人間の本能として、自分の子孫を残したい衝動があります。
良い遺伝子を残したいという条件があります。
衝動と条件という言い方をされています。
そして快楽、自己顕示欲、承認欲求などが絡み合っていますから、
人の本能として、たった1人の人とだけと性的な関係を制限しなければならないのは欲求を抑えることになります。
でも古代より、複数の関係を持つことのリスクはありました。
衛生的な問題や、人の感情の問題、そして血縁の問題。
ですから、未だに人は、欲求と安全のリスクに揺れ動いています。性について。
遺伝子レベルの話です。
そして、現代の浮気というのは、自分にとって特別な人(恋人や配偶者)がいて、
その人の信頼を裏切る行為なのですね。
結婚、恋愛関係を結ぶということは、お互いを大事にして信頼を積み重ねていくものだという認識がある中で結ばれた相手なのですね。
だから裏切られたらとても悲しいし怒りを感じるしとにかく辛い。
ドロドロとした気持ちになります。
それとこれとは話が別・・・という主観の人が、自分の欲求に従うことで誰かに決して癒えない傷を与えることについて考えなしに行動するのが浮気という行動です。
考えたらまず行動はしませんからね。浮気心が生まれたとしても行動には移しません。
つまりですね、自分の欲求について深い洞察力がない人間だということです。
私は今、欲求自体があることを否定していません。
天が伝えたいことは、物事の起こし方、進め方、考え方に深い洞察力があれば、
愚かな裏切り行為などしないということ。
好きな人が変わってしまうこと自体を否定していませんし、欲求があることも否定していません。
深い洞察力を持って、人と人の信頼関係について成熟した思考の持ち主になれば、
そもそも、誰かを裏切ったり誰かに裏切られたりという結果が起こる前に対策はできると伝えられています。
意外かもしれませんが、「勉学として人間の性質を学んでみると良い」と勧められています。
勉学としてなら、感情的にならずに客観的に考えられますもんね。
そういう当事者になって感情的になっている時ではなく、他人事として考えられるときに学んでおくことを勧められています。