7. 帰国
6月19日 午前8時50分 大田駅発 セマウル号
6月19日 午前10時20分 ヨンドンポ駅着
お腹がすいたので、韓国出張の時によく朝ご飯を食べるヨンドンポ駅のフードプラザでソルロンタンを食べた。
ヨンドンポの駅周辺をブラブラした後、日曜日に乗った時と同じリムジンバス乗り場に行き仁川空港に向った。
仁川空港の売店のテレビで昨日の韓国対イタリアが放送されていた。後半の終り頃から見初めて、試合終了まで見てしまった。
昨日、スタジアムでは見えなかった部分が見えた。トッティの退場は厳しすぎると思った。オフサイドもかなり疑問なところもあった。
エアチケットとサッカーのチケットでかなりお金を使っているのでお土産もろくに買わずにラウンジへ。ラウンジで仕事のメールチェックをしていると呼び出しがあり、ビジネスクラスに変更になった。うーん、グローバルのありがたさを実感。
4年後のドイツワールドカップは日本は予選を突破できるだろうか?ドイツの時は37歳。そんなことを考えながらワールドカップの旅が終った。準決勝、3位決定戦、決勝の時は出張で台湾にいる。なんで日本にいられないのかという気持ちはあったが、ベスト16の試合を4試合見た人もあまりいないだろう。台湾出張の時はワールドカップは気にしないようにしようと心に誓った。結局、気になってしかたなかったけど…。
補足
2001年にJALのマイレージが5万マイルを超え、2002年からグローバル会員となっていた。
台湾への出張は展示会のためで、3日間の年休を快諾してくれた上司(以降、快諾上司)も含め会社のメンバー数名と一緒。
準決勝と3位決定戦は仕事や会食の都合で観戦できなかった。
また、決勝戦は出張メンバー全員が台湾の代理店の方に電気街を案内されることになり、電気街のテレビの前で決勝戦をところどころ観戦した。
当時、群馬県邑楽郡大泉町に住んでいた。そこにはブラジル人が約1割住んでおり、優勝したときにはお祭り騒ぎだったようである。台湾からの帰国便で、これから帰る大泉町でのブラジル人の熱狂ぶりを見て悲しくなった。
台湾担当だったのは、2002年4月から9月までのわずか6ヵ月。台湾出張は2回。
この報告書の提出は台湾出張後に提出した。当時、それほどサッカーに興味を持っていなかった快諾上司であったが、ひと通り目を通してくれた。「俺のことも書いてくれたんだな。『快諾』ってしか書いてないけど。」といって笑っていた。
2002年10月 私が群馬から東京に転勤。
2003年4月 快諾上司が群馬から東京に転勤。
2006年ドイツワールドカップの時は、スペインパック6試合(グループリーグ3試合と1位通過の場合の準決勝までのセット)のチケット入手に成功した。東京に転勤したあとの上司も年休を取らせてくれそうではあったが、ちょうどワールドカップ中の6月末に上司が変更になるという不運があり年休を取ることができなかった。
チケットは一緒に取ろうと画策した当時大学生の友達に譲ることになった。
一方、快諾上司は東京からさらにドイツ駐在となっていて、ワールドカップ前の親善試合であるドイツ戦、マルタ戦、日本のグループリーグ3試合他を観戦した。
来年早々に定年となる快諾上司は今では相当なサッカーフリークである。