1946年1月1日

官報 により発布された昭和天皇詔書 の通称。

当該詔書の後半部には天皇が現人神(あらひとがみ)であることを自ら否定したと解釈される言及部分があり、狭義にはその部分を表現する名称としても用いられる。


 まだ大日本帝国憲法施行 下にあり神聖不可侵の現人神・八紘一宇思想等の影響が残っていた日本にあって、占領統治主体のGHQ からの要求による(必ずしも自発的ではなかった)ものながら、天皇が (みことのり)においてそれら神格等の否定に明確に言及したことは、当時の国民・社会全般に大きな影響を与え、その詔書の当該部分が、後には詔書全体が「人間宣言」と一般に呼称されるようになった。


 GHQCIE (民間情報教育局)は天皇の勅語によって、日本が他国・他国民を支配する神聖な使命も持つことを明確に否定し、この観念の根拠となった家系・血統によって天皇は他国の元首に優越し、日本国民は他国民に優越すると主張する国家神道 の教義も明確に否定するすることを企図していた。

詔書中の「朕ト爾(なんぢ)等国民トノ間ノ紐帯(ちゅうたい)ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(あきつみかみ)トシ、且(かつ)日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ」の部分から、天皇による神話と伝説の否定であり、天皇の人間宣言であると一般に理解されている。


※これにより、日本書紀と古事記が暫定の最古の古文書として決定され、富士文献や竹内文書などは儀典あつかいになった。

 

経緯

12月25日以降、幣原自身が前田案をもとに英文で原案を作成し、秘書官に邦訳を命じた。推敲は前田文相、次田書記官長、楢橋法制局長官等で行った。過労の幣原に代わり、前田文相が天皇に会い、天皇から「五箇条の御誓文」付加の要請を受ける。マッカーサー にも案文を示す。


12月29日、木下道雄侍従次長は原案に手を入れて別案を作り、石渡宮相・前田文相に示した。別案は天皇が神の末裔であることを否定するものでなく、「現御神」であることを否定するものであった。


12月30日、木下は石渡が手を入れた木下案を次田に渡し、閣議で検討された。同日午後4時30分、岩倉書記官が閣議案を木下の元に持参した。木下は更に手を入れ、天皇に中間報告を行い、閣議に戻した。5時30分、前田文相が天皇に会い、文案の許可を得た。午後9時、正式書類が整い、完成した。


12月31日、幣原の意を受けて前田文相は木下侍従次長を訪問し、マッカーサーに案文を示した天皇が神の末裔であることを否定する内容の復元を求めた。木下は侍従長とともにこれに同意し、天皇に報告した。天皇も天皇が神の末裔であることを否定する内容への変更の許可を与えた。



日本語で発表されたものは天皇が神の末裔であることを明確に否定したものではなく、「現御神」(現人神)であることを否定するものであった。これに対し、原案の英文は「the Emperor is divine」を否定するものであった。「divine」は王権神授説(Theory of the divine right of kings)などで用いられる「神」の概念である。英文の詔書は2005年に発見され、2006年1月1日の「毎日新聞」で発表された。

渡辺治(一橋大大学院教授・政治史)は 同紙に「資料は、草案から詔書まで一連の流れが比較検討でき、大変貴重だ。詔書は文節ごとのつながりが悪く主題が分かりにくいが、草案は天皇の神格否定が主眼と分かる。草案に日本側が前後を入れ替えたり、新たに加えたりしたためだろう。」というコメントを寄せている。



現人神(あらひとがみ)は、「この世に人間の姿で現れた神」を意味する言葉。現御神(あきつみかみ)、現神(あきつみかみ)明神(あきつみかみ)とも言う。
また、生きている人間でありながら、同時に神であるという語義でも用いる。

「古事記」(和銅5年(712)、 日本書紀(720)編纂

より遡ること、およそ九百年前に書き始められた「富士古文書」。


日本人が直接記録したのではなく、

中国からの渡来人・徐福(※1)が神代文字や伝承を漢字で筆記したと言われている。


そこには自国人による神から選抜された自画自賛的な選民主義の匂いがなく、

客観的・叙述的な描きぶりで終始している。

古事記や日本書紀に登場する神々も神話ではなく、実在の人物として画かれている。 


これによると日本書紀と古事記が「最古の古文書」である事は否定される。



来朝した秦の徐福が、BC217年10月4日に駿河に上陸し、

富士山麓を最終の地「家基部(カキツ)」として、

その子孫を遺して、この「富士古文書(宮下文献)」を書き留めた。

またその文字は秀真伝(※2)でつづられている。


2につづく



※1

徐福(じょふく)

