1日の夜には、

「足ぷろ東海」のみゆきさんの天職部上映会に参加しました。

お題は、「災害と固める反射・原始反射」。

てっきり、被災経験者向けかと思っていたら、

さすが、私の直感に従って参加しただけのことはあり、

「災害」に限らず、

「変化」

「環境の破壊と再生」

「自己変革」

にも通じるものが、大いにありました。

 

つまり、今、職場を辞める方向に進んで、

同時に、来年からの新たな道に向かってもいる、

そんな私自身にとって、大いにシンクロする内容だった、と。

 

やはり、

足ぷろや反射の統合のトークで、ネタが私とシンクロする人が選んだお題は、

私へのメッセージ感がすごいですね(驚

 

 

で、天職部上映会では、シェア会といって、

上映の講演を聞いたあとに、各自、感想や気づきを伝える時間があります。

そのとき、私がぽろっと発した言葉が、

我ながらすんごいことを言ってしまったな、と感じたのと、

みゆきさんに「今の、録音したかった」と、ありがたい言葉をいただいたこともあって、

さっそく記事に起こしました。

 

その言葉とは・・・

 

「災害」というけれど、

原始反射、特にモロー反射がまだ統合されていないがゆえに、

「頭ではダメだとわかっているけど、体が動いて行動してしまう」

そういう状態は、ある意味「自然災害」みたいなもの。

 

反射を統合して、

行動したいときだけ行動でき、行動を制御できるようになれば、

そして、のびのびと成長すれば、

その人本来の「自然の恵み」という存在になれるのでは。

 

すべての人は、本来、自然のような存在。

自然の本来の姿が、きれいで、癒しや恵みであるように、

すべての人は、本来、きれいで、いるだけで恵みになる存在である。

そのような存在であるには、反射を統合してこそ。

 

です。

 

統合が不十分でも、「自然の恵み」にはなれますけど、

統合が進めば進むほど、豊かな恵みになりますよ、と。

 

 

反射の話とかを知らないと「なんのこっちゃ」でしょうから、

これから、詳しく説明します。

 

・反射は体の反射的な動き。未統合だと、頭でコントロールできない。

モロー反射とかの「原始反射」は、

その名のとおり、体がとっさに、反射的に反応して動くことです。

モロー反射の場合は、

赤ちゃんが転びそうになったら、

衝撃とかを少しでも和らげるための「体の本能的な反応」として、

全く、思考や有意識を通さずに、

直接、体が勝手に動いて、

「パッと体を大きく広げて、その後、ゆっくりと丸くなる」という体勢をとります。

(体表面積を広くして受けるほど、痛みや衝撃が分散されやすいから)

 

これ、「危ない!」とか、「広げよう!」とかの、脳内会話が一切なく、そうなるんですよ。

思考や有意識を通さないって、そういうことです。

通さないから、動きが速いし、

思考や有意識で気づいて「止める」ことができません。

気づいたときには、既に動いてしまっている、

それくらい、速いです。

 

で、このモロー反射が統合されず、

「勝手に体が反応」するまま大人になったら、どうなるかというと。

最たる例が、

「被災地に個人で支援をしてはいけないと、頭ではわかっているのに、

体が勝手に動いて、支援行動をしてしまう、被災地に向かってしまう」

のだそうな。

すごいな。元の行動力が高すぎやろ

 

モロー反射の反射的な反応行動は、

「攻撃本能」から来る反応行動全般です。

ファイティングポーズでする行動すべて、

プレッシャーがかかると燃えて行動できる、とか、

積極的な行動、

チャレンジ行動、など。

 

悪く出ると、

自分がちょっとでも否定された・されそうと感じたら、

すぐ相手に噛みついてしまうとか(言葉で)。

 

よく出ると、

アイデアを思い付いたらすぐ行動、

チャレンジネタを思いついたらすぐ行動、

とかの、ガッツ・バイタリティーある人になります。

新しく事業を立ち上げて成功する人には、おあつらえ向きの気質ですかね。

で、そういう成功体験があるほど、自己信頼感が高いでしょうから、

そりゃ、上に書いたように、「支援したい!」と、反応してしまう・・・という話なのかもしれません。

 

