あさり。

この言葉が文字で浮かびました。

 

貝の浅蜊

 

それから、漁り

 

それと、浅利。浅い利益

 

私が感じたニュアンスは、漁るような気持ちです。

 

今の空気の流れは、人生の悩み多き領域ほど、勉学として学んで悩みから抜け出すことを「望みなさい」ということなんですね。

 

そんな話をここしばらくしていましたら、昨日美容室に行って髪を切ってきたのですが、担当の美容師が突然、「コーチングに行くことにした」と言い出した。

 

独立して自分の美容室を立ち上げて、ひたすら働いている中で、突然の出費が重なった。水道の詰まり、機器の故障、その金額は小さくなく、その月の利益が赤字になったと。それで急に不安になったのだと言う。今までにない不安を感じたと。自分が健康ならがむしゃらに働けば良いが、心身がいつでも万端とは限らない。私にはもっと、何か現状を変える必要があると考えた。そして、脳の仕組みを学んでコンフォートゾーンから抜け出した考え方をしたいのだと言う。

 

そんなことを急に言い出したのです。もちろん、そう考えるにはそう考えるだけの時間の流れがあったのでしょうけれど、私に急にそんな話をしだしたことが面白い。

 

「学びたい」

これがその人の今の強い気持ちなのです。

 

この「学びたい」という気持ちこそが、得難いことだと思うのです。

 

実際ね、何を学ぼうが学ばなかろうが、その人が幸せであるからどっちだっていい。

だけど学びがないために、ずっと何か不利益なループを繰り返していて不満があるのなら、その領域に関しては学びや気づきが必要だからです。

 

学びたいという気持ちになること自体が、とても恵まれていることだと私は思います。

 

学びのない人、学びたくないのに学ばされている人がいる中で、心から自分が学びたくて学ぶ人がいるんです。それは恵まれた思考です。そう思います。

 

私も実際、自分が学びたいことを学んでいて、興味が向かないことはまだ学ぼうとしていません。

 

そういえば昨日、ハイビスカスさんが長男に、医学に関係する体験イベントを勧めました。ちょうど近くの大きな病院でそういうイベントがあるとパンフレットを手に入れたのです。高校受験がそう遠い未来ではない息子に、いろんな職業のリアルを体験してもらいたかったハイビスカスさん。しかし息子はたった一言。「行かない。」と言ったのですね。彼は今、体を鍛える習い事をしていて、イベントの翌日に試験があるらしく、前日にそんなイベントには行きたくないと考えたのです。もちろん、彼の気持ちは尊重できます。(ハイビスカスさんはぶつぶつと文句を言っていましたが)

 

先述したように、興味があることは学ぶ、興味がないことは学ばない。この気持ちって誰にでもあると思うんですね。当たり前だとも言える。

 

だから、興味がないことも学んでみようという気持ちが得難いことなんです。得難いギフト。

 

私は昨日、大きなデパートの地下に行って、食料品を2時間かけて見てきました。

私は料理の専門家ですが、特に興味があるものと、全く興味がないものがある。

だけど私は今まで興味がなかったものほど、詳しく見ようとしました。

 

食材の産地、値段、その料理の国や店の名前。普段自分が選ばないものもよく見て見ました。

その情報は、私が忘れても脳には保管され、私が必要な時にだけ閃きとして思い出されることを知っているからです。それは私が脳の仕組みを学んだからこそ得られた行動で、後の自分に必ず良い結果を与えてくれます。これに気づけたことこそ、有難いこと、恵まれていることだと思うのですよ。