父は5人きょうだいの末っ子だ。

兄が1人と姉が3人。



父の自分第一の性格は

末っ子で可愛がられていたからなのか

と思っていたが、、

数年前から

もしかして

父はアスペルガーなのかも、、

とも思うようになった。



父の実家は創価学会反対派。

なのに両親の結婚式は会館でやったらしい。


毎年お盆とお正月、

父の実家で一族の集まりがあった。

私の母は一族から嫌われているな、というのは

子供の私でも気づいていた。



その集まりで

母は精一杯気を使っていた。

皆が居心地良く過ごせるよう、

お手伝いさんみたいに動き、

私にも配膳や座布団の出し入れなど

手伝いをさせたり。



この集まりに来るいとこは皆私より歳上だった。

といっても、いとこは私を抜いて4人しかいない。

一回り以上離れた従兄弟が2人

重度知的障がいの従兄弟が1人

2つ歳上の従姉妹が1人。

わたしはこの従姉妹が好きだった。

身内で目上だけど、あれこれ指示はしない

同性で一緒に過ごすときはいつもお世話をしてくれる。従姉妹じゃなくお姉ちゃんだったらよかったのになって、今でも思う。



そんな従姉妹、

中学受験のために小五から勉強漬けになった。

私と会える時間より勉強のほうが大事で

この辺りから会う回数が減っていった。



今思えば

従姉妹ちゃんのお勉強を邪魔したくないから

集まりへの参加は遠慮しますね、

と母が言っていたのかもしれない。

後にその従姉妹は医者になった。



従姉妹とも母方祖母とも、

私は、せっかく同性の身内と

深く長く信頼し合える存在を

つかみかけては

離れてしまう、、そんな感じだった。



従姉妹は

父の兄の子供で、

父方祖母と従姉妹一家は同居していた。

そして従姉妹は父方祖母のことをおばあ様と呼び、

おじやおばのことは

おじ様おば様と呼んでいた。



私は両親から

祖母やおじおばの呼び方について

何も言われなかった。

だから従姉妹みたいに

様付けで呼ぶのはためらわれたし、

かといって、おばあちゃんとかおじちゃん

なんて呼ぶこともできず、

やりにくかった。


母からは敬語は使うように言われていたので

二人称を用いずに敬語は入れて話すという

なんとも疲れる親戚だった。



父の兄や姉たちは、

創価学会のことは嫌いでも

父のことは可愛かったようで

よく我が家に様々なお裾分けなどを届けにきた。

その都度私は

きちんと挨拶やお礼を敬語でしないといけなくて

地味にストレスだった。

それを強制する母のことがなんかいやだった。



男尊女卑

年功序列

排他的

そんなイメージかな、父方の親戚は。