俺には30年も持ち続けているCDが9枚ある。

初めてCDプレーヤー付きコンポを買ったのが15歳の時で、同時にCDを9枚購入し、それを今でも持っている。(その後コレクションは8000枚以上に増えたが😅) 


その中の1枚がpeter gabrielの『so』で、sledgehammerを気に入っていたんだ。




今となればダニエル・ラノワのプロデュースワークを無意識に気に入っていた自分に驚くが(9枚の内、3枚がラノワプロデュース)、当時はバックボーンも知らずに嬉々として聴いていた。

30年経った2018年に聴いてもこのアルバムは素晴らしい。





コマ割りの労力を積み重ねたプロモーションビデオも合わせて、語り継がれる名作。

ジェネシス時代は奇抜なメタモルフォーゼに隠れていたゲイブリエルだが、素の彼もぶっ飛んでいたんだなぁ。

カクテル『スレッジハンマー』を飲みながら聴くのも良いですね。

ガツンとくる(笑)







最近YESをよく聴いている。

どの年代の彼等も素晴らしいのだが、殊更90125を車で聴いている。

今の時代に聴いても、全く音が風化していないことに驚くのだ。

その90125YESをプロデュースしたのがトレバーホーンで、俺が彼を知ったのは、1981年8月1日のMTV第1回のプレミアビデオとして、バグルスのラジオスターの悲劇が流れたという歴史的な事件があったからだ。

彼はその後プロデューサーとして大成するが、バグルスでの彼はポップスとプログレとテクノを程よく混ぜた新しいボードで、まさに時代の波に乗っていた。






俺は埼玉県に生まれ、育った。

埼玉県とは適度に田舎で。
でも東京には近く。
でもその距離は実際のソレよりも埼玉県の人間には長く感じられるモノで。

単純に、『東京コンプレックス』が荒川沿いに横たわっているんだと思う。


19才で高円寺に住み、
28才で立川に住み、
30才で中央区に住んだ。

でも俺は落ち着かなかった。


見慣れた風景が。
夕暮れ時の、郊外の。

オレンジ色に染まる県営団地のシルエット。

俺はその枠にはまって青春を過ごしたんだ。





最近、不意にエイリアンズを聴いた。
テレビのCMで流れてきたんだ。

15~6年前は毎日聴いていたのに。



変わりすぎる人も、
変われない人も、
どちらも嫌だし、なりたくない。


俺は今も荒川を渡れずにいたあの頃の俺だが、44歳なりの翼は手に入れた。














3月16日、渋谷のON AIR EASTにグラハムボネットを観に行った。

グラハムももう69歳。

そう長い活動はないのだろう、と高をくくっていたんだ。



でね、実際観てみたらその思いは良い意味で裏切られた。






思わずyoutubeに上げてしまった。


69歳でこの声量!!


なーんだ、まだまだやれるじゃん、この勢いなら(笑)




また来てよ、グラハム。

俺は必ずまた観に行くよ。









東南アジアの屋台街には共通の雰囲気というか、匂いがある。

それを不衛生と言うのは簡単だが、そこに文化があると俺は思っていて。

どの国のどの街角も24時間眠ることはなく、市民の胃袋を満たしている。



どこでも食べられるものは地元で食べる。

ここでしか食べられないものを食べたい。