いも残って・・・。
信仰を捨てる、捨てないにかかわらず
彼らは本当に被害者です。
H兄は拉致監禁された後、2ヶ月ほどたった頃
ワイドショーの番組(当時は統一教会の話題ばかり・・・)に
元信者として出演したのです!!!(3月23日)
本当に驚き、また本当に本当にショックでした・・・。
そんなふうに心が引き裂かれるようなショックを受けたのは
初めてだと日記には書いてあります。
でも彼のコメントは感情がこもっていなくて
客観的でしたから
もしかしたら偽装脱会では???と
かすかな望みを持っていました。
それが、本人からその4日後に電話がきたのです・・・。
つづく。