 

・どうして「頭ではわかってるけど体が動く」が「自然災害」になりえるのか

私は、この「支援したい」の話を聞いて、こう感じました。

 

それだけすぐ体が動くって、どんだけよ。

どんだけ「貢献しなきゃ」のプレッシャーを自分の体にかけてるんよ。

貢献欲、強すぎでしょ・・・。

 

と。

(私自身、貢献欲が低いので、そう感じました。

私は貢献欲が低いので、

直接求められるか、

私自身が自分のためにやりたいという欲が出るか、でないと、

体が動きません。)

 

で、これは私の勝手な解釈なのですが、

その欲が”強く”ある、ということは、

「自分はまだ、それが十分に、満足いくほどできていない」

という欠乏感が、

深層意識にある、ということです。

 

「貢献」に対する枯渇感の深層意識には、

「自分には貢献行動が足りてない」

「貢献しないと自分は価値がない」

というものがあることが多いと思います(あくまで推測)。

 

このような、欠乏感が、深層意識にある、

そして、欠乏感から行動をしてしまう、

それこそが「自然災害」なのですよ・・・。

 

余談ですが、欲といっても、色々あります。

私が強く持っている「知的好奇心モンスター」「探究心お化け」的な、知的欲求は、

自分の心を満たすかどうか、だけに関します。

そういう、精神的要素に関する欲求が強いのは、

単に、「おなかが空いているだけ」みたいなもので、

行動しても、「おなかすいたからご飯食べた」「知りたいから本読んだ」的な単独行動が多く、

さほど、迷惑にはなりにくいです。(ならないとはいってない)

 

貢献欲もそうなのですが、

承認欲求、出世欲、名誉欲、物欲、金銭欲、

こういった、現実社会にあるものを欲し続ける欲求は、

自分でコントロールできない、他の人が絡む要素を求めてしまうので、

それゆえに、人に迷惑をかける可能性が高いことが、

自然災害級であるゆえんです。

行動の根っこが欠乏感なら、迷惑になる可能性が、ますます、高い。

 

★欲があっても、行動に移さなければ、「自然災害」にはなりません。

ただの妄想、願望とかで、平和に終わります。

すごく当たり前ですが、

行動して他の人に何か影響するから「自然災害」になるんです。

行動しなければ、何も起こりませんよね。

 

と、「欲が強く、すぐ行動に移してしまう」、

さらに、欠乏感から出る欲から、反射的に行動が出てしまう

それを、頭では止めたいと思っても、止められないので、行動してしまう

 

こんなふうに、

「わかっちゃいるけど止められない」というだけで

「災害級」ですよね・・・。

 

そもそも、「自分で自分をコントロールできない人は、危険」というのは、

多くの人が思うところでしょう。

アルコール依存症とかの「依存症」が、「危険」のわかりやすい例ですが、

今回の話の「支援」みたいな、

一見、本人が「よかれと思って」行動してしまう、有難迷惑

これもかなりの「厄介級」です。

 

 

・反射を統合すると、どうなるか

反射を統合すると、

今まで、多くのときに、とっさに出ていた、反射行動を、

「出しどき」にだけ、出すことができるようになります。

例えば、モロー反射の場合は、

「まさに戦場、勝負所」

「まさに、我が身にトラブルがあり、対応が必要」

というときだけ、冷静に、出したいだけ出すことができるようになります。

 

上の例のような、

「個人で支援してはいけないとき」は、

戦場でも勝負所でも、ましてや、我が身へのトラブルでもありません。

だから、そういうときは、反射行動は、出ようがありません。

必要がない、と、体がぱっと判断するからです。

仮に出そうになっても、頭で「今は支援するときではない」と、止めることができるでしょう。

 

こんなふうに、

反射をしっかり統合し、

反射による行動を、

体が「今は反応のしどころじゃない」と制御できれば、

行動しなくなるので、「災害」にはなりません。

・・・と言いたいところですが。

 

