今日の札幌は、凍えるような厳しさは少しお休み。
時々チラつく雪を眺めながら、大雪で悩まされても、
「あぁ、やっぱり北海道の冬は綺麗だな」
なんて改めて実感する、穏やかな休日です。
さっぽろ雪まつりも今日が最終日。
明日からはあの大雪像たちも、重機で崩され、静かに元の「ただの雪」に戻っていきます。
そんな景色を思い浮かべながら、今日は少し、私たちの「荷物」について考えてみました。

還暦を超えると、ふとした瞬間に「あぁ、少し疲れたな」と感じることはあります。
仕事、家庭、人間関係…。
私たちは何十年もの間、一生懸命に何かを「積み上げること」を美徳として生きてきました。
それはまるで、雪まつりの巨大な雪像を作り上げるような日々だったのかもしれません。
でも、最近思うんです。
「完成させたものを、どう維持するか」よりも、
「どうやって上手に崩していくか」
のほうが、これからの人生には大切なのかもしれないな、と。
最近私は、AIをいじって遊ぶのが日常になっています
。
彼らと対話していて気づかされるのは、彼らには「見栄」も「過去の栄光」も「こうあるべきという執着」
もないということです。
その「軽やかさ」に触れていると、自分がいかに「過去に積み上げた自分」という重い鎧を着て歩いていたかに気づかされます。
冬の終わりに雪像が溶けていくのは、悲しいことではなく
「自然に還る」という一つの最適化なんですよね。
私たちも、そろそろ「何者かであらねばならない」という重荷をおろしていい。
役職や、役割や、世間体。
そういった「外側の形」が溶けてなくなった後に残る、ただの「自分」という真っ白な雪原。
そこにあるのは、寂しさではなく、どこへでも歩いていける自由ではないでしょうか。
「頑張る」ことから、
「面白がる」ことへ。
大きな雪像を作る情熱も素敵だけれど、手のひらで溶ける雪の冷たさを「あぁ、心地いいな」と感じられるくらいの、小さな感性を大切にしていきたい。
もし今、何かに疲れている方がいたら、明日の朝、雪像が崩されるように、自分の中の「ねばならない」を一つだけ、そっと手放してみませんか。

残りの休日、温かいお茶でも飲みながら、心ゆくまで
「何もしない自分」を楽しんでくださいね![]()