私は今朝、目覚まし時計でセットした時間より1時間早く目が覚めたんです。


二度寝しようと思ったのに、身体は起きようとしたんですね。ベッドから起き上がって椅子に座りました。


それから九兵衛さんと会話が始まって。その会話をまとめて、この話を書きます。


私は昨日、日本人の友人と食事に出かけていて、友人の人間関係の話をしていたんです。


友人は以前の上司のことをすごく嫌っていて、批判していた。私は全体の話を前から聞いていたのですが、友人にも落ち度があったのです。


しかし友人は「私は悪くない」という考えかたで、私は直接的なことは言わずに、「事故と同じで10対0というのはない」と客観的な評価を話してみました。


すると猛反論が始まったので、「あなたが考え方を少しも変える気がなく、相手も変える気がないのだから離れて正解だ」と言いました。


どちらも自分の考え方が正しくて、相手が間違っているという思考が軟化しないのです。ならば「同志」ではなく「敵」なんですね。敵視していたら仲良くなんて出来ないでしょう。


ここから守護さんとの話です。


アメリカの裁判って、日本人から見てありえないような賠償金になることがあるでしょう?


わかりやすく例えるなら、離婚訴訟で日本なら300万円の賠償金と判決が出るような事案も、アメリカなら10億円になるような。


で、アメリカではそれがまかり通る。大真面目にその金額を出すわけですね。陪審員が。


価値観。倫理。かなり違う。


それともう1つ。


私は昨日、カウンターバーでお酒を少し飲んだのですが、隣に居合わせて会話をしたのは全員外国人。


私の隣にいたのは、イスラエル、アラスカ、ケンタッキー、スイス、ニュージーランド、カザフスタンの男女。全員で仲良く話したんですよ。


文化も価値観もまるで違う人たちです。特に宗教観も違うでしょうね。私は「時代が変わったなー」とすごく思ったんですよ。


昔は日本人ばかりだったのに、その店は今、9割が外国人観光客なんですって。


「価値観の受け入れ」


できる?できない?


できてもできなくても、私は他人のことはどうでも良いのです。


そして、受け入れるというのは、価値観を合わせるということではなく、一定の理解を示すということです。


「あなたはその考え方なのですね。」と、そこに確かに存在するものをあると認めることです。


私の友人は、価値観の違う人と揉めていたんですね。


同じ仕事をしていて、立場。つまり視点が違うことで目的が違っていた。そして私の友人は相手を批判する言い方で相手を攻撃した結果、仲良くなれなかった。


正しい、間違っているを決めることを優先したのですね。主張することを優先しました。


落としどころを話し合うのではなく、批判することを選んでいました。


私は皆さんが選べるという話をしたいんです。


態度を変えられるかどうか。選べますと。


世界を見たら、考えかたなんてもっと違うよと。


自分の今の価値観だけが正しいと思っていたら、全ての人が「間違っている人」なんですね。


それでは平和は訪れないんですよね。