ゆっこ先生の記事↓

 

私の「そうそう!」「激しく同感」率が高い話が多いのですが、

今回も・・・!

 

食べ方は生き方、

どう食べたいか、は、どう生きたいか、だ、というお話がされています。

 

安いものでいいと、特売品ばかり選んでしまう

→あなたも、安く買いたたかれたいですか???

 

便利さだけにこだわる

あなたも、誰かに便利に使われるだけで人生終えたいですか???

 

とにかく、手間をかけずに、手軽に

自分に手間かけてない生き方を、していらっしゃるのですね(´;ω;`)

 

 

・・・すみません。私の毒舌仕様上、

こんな例ばっかりで苦笑。

 

もうちょっとポジティブな例を、、

 

食事にかける時間がもったいない。〇〇(好きなこと)をやりたい

自分より〇〇を優先しているのですね!

 

これは、〇〇に人生捧げます!という人なら全然あり。

(なので、私の中では、ポジティブです)

 

誰かと一緒に食べると、一人で食べるよりおいしい

人とエネルギーのやり取りをするのが、お好きなのですね!

 

一人で静かに、食べ物と向き合って、味わうのが好き

食べ物が好き、それはつまり、自分が好き・・・!?

(私のことです)

 

自分のために作った食事がおいしい。弁当よりずっとおいしい。

自分への愛が素敵です・・・!

 

みたいな。

 

 

私自身、

体は、摂った栄養で作られているのだから、

私たちの体は、食べたものでできている。

という価値観を持っています。

ですが、それだけではなさそう。

 

食べ方で、

食べ物に、どういう感情を向けているかで、

食べ物の栄養とかが、どれくらい吸収され、骨肉になっていくかが決まる、

のかもしれません。

 

 

最近ですと、人工物も多いですが、

それを原料レベルまで分解してみていくと、

全ての食べ物って、自然の恵みからできているのですよね。

(人工の添加物は除く)

 

人も、自然です。

自然である人が、自然の恵みの食べ物をいただく。

ものすごく「自然」なことだから、

そこに、人の生き方の本質が出る、のでしょう。

 

こちら、引用されている記事↓

 

 

私が、一番同意したのは、ここです。

 

(引用ここから)

無哲学の食べ物と
哲学な食べ物との
2つの世界が並行して
流れていく

そして、そのどちらを食べるかで
大衆として生きるか
個人として生きるか
大量消費的に生きるか
熟成し丁寧に生きるか
大きく変わっていくのだと思う

(ここまで)

 

 

 

ここの部分だけ、

「食べ方」よりも「食べ物そのもの」の話かなあ、という印象です。

 

無哲学と哲学、という言葉が遣われていますが、

私は、「作り手の意思」かなあ、と思っています。

 

大量に作って安く売って儲けたい(薄利多売)、

地元の自然の恵みを届けたい、

会社のノルマで、商品を作らされている、等々。

 

この差が一番出るのが、お菓子、サプリメント(プロテインも)だという印象です。

 

食べ物に限らず、

「売って稼ぎたい」という意図で作られる商品と、

作り手の「いいもの・好きなモノを届けたい」という意図で作られる商品とは、

私が受ける印象が全然違いますね。

でも、その差を一番感じやすいのは、やっぱり食べ物です。

それだけ、

体にモノを入れる、取り込む、というのは、

とてもデリケートなことなのですよね。

 

といっても、商品がどうこう、というのも重要ですが、

自分が、どういう気持ち・意図で、その商品と接するかが一番大事なので、

やっぱり「食べ方」が大事、ということになるのかな。

 

 

「何を食べるか」がすべてだ、と思ってるっぽい人に

「(私)さんは、お菓子とか、食べるんですか??

存在がオーガニックだから、食べなそうだと思ってました」

なんて言われたことがありました。

存在がオーガニック、ってなんだそれ笑。

 

でも、私は、上に書いた「薄利多売」の代表選手っぽい、柿の種、

好きで、時々食べてますよ笑。

あと、ポテトチップス(シンプルな塩味で、砂糖なし)も食べますよ。

これまた、「ポテト」系が大好物ですから。

(言われてみると、それ以外には、大量生産のものは、食べてませんが、、)

好きだから食べる、

ただし、依存的には食べない、

それでいいんじゃないかな、と。