長いことカウンセリングの仕事をしていますと、理不尽なことやえん罪をかけられて憤りが消えずに悩む人が多いのを感じます。

おそらく、カウンセラーに相談することを選ぶ人がこれだけいるのなら、多くの人が経験したことがあるのではないかと推測できます。

 

えん罪というと、犯していない犯罪の罪を着せられて、刑務所に入るような大事なイメージがありますが、例えば、職場でなにかミスが発覚したとき、自分がやっていないのに自分がやったのではと疑ってかかる人が、絶対にそうだと言い張るようなことも含まれますよね。

 

「やっていません」「自分ではありません」と言っても、もう聞く耳がないようなことがあります。

 

私はこのえん罪については1つの人生のテーマというか、「なぜ人間は思い込みから抜け出す気がないのか」という研究をするに至るきっかけを体験しているので気持ちが良くわかります。

 

ある程度年齢を重ねますと、そういう思い込みの激しい人に反論しても何も良いことはないとわかりますが、若いうちは気持ちが治まらないですよね。私も若いときに、まるで身に覚えのないことを「言った」と責められたことがあります。その相手はいつも誰かにそういう思い込みで執拗に責めて歯止めが利かない人でした。いつも誰かが「アレをした、コレをした」と言ってあちこちで憤慨して、それが勘違いだと気づくと笑って済ませるのです。

 

若い頃はね、家族をベースに人間という生き物を知ります。それから家族以外の他人を少しずつ、関わりながら知っていく。すると、自分にはない考え方の人や、自分ではあり得ないと思うようなことをする人が世間に入ることを知るのですね。称賛するべき人もいれば、理不尽だったり思い込みの激しい人がいて、相手がどれほど正当に反論しても聞く気がない人もいるわけです。

 

大人になったからと言って、そういう記憶が全て消去されるわけではありませんから、思い出すと腹が立つ。そういうものです。

 

私は、この世界をドラマや映画と同じように起承転結のあるストーリーだとイメージして聞いて頂きたいのです。

ストーリーには当然、キャスティングというものがあって、そのキャスティングは監督が選ぶとします。そのストーリーが、漫画が原作で、アニメ化され、最終的に実写版の映画になる。そんなことが良くありますよね。すると、読者からすると、「ミスキャスティングだな」と思う配役もあるものです。それと同じようなことで、あなたの1つの体験にも、時々ミスキャスティングがあります。

 

のっぴきならない理由があれば、ミスキャスティングのままでストーリーを仕上げる必要があります。でも、あなたがもし、「私のこの体験は私の人生のストーリーには加えたくない。このキャスティングも必要ない」と考えるのなら、あなたの人生と言うストーリーの監督は貴方自身であることを思い出すきっかけにして下さい。ミスキャスティングは時々起ります。思っていたのと違うことがあります。そういう経験をいくつかしたあと、監督はミスキャスティングのないように対策を講じるようになります。あなたもそうして下さい。

 

コレは例え話ですが、例えば飲食店のオーナーが、調理場の料理長を募集したとします。すると、「私は料理が得意です。私ならきっとうまくやれます」と言って応募してきた人がいて、履歴書を見るとどうもそれほどの能力があるようには思えなかったとします。でも言うことを聞く限り、料理長になる自信に溢れているように思えます。そういうとき、「まぁ、これだけ言うなら大丈夫だろう」と思って雇用して、実際に働かせてみると全く仕事が出来なかったら?お互いに嫌な気持ちになる結末しかないのです。そういう経験をいくつかすると、店のオーナーは臨機応変を覚えます。「1日アルバイトとして働いてもらって合否を決めます」とか「一度料理を作って実務テストをさせてください」と言ってみたりするわけです。

 

あなたも、あなたの人生の監督であることを意識して、あなたのストーリーにミスキャスティングがないように、「最初から」予防策をとれるようになるべきで、そのための経験値は、ミスキャスティングを体験すること以外ないのです。

 

つまり、幾度か体験したのなら、もうあなたは予防策をとれるようになっています。潜在的には。