「漱石の名言」六月発売決定。 | 出口汪ブログ「一日生きることは、一日進歩することでありたい。」by Ameba

「漱石の名言」六月発売決定。

相変わらずばたばたしていて、ブログを更新できませんでした。

正直、有料メルマガの執筆が思ったより大変です。


祥伝社新書「漱石の名言」、発売決定。

今原稿の最終チェックをしています。

どんな本なのか?


「はじめに」だけ、紹介します。


はじめに


 日本には、言霊といった信仰があります。
 言葉には魂が宿っている、日本人は昔からそう信じてきたのです。だから、祈りも呪詛も、すべて言葉によってなされます。
 聖書にも「初めに言葉ありき」「言葉は神です」といった言葉が記されています。宗教的な意味はともかくとして、少なくとも言葉には私たちの魂を揺さぶる何か大きな力があることだけは疑いようがありません。
 そうであるならば、漱石の言葉には漱石の人生が、思想が、哲学が、いや、漱石のすべてが籠もっているのではないでしょうか?
 そこで漱石の作品の中から、私が特に魂が籠もっていると思った言葉を拾い上げ、カテゴリー別に分けてみました。それだけでは物足りないので、一つのストーリーができあがるように、並べ替えてみました。すると、不思議なことに様々なものが見えてきたのです。
 漱石の作品の結晶、漱石の思想、哲学、漱石の人生の全貌、さらにその奥には人間の持つ普遍的な、実存的なテーマまでもが浮上してきたのです。
 私は夢中になりました。
 漱石は時代を超えて、私たち一人一人に語りかけてくれるのです。その時代時代で姿形を変え、一人一人にふさわしい形で語りかけてくれます。
 漱石が国民的作家であるということは、漱石が好きか嫌いかにかかわらず、誰もが首肯することではないでしょうか?
 それならば私たち日本人は、漱石を持った幸運をもっと享受するべきです。
 ところが、殆どの人たちは漱石と出会っていないのではないでしょうか?
 せっかくこの国に生まれながら、私にとってこれほど勿体ないことはないと思えるのです。
漱石は物事を表面的にしか捉えない人には、強烈な警告を与えてくれます。その一方、真剣に、深く考える人に対して、その人の深さに応じて大きな謎を幾つも突きつけてきます。
 漱石は答を教えてくれない、厳格な教師です。
 その答は、私たち一人一人がその人なりに、生涯にわたって育んでいくものですから。
 でも、漱石の言葉、漱石の言霊を胸に育むことで、私たちは人間に対する認識を深めていくことになるのです。
 漱石の言葉はまさに言霊そのものであり、それ故人類に対する祈りの言葉でもあるのです。

                                                             出口 汪

 
封印されてしまった漱石


 夏目漱石は国民的作家として、今まで多くの人たちに親しまれてきました。
 ところが、私たち現代人がその漱石を果たしてどれだけ読んでいるかというと、とたんに心もとなく思えてくるのです。
 「吾輩は猫である」はもう私たちにとっては古典であり、あの難解な文章を読みこなせる人は少ないのではないでしょうか?
 高校時代、学校では「吾輩は猫である」をユーモア小説と習ったかも知れませんが、その笑いは狂気と表裏一体だったのです。「坊ちゃん」のあの単純明快さ、突き抜けた明るさは何だったのか。
 漱石の文学は一筋縄ではいきません。
 それなのに、たいていの人はせいぜい「坊っちゃん」と、あとは教科書に載っている「こころ」の一場面だけを読んで、漱石を知っているつもりになっているのではないのでしょうか?
 その「こころ」でさえ、私たちは作品全部を読んだわけではなく、ましてやあの難解な作品を理解した人などそう多くはないと思います。
 たとえば、「こころ」の先生は、何故自殺をしたのでしょうか?
 先生はかって親友のKを裏切って、お嬢さんを奪い取ってしまいます。Kは自殺し、先生はその後何事もなかったかのようにお嬢さんと結婚するのですが、もし先生がKに対する罪の意識から死を選んだのならば、なぜKの自殺直後に死ななかったのでしょうか?
 先生は「遺書」の中で、「明治の精神に殉死する」と綴っているのですが、その「明治の精神」とは何でしょうか?
 後期三部作と言われる「彼岸過ぎまで」「行人」「こころ」は、漱石の最高傑作の一つですが、これらの作品を私たちはどれほど読みこなしているのか?
 唯一の自伝小説「道草」はどうなのか?
 おそらく大抵の人は心もとなく思えてくるはずです。

 漱石は私たち日本人の財産であり、珠玉の宝です。
 ところが、私たちはいつの間にかその漱石を手放してしまったのではないでしょうか? 漱石は文学史かなんかの、単なる記号の一つとして処理されてしまったように思えてならないのです。
 それではあまりに寂しい。
 そういった思いが本書の執筆動機の一つです。
 でも、今本書を執筆していて、もう一つの思いが頭をもたげてきました。現代こそ、漱石を必要としているのではないか、と。
 漱石は現代こそ生き生きとその姿を蘇らせることができるのではないのか?
そこで私は漱石の言葉を単に解説するだけではなく、現代を解くキーワードとして一つ一つ丁寧に取り出そうと思いました。その作業は否応なく、私を、いや私たちを、現代に対峙させることになるでしょう。
 漱石の言葉を通して、私たちは現代人の心のありようを、新しい視点から捉え直すことができるはずです。
 そこに、著者のもっとも大きな狙いがあるといっても過言ではないと思います。