庄司薫とアポロ11号とピラミッドについて | 出口汪ブログ「一日生きることは、一日進歩することでありたい。」by Ameba

庄司薫とアポロ11号とピラミッドについて

庄司薫が「赤頭巾ちゃん気をつけて」で、芥川賞を受賞したのが昭和44年。
 機動隊が東大の安田講堂に立てこもっていた学生を排除したのがその年の1月19日、翌20日にその年の東大入試の中止が決定されました。
 僕はその時中学三年生で、テレビでデモのニュースを見ながら、すべての大学入試がそれ以後中止になるのではと、密かに期待したものです。あの頃は、社会を変えようと、若者達の間に何とも言えない熱気があったのです。
 「赤頭巾ちゃん気をつけて」の主人公の薫は都立日比谷高校を卒業したものの、まさに東大入試の中止のあおりを受けて浪人を余儀なくされます。そういった意味で、この小説は時代が生み出したものと言えるかもしれません。
 その後、「さよなら怪盗黒頭巾」「白鳥の歌なんか聞こえない」と、矢継ぎ早に薫ちゃんシリーズが刊行され、庄司薫は大ブームを巻き起こしました。当然、僕もそれらのシリーズを夢中で読んだ一人です。

 そして、しばらくの沈黙の後、昭和52年にこのシリーズ最後の「ぼくの大好きな青髭」が刊行されました。「白鳥の歌なんか聞こえない」から、何と八年も時間が経過していました。
 「赤頭巾ちゃん気をつけて」が刊行された昭和44年は、1月に東大入試の中止決定、6月にGNPが世界二位と発表され、7月アポロ11号が月面着陸に成功と、日本中が異様な熱気に包まれていました。
 そして、この「さよなら怪盗黒頭巾」はアポロが月面に到着したまさにその日の新宿を舞台にした小説なのです。
 だが、この小説が刊行された時には時代はすっかり変わってしまい、その間に、私たちは「よど号」ハイジャック事件、三島由紀夫割腹自殺、連合赤軍事件をテレビの画面で目撃します。
 昭和44年のあの異様な熱気は何だったのだろうか、こういった思いで「さよなら怪盗黒頭巾」を読んだら、次のような場面に目がとまりました。

「きみはまるでピラミッドの仲間みたいじゃないか。」と彼は険しい声ではき出すように言葉を続けた。「まず名前はって訊く。そして次は住所さ。そして生まれは? 両親は? 学校は? 成績は? 特技は? 希望は? ってさ。そうしてみんなカードに記入する。そうしてぼくたちをピラミッドにとじこめるんだ。」
「この世界はピラミッドの集まりだ。生まれ落ちたとたんから、おれたちはピラミッドに圧しひしがれている。家柄のピラミッド、貧富のピラミッド、能力のピラミッド。そして、幼稚園から大学へと連なるピラミッドの階級を、一段一段登るという形でおれたちは成長し、そのあとは会社や権力組織のピラミッドが待ち受けている。そしてその無数のピラミッドが集まって出来上がっているのがこの世界で、おれたちはみんなそのピラミッドの階段を息せききって駆け上らされ、そして自らその巨大な弱肉強食のピラミッドを作る小さな石になる。そんな世界のどこに自由があるんだ。いつの間にか、人間の文明全体がピラミッドになっちゃったんだ。そしてこの呪うべき文明の頂点にあるのが水爆なんだ。そんな、「存在そのもののもっとも基本的な原理であるE=mc²を大量殺人兵器として立証したところの水爆」を頂点に持つ文明なんて、いったい人類の進歩とはなんだったのか。しかも、その水爆を地球上至るところに確実に打ちこむ手段として追求された宇宙ロケットが、人類の夢のシンボルであった月を土足で踏みにじろうとしている今、世界中の人間が大喜びでみんなテレビを見ているんだ。こんな馬鹿なことがあっていいものだろうか。実は今こそ、このたった今こそ、水爆を頂点とする人類文明の悲惨なピラミッドが最終的に完成されようとしている象徴的時点なんだ。世界の終わりなのだ。それなのにみんなうれしそうにテレビを見ている。人類の進歩に感心したりしている。ピラミッド万歳ってわけなのだ。そしてきみたちは、そのピラミッドを崩さないために、そのためにまず名前を訊く。そして住所を訊き、家柄を調べ、学歴を尋ねるんだ。そしてカードに書きこんで、その人間がどのピラミッドのどのあたりの踏み石になるかを知って安心するんだ」
 彼はしゃべりながらいつの間にか涙声になり、ついにこらえきれなくなったのか背中を丸めて両腕の中に顔をうずめてしまった。」
                    「さよなら怪盗黒頭巾」より

 昭和44年、「赤頭巾ちゃん気をつけて」を書いた庄司薫が、連合赤軍事件の後、何を思ったのか、8年後の昭和52年に再び薫ちゃんの物語の続きを書き始めました。
 ところがその物語は何とも言えない哀切なメロディーを奏でていたのです。
 「さよなら怪盗黒頭巾」は、アポロ11号が月面着陸したその日の、新宿での一日の物語です。
 誰もがアポロ11号の月面着陸の瞬間を映し出すテレビ画面に釘付けになった頃、新宿では若者達が異様な熱気を持って集まっていました。
 あの頃はまだ彼らはピラミッドを崩せると、かすかな期待を抱いていたのです。

 アポロ11号の月面着陸成功は、やがて原水爆を正確に目的地に打ち込む手段につながっていく。そうとは知らずに、アポロ月面着陸に無邪気に拍手喝采した私たち。
 そうやって私たちは知らないうちに頑丈なピラミッドの中に組み込まれていったのではないでしょうか。

 庄司薫が「さよなら怪盗黒頭巾」で哀切なメロディを奏でてから35年後、今や、ピラミッドは揺るぎないように思われます。いや、ピラミッドがあまりにも巨大化しすぎて、それにすでに組み込まれてしまった私たちはその存在すら実感できなくなっているのです。
 もはや昭和44年の若者達の熱気は失われてしまいました。
 教育は逆に、子供達を頑丈なピラミッドの中に組み込むための手段であるかのようです。
 だが、と私は思います。
 ピラミッドの象徴である原発が事故を起こした現在、私たちは自由を手に入れるために、もっと多くのことを知らなければならないのではないでしょうか。
 人間として当然の自由をもう一度自分たちの手に戻すために、もっともっと深く考えなければならないのではないでしょうか。
 自由とは、そのピラミッドを拒絶するところから始まるのではないでしょうか。
 真の教育とは、その自由を手に入れるためにこそあるのではないでしょうか。

 今こそ、私たちは人間であるために、自由を取り戻す戦いを始めなければなりません。それはかってのように徒党を組んでデモをすることではなく、一人一人が静かに立ち上がらなければならないのです。 
 一人ずつ巨大なピラミッドから抜き出すことで、そのピラミッドは土台から崩れ落ちていくはずです。
 だからこそ、私たちは強力な武器を必要としています。一人一人が自由を獲得するために、何よりも「考える力」が必要なのです。
 
 
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