うちは二世帯住宅。

玄関とお風呂が一緒です。

子供がまだ小さい頃に5年間同居していましたが後に旦那の転勤やその他の理由でしばらく離れて暮らしていました。


義母は『超』の付く近所でも有名なお掃除おばさん。

新婚当初はその綺麗な旦那家、綺麗なお義母さんが自慢だったのです。


しかし間取りがヘンテコでそれが元で衝突するようになりました。

一階の私たちのリビングを通らなければお風呂に入れない間取り。

しかも当時は半地下に義弟も住んでいて、これまたこのリビングが通り道。

新婚に毛が生えた程度の私にはホッと寛ぐリビングではなく、常に誰かが入ってくるのではとビクビクと落ち着かない空間となってしまったのです。 

おまけに朝、子供にご飯を食べさせている時間に毎日リビングを通って、お風呂をピカピカに磨き上げるために義母が張り切って入って来るのです。

お風呂の水滴を一滴残らず拭き上げるために。💦


綺麗にしてもらえるのが嬉しい反面、子育て中の嫁の私にはそんな事できないという引け目、同時に子供がいれば足だけ洗いたい、お散歩から帰ったらすぐお風呂に入れたい、などいつでも自由に使いたいと言えない雰囲気になってしまいました。

いつの日か毎朝、掃除に来る義母が疎ましくて疎ましくて仕方がなくなりました。


始めこそ『私が我慢すれば良い』、『いつか慣れるし改善するだろう』、『これが同居というもの、耐えられないなんて恥ずかしい』とストレス満載の中でも心の声を無理やり押し込めて堪えながら子育てをしてきました。


この人たちには悪気は無いんだ、そう言い聞かせても言い聞かせても、心はどんどん疲れて、いつしか家族で居てもギクシャクするようになり、いつの日か半ば強引にこの同居話を持ちかけてきた義母に対して憎しみが湧いてくるようになったのです。


同居話を持ち掛けられたあの時、『NO』と言えていれば…。

義母に嫌われるのが怖くて『YES』と言ってしまった自分に何度も後悔していました。

ちなみに夫は義母や私が納得していると思い込んでいてまさか私がそんな思いをしているとは思ってなかったのです。

私は嫌われるのがイヤで夫にも当時本音が言えなかったのです。


こうやって書いてみると、全ての原因はやはり自分にあるのだな、と嫌でも思い知らされます。


15年離れて住んで、3年前に再び同居することになりました。


私も新婚当時のような、思っていることを言えない性格がガラリと変わり、ポンポン物が言える『オバチャン』となって帰って来ました。

お掃除大好きで、暇さえあれば家中をモップを持ってどこもかしこもピカピカに磨き上げ、ヘソを曲げると挨拶も返してくれなくなる困ったちゃんの義母もガクンと体力が衰え、すっかり『おばあちゃん』になっていました。


離れて暮らしている間、それなりに社会で働いてきた事で人の顔色を窺ってばかりの私は成りを潜め、家族を前に改善点を正面切ってハッキリと言う事が出来ました。


あの頃、絶対無理だった事が時間の経過と、お互いの様々な変化で少しずつ解決策を見いだせるようになりました。

間取りは相変わらずですが、頑なに空けてくれなかった一部屋を義母が夫のために空けてくれたおかげで家族三人が何とか住める状態になりました。

年を取って更に頑固になる人もいるであろうに義母が折れてくれたのは意外でした。


この家を建てた事で大きな悲しみや絶望があり、それと引き換えに自分の中に変化がありました。

ひとつには本当の事を言う勇気が出来た事、言うためには自分に対する信頼や自信が必要だと知った事です。

あの当時の私には嫌われる勇気も、自分に対しての信頼や自信もなかったのです。


今はお互い本音を隠さず、大事なことは確認しながら過ごしています。

陰でコソコソせずに言うべきを言い、助ける合うときは助け合う、というスタンスです。


後期高齢者となった義父母、幼なかった娘も嫁ぎ私たち夫婦も還暦間近となりました。


同居はきれい事では済まされません。お互いの人間性を見せ合って最後は弱いところをさらけ出し、生きていかねばなりません。


そこには自分に対する自信が無くてはならないこと、自信を持てるようになるため口先だけでなく、人として努力することが大事だと知りました。


腰がめっきり弱くなった義母に代わり、今は私がお風呂の水滴を一滴も残さず毎朝拭き上げています。

すべては変わっていくのですね。

苦境もずっと苦境では無いことも知りました。



全ては学びであるとつくづく思うこの頃です。