中国秦代(BC3世紀頃)の方士(方術に秀でた者・学者)。斉国の琅邪 の出身。徐市(じょふつ)。

司馬遷の『史記』によると、秦の始皇帝に、

「東方の三神山に不老不死の霊薬がある」

と具申し、始皇帝の命を受け、財宝と共に数千人を従えて秦から東方に船出した。

到着した土地で、徐福は「平原広沢」の王となり中国には戻らなかったといわれている。

「平原広沢」は日本であるともいわれており、

日本各地に徐福の一行が上陸したという徐福伝説が伝えられている。

たとえば、和歌山県の那智勝浦町や新宮市には古くから徐福伝説が残っているなど、

各地に徐福伝説が残っているのである。

また、徐福が神武天皇であるとする説も中国にある。


(参考)

【ソウル大澤文護】

韓国の朝鮮日報、東亜日報など主要紙は24日、
天皇陛下が天皇家と朝鮮半島の「血縁関係」に言及したと一斉に報じた。
来年のサッカーワールドカップ(W杯)を前に日韓関係改善を意識した
「友好のメッセージ」ではないかなどと、好意的に受け止められているようだ。

天皇陛下が23日の68歳の誕生日に先立って行った記者会見での発言内容として報じられた。

韓国紙は「私自身としては桓武天皇の生母が、百済の武寧王(ぶねいおう)の子孫であると

続日本紀に記されていることに韓国とのゆかりを感じています」と語った部分に焦点をあてて紹介。

天皇家が古代朝鮮半島と深い関係があることを認めた。


これは後に後述します。


※2


ホツマツタヱ(秀真伝)

数ある古史古伝の中で「ホツマツタヱ」は別格であるらしい。
その殆どが偽書(作成年代などが改竄されている)であるとされている中で、

「ホツマツタヱ」は、その内容の理路整然としていること、

記紀や他の古史古伝の内容を補完する記述が多いことなどから、

本物であると主張する池田満氏がいる。


池田満によれば、

「ホツマツタヱ」はヲシテ(ホツマ文字)で読まなければ、その意味がほとんど別のものになってしまうと言う。

「ホツマツタヱ」によれば、多くの語源が分かることも特徴だ。

「国常立」:常世の国を立てた神。


「トホカミヱヒタメ」:八降り子、八降子神、クニサツチの別名を持ち、ヱとトは干支の神。

「富士山」:古来、原見山、香久山、豊居雪山(とよいゆきやま)、

日の大山、藤の山などの呼び名を持つ重要な山で、

原見山とは、天界の高天の原を見る山という意味(?)。

「タカミムスビ」:日高見と天界高天の原を結ぶ神(?)。

「ホツマツタヱ」では、西王母(「荘子」に神人として登場する)は、

ウケスメテと称しクニトコタチノミコトが西国のカの国の統治者の子孫で、

トヨウケ神に仕え、ココリヒメ(白山姫、キクリヒメ)と契りを結んだとされている。
中国の仙境とは日本のことであり、神仙とは日本の神々のことであると考えられる。


「ホツマツタヱ」で意味が理解できることもあり、「日本書紀」と「古事記 」の元であるかも知れない。

記紀では、「伊予ニ名州(いよのふたなのしま)」の"ニ名"の意味が分からないが、「ホツマツタヱ」では、「伊予・阿波ニ名」とあり、四国が二つの名前を持っていた事が分かる。

また、記紀に記述のない事でも、他の古史古伝と「ホツマツタヱ」に同内容の記述箇所があるようだ。
「ホツマツタヱ」ではアメミオヤノ神、「先代旧事本紀」・「先代旧事本紀大成教」では、天祖(アメノミオヤ)として登場する神は、日本人の先祖信仰の根源であると考えられる。
ニニギノミコトの全国巡行の具体例は、記紀には出ていないが「ホツマツタヱ」と「上記 」には出ており、輿に乗って巡行したらしい。

「ホツマツタヱ」は、「先代旧事本紀大成教 」よりも伊勢神宮の伊雑宮(いざわのみや)
の重要性を伝え、「富士文献 」よりも深く富士の由縁を説いていると言う。

富士文献 」には、

秦の始皇帝の命により徐福が不老不死の薬を求め高霊天皇の代に富士山にやって来たとある。
それと符合する記述が中国の「義楚六帖」(日本は平安時代)に載っている。