予備校小説 | 出口汪ブログ「一日生きることは、一日進歩することでありたい。」by Ameba

予備校小説

 昨日はなんだか疲れ果てて、ほんの少ししか執筆できませんでした。新潮社の自伝的小説、昨日執筆 した分を披露します。大手予備校講師である主人公が、講義中、自分の過去を語るシーンです。


 僕は君たちにいつも論理・論理と言い続けて、まるで論理のロボットのように思われているかも知れないが、実際の僕は感覚人間で、君たちの頃は鼻持ちならない文学青年だったんだ。
 幼い頃は、他者意識などかけらもなかった。社会性はゼロで、自分が目を覚ましているときだけ世界は存在し、自分が目を閉じているときは世界が無になるとどこかで漠然と思っていたくらいだ。
 弟の頭を何の理由もなくごつんと叩いて見る。すると、何とその弟が泣くではないか? 自分以外の人間が、自分と同じような感情を持っていることが、その時の僕には不思議でならなかったのだ。
 教室の中のあちらこちらで、小さな笑いが起こった。生徒たちが次第に僕の話に集中し出しているのが分かった。

 僕が高校の時は事情があって、田舎の祖父母の元で暮らしていた。僕はこれまでの人生で自分の祖父母ほど変わった人間に出会ったことがない。
 祖父は平和運動をやり、世界中を飛び回っていた。朝は五時きっかりに起き、必ずNHKの朝の連続テレビ小説を見る。非常に几帳面で、何事も時間に厳しい。いつも穏やかで、僕は祖父の怒ったところを一度も見たことがない。
 戦時中は戦争に反対したため六年間も投獄され、過酷な拷問にもひたすら耐え続けた。それほど我慢強い人だった。
 ただ、たった一つの問題点は、家庭に一切興味を抱かなかったことだ。僕が蒸発しても、きっと一週間くらいは気がつかないに違いない。
 当然、僕の面倒は祖母が見た。というよりも、僕を絶えずかまいたがったのが祖母だったと言った方が正確だったに違いない。
 祖母は家事を一切しない女性だった。すべてはお手伝いさんがやった。僕は今まであれほどわがままな女性は見たことがない。
 たとえば、皿に蜜柑の山が盛ってあると順番に人差し指で突き刺し、その指をねぶって、あっ酸っぱいという。そうやって、一番甘い蜜柑を探し出し、幸せそうに目を細めて皮をむく。あとには、祖母の指の跡が残った蜜柑の山が残されることになる。
 風邪で病院に行ったときも、医者が注射を打とうとすると、人殺しと叫び声を上げる。
 祖父と祖母はこのように全く何もかも正反対だった。ちなみに祖父の誕生日は三月三日お雛祭り、祖母はと言うと、五月五日の端午の節句、信じられないような話だが、これは本当である。
 この瞬間、教室には大爆笑が起こった。僕は教壇に置いてあるコップに入った水をゆっくりと飲み干した。

 祖母は最初の孫であった僕は、目に入れても痛くないほどかわいがった。だが、祖母の脳裏にはしつけとか、教育といった概念が皆目ない。まるで猫をかわいがるようなかわいがり方だった。
 たとえば、お菓子をくれるときでも、必ず釣り竿の先にお菓子をつるして、幼い僕を釣って楽しんだ。
 万事その調子だったから、僕には一切しつけというものがなされなかった。
 僕は猿のように育ったのだ。
 朝自然と目が覚めて学校へ行くと、大抵は二時間目の途中だった。人から自分がどう見られているかという発想すら当時の僕にはなかった。いつも女のものサンダルを履き、雨の日は紅い傘を差した。家には祖父の下駄以外に、女物の靴しかなかったからだ。
 冬の朝は着替えるのが寒くて、パジャマの上から学生服を着た。首が苦しくて、上から順番にボタンをはずしていった。
 隣の家に、僕より一学年上の親戚がいて、僕はよくその家に遊びに行ったのだが、僕が来るとその家の人たちは慌ててすべての靴を隠したらしい。何でも、僕は汚いサンダルを履いてきて、帰りには必ず一番高そうな靴を履いて帰るというのだ。
 僕にはそのような自覚はなかった。おそらく自分がどの靴を履いてきたのか、記憶していなかったのだろう。
 また大爆笑が起こった。僕は教室が少し静まるのを待った。あまり雑談が長すぎると、講義に戻りにくくなる。僕は話を切る頃合いを慎重に探していた。

 僕はすぐに物をなくしてしまう。おそらく物に対する執着そのものが希薄なのだろう。中でも忘れやすいのが手袋だ。買ってもらっても、大抵は二、三日でどこか行方不明になってしまう。
 当時、僕は京都の田舎の方に住んでいたのだが、冬の朝の寒さは格別だ。学校に行く途中、指がかじかんで我慢ができなくなる。そこで僕は懸命に考える。
 指は剥き出しで、直接外気に触れているからかわいそうだ。それに対して、足の指は靴に守られているだけ恵まれているのではないか、と。
 そこで、僕は靴下を脱ぎ、それを手袋代わりにする。そういった意味では、靴下ほど便利な物はない。手袋になったり、本来の役目に戻ったりと、万能だ。
 僕はあの頃完全な感覚人間だったのだが、こんなことを考えていたかぎりでは、まだ多少は論理力があったのかも知れない。
 また生徒が爆笑した。中には笑い転げている生徒がいた。教室は和やかな空気に包まれていた。僕はそろそろ雑談を切り上げようと思った。

 こんな感覚人間であった僕でも、論理と出会って変わった。僕がどうやって論理を武器に人生を変えていったのか、この話の続きは次回のお楽しみ。
 僕はそう言って、教科書を開きだした。