日本語の美しさとは? | 出口汪ブログ「一日生きることは、一日進歩することでありたい。」by Ameba

日本語の美しさとは?



日本語の美しさとは、果たしてなんでしょうか?
私はその精神性だと思います。

たとえば、日本は昔「わ」と呼ばれていたのですが、これはもともと
中国が与えた別称でした。「倭」とはみにくい、やばんな国という意味です。
私たちの祖先はそうした中国に反抗することなく、いつの間にか「和」という
平和や調和を意味する美しい言葉に入れ替えたのです。

日本の言葉には魂が宿っています。
私たち日本人は平和や調和を求める民族であり、そうした精神性はその言葉に表れています。

「日本語の練習問題」で最初に敬語を取り上げたのは、何も文法としての敬語や正しい敬語の使い方を書きたかったからではありません。
それよりも大切なのは、敬語を使う時の心のありようなのです。
「尊敬語」「謙譲語」「諦囈語」と、こうした言葉の使い分けは、それだけ日本人が相手を敬い、自らをへりくだり、相手といかに調和するかが、日本語の使い方の中に現れているのです。
これほど敬語が発達した言語は他に例がありません。
それほど日本人は昔から相手を尊重し、過度な自己主張を抑えてきたのでしょう。まさに「おもてなし」の精神ですね。

「日本語の練習問題」では、論理では説明できない微妙な心情、深い思いをどうやって伝えるか、そういったトレーニングを積み重ねていきます。
日本語は視覚、聴覚、嗅覚、触覚、、身体に根ざした、しかも五感をふるに使った言葉です。さらに五感を超えた表現として、幻視という手段さえ持っています。
そうした日本語の使い方を知ることで、私たち日本人というものを発見し、日本人とは何かを再認識して欲しいのです。

声高に人をののしり、他国を罵倒する政治家達の日本語は果たして美しいでしょうか?
日本人は世界に向けてどんな言葉を発信しているでしょうか?
あなたはどんな日本語を使っていますか?