これは私の勝手な想像と推測なのですけど、

反射の統合が進めば、

「反射的な行動」を体+頭で「出し時」をコントロールできるようになる上、

統合する過程で、体の統合ポイントに触れたり、

体を観察したり、

体の成長と変化を楽しんだり、

と、

体に愛情をてんこ盛りでかけ続けて、受け取るので、

自ずと、満たされていって、愛の存在になっていくので、

欠乏感から欲が出て、その欲が反射的に行動になる、という現象自体が、なくなる。

つまり、「欠乏感から反射的に行動する」ことそのものが、なくなる。

そんな、もっと深くていいことになる気が、しますよ。

 

「被災地支援」の例だったら、

きっと、

「被災地の人たちは、皆、大丈夫。

自分たちの力で、うまくやっていくだろう。

自分は、自分の世界に集中し、自然体でいて、

何かしたくなったら、応援の気持ちを込めて、祈れば十分。」

みたいに、なっているんじゃないかな・・・?

 

愛の存在

=「そこに行くといい気分になれる自然環境」のような、

周りに愛、いい影響、いい空気感を、

存在するだけで自ずと与えてしまう存在
 

ということです。

パワースポット、観光名所、みたいな。

私が時々、「人もまた自然です」ということを書いているのは、

そういう意味も、含まれています。

 

いわゆる「自然体で生きる」というのは、

人の本来の姿である「愛の存在」として生きる、ということです。

 

もう一つの意味は、

人は自然だからこそ、

愛ではなく、欠乏感、無力感とかの存在になってしまえば、

そのような波動を放って、自然災害になりうる、という意味です。。

 

 

せっかく、貴重な肉体をいただいて、命をもって生きているのだから、

自然体で、生きたいですよね?

 

反射を統合するのは、生まれてから2歳くらいまでが理想、といいますが、

これは、自然の植物に例えるなら、

種から生まれるときの土台作りを、しっかりやりましょう、

根っこはりを、しっかりやりましょう、

それがあってこそ、植物本来の姿で、いきいきと育ち、素敵な存在になりますよ、

そういう話なのかなあ、と。

 

ということで、

私自身もそうですが、

「魂の道を行く」「自然体で生きる」を掲げている人は、

「反射の統合」は必須級です。

それを掲げるようになった、今このタイミングで、

反射の統合と出会い、統合を日々進めることができていることに、

ほんとーーーーに感謝です。

 

 

・災害(自然災害)を経験する=自己変革したい

→自己変革したいなら反射の統合がすごく大事

 

これは私の勝手な解釈ですが。

生きているときに、地震や台風とかで、自然災害に被災することは、

その人の人生にとって、大きなネガティブイベントになりがちです。

 

そして、

ネガティブイベントの本質は、

その人の「今までの何かを変えなさい、

変えて、自分本来の”自然体”に、もっと近づきなさい」

であることからして、

 

自然災害に被災する地に、

そのタイミングで住んでいる、

そんな生き方を魂が選んでいる時点で、

自然災害に被災するという経験を糧に、

今までの、自然体からのずれを修正するという、

勇敢な生き方をする、と決めてきた魂である

ということが、うかがえます。

 

あるいは、

自然体からずれてはいないけれど、

被災をきっかけに、「自分にできる、新しいこと」に気づき、

それを行動に移すことで、生まれてきた使命を果たすことにつながる

そういう可能性も、あります。

こういうルートの人だったら、

被災をネガティブイベントとは捉えない可能性が高いですね。

そして、もちろん、これも立派な「自己変革」です。

何か、合わないものを変える、という意味ではなく、

眠っていた才能を開花させる、という意味での「自己変革」ね。

 

自然体=

天から与えられた才能を、可能な限り使うこと

でもありますので、

才能開花、も、自然体にもっと近づく立派な要素です。

 

なんにせよ、

「自然」災害なだけあって、

その人の奥にある「自然」と、現実の自然とが、何か共鳴とかをする、

そのエネルギーの集まりが、災害を起こすほどパワフルになってしまう、

という仕組みか何かで、起こるのかな・・・と、いうのが、

私の、地震や台風とかに対する仮説です。

 

 

そして、「自然”体”」という言葉なだけのことはあり、

自然体で生きる、ということは、

肉体が、その最高の姿になっていることが、とても大事です。

そんな最高の状態に、肉体を成長させるための一つの大事な要素が、

「反射の統合」なのだ、と、私は思います。