昨日の話の続きです。

 

 

「ライフワーク」「天職」には、

まずは、自分の「喜びの源泉」をやることが大事ですが、

組織勤めでそれをやるなら、他にも大事な要素があります。

 

今日は、組織勤めならではの、「ライフワーク」「天職」をやるために大事な要素である、

1:組織と自分の、ビジョン(理想、目標)や価値観の相性

2:組織にいる人たち、そんな人たちが作る職場環境と、自分の相性

のうちの、2のお話を。

 

2:組織にいる人たち、そんな人たちが作る職場環境と、自分の相性

「需要と供給」だけではなく、

仕事をする環境、

社内の人間関係も、もちろん大事です・・・。

 

「人間関係」に関しては、

経営者なら、雇う人との関係、

個人事業主なら、同業者や取引先のネットワークとの関係、になりますが、

どちらも、自分で選びやすいでしょう。

ですが、組織に勤めるなら、

人間関係は、ほぼ、選べません。

 

人間関係もまた、「与え与えられる」ものですから、

需要と供給、と、ニュアンスは少し違いますが、

与える・与えられるが、

お互いのためになっており、

win-win、共に拡大発展できることが大事です。

 

例えば、いくら、自分が、喜びの源泉の仕事をやっていたとしても、

それによって、周りが、「やりたくない」仕事を押し付けられて苦しむとか、

好き勝手やった分のしりぬぐいを、周りが「やりたくないのに」やってつらいとか、

そういうのでは、不健全です。

各自が、各自の喜びの源泉の仕事をやり、

それで、ぴったりと、社内で必要な仕事が回る、

それが、組織で「ライフワーク」「天職」をやる、ということです。

(つまりは、誰かのしりぬぐいをやることになっても、

その「しりぬぐい」を、喜びの源泉としてやる人がいれば、それでOKです。

こうやって、互いの「喜びの源泉」で、補い合えるのが、

組織で「ライフワーク」「天職」を皆でやる強みです。

 

 

また、同じ部署とかで仕事をしているなら、

接点が全くなく、独立している場合を除いて、

接点が少しでもあるなら、

互いの存在が、「集団」という人間関係の中で、影響を与え、与えられています。

 

この、人間関係が、健全であるか、

そして、「集団」が、

健全な信頼関係があり、

皆で発展していけるものになっているか。

も、すごく大事です。

 

組織で「ライフワーク」「天職」をやるならば、

少なくとも、自身と、「集団」、そこの人間関係が、

不健全になっていないことが必須です。

 

 

私の場合は、ここが「不健全」になってしまっていたので、

真の意味での「ライフワーク」「天職」ではなかった、と。

私にとって、今の職場での、個人プレーの仕事や、

その仕事内容を伝えて指導する仕事は、

どちらも、「喜びの源泉」でしたが(「指導」のやりすぎはストレスなので、ほどほどに、ではありましたが。)、

その結果、

・「(私)さんができるから、(私)さんに任せておけばいいや」

・「(私)さんがいるなら安泰だ」

・・・のように、周りが私に甘えて依存してしまったのですね。。

 

 

もし、健全な集団だったら、どうなったか、というと、

・「(私)さんはすごいなあ、自分もすごくなるように頑張ろう」

・「(私)さんがすごいから、自分も一緒に、部署を支えたい」

・・・のように、各自が、

自分の力をもっとつけて、成果出すぞ! とか、

私のような、自己実現して「デキる」成果が出ている人と一緒に仕事が議論できるようになるくらい、自分も「デキる」ようになって、協力し合おう、とか、

自分も、自分が得意なことをやって、私のような他の人ができないことをやって、助け合おう、とか、

自立して、自分の役割に誇りをもって、発展していき、

皆で信頼関係を築いて支え合う、

そんな集団になっていったのだろうと思います(あくまで私の理想ですが)。

 

 

私が、喜びの源泉を満たすために動くと、

集団が不健全になってしまうなら、

そこは、真の「ライフワーク」「天職」ができる環境ではありませんし、

そんな環境でやることは、真の「ライフワーク」「天職」ではないのです。

 

 

もしかすると、この「集団」に関しては、

いやいや、集団を構成する人たちに、変化を促せばいいのでは、

変化を促すことも含めて、「ライフワーク」「天職」なのでは、

という意見もあるかもしれません。

ですが、私は、正直、そうは思いません。

人は、自分で「変わりたい」と思わなければ、変わりません。

集団を構成する人たちの「変わりたい」というニーズがなければ、

変化を促すだなんて、余計なおせっかいもいいところです。

 

そんな、ニーズがなく、余計なおせっかいになりそうなことが、

「ライフワーク」「天職」であるはずがありません。

 

実際に、その集団の中で、自分が「喜びの源泉」を満たすように、のびのびと振る舞って、

一定期間、様子を見ることで、

集団と自分の相性がわかります。

その、「様子」が、

集団のニーズも含めたすべてを物語っているのです。

 

 

・経営陣や集団と距離を保つことができれば、1,2を満たさなくても、

自分の「喜びの源泉」の活動に集中でき、「ライフワーク」「天職」になるかもしれない

今の職場のような、

自分の「喜びの源泉」の活動が、完全に個人プレーであり、

経営陣との接点はもちろん、集団つまり主に平社員たちとの接点もほとんどない、

そのような環境を獲得できれば、

自分は、自分の世界に集中できるので、

上の1,2を満たさなくても、「ライフワーク」「天職」ができる可能性は、あります。

 

とはいえ、これは、よっぽど限られた仕事、組織でないと、難しいでしょう。

この1,2の要素が少なくともあるから、

組織で「ライフワーク」「天職」をやることを、難しいか、ほぼ不可能だと思ってしまっている人が多いのかもな、というお話でした。

 

もちろん、1、2を満たすことができれば、

組織で「ライフワーク」「天職」は、できます。

私がその存在を知らないだけで、

この世のどこかに、そういう人もいると思いますよ。