私は、かなり、「安定志向」が強いです。

それゆえ、

同じく「安定志向」が強い両親の元で育つことを選び、

そんな両親が希望する、「安定志向の究極形態」の、国家公務員になったのだと思います。

 

で、この「安定志向の究極形態」というのは、

言わずもがな、「地の時代の安定」のお話です。

 

地の時代の「安定」というと、

・仕事が決まっており、収入が安定している。終身雇用が主体

・家を持っており、住む場所、家族、といった、身近な生活圏が安定している

(地域によっては、車も持っている)

 

ということを意味したのではないでしょうか。

 

だから、公務員や、大手企業、上場企業なら安泰、

このような組織に勤めれば、終身雇用で、定年まで守ってくれるし、

年功序列になりやすく、年と共に収入がある程度増えることも、それなりに保障されている(景気とかの要因もあり、確実ではないが)

 

だからこそ、家や車のような、大きな買い物が出来て、

それを持つことで、家庭も安定する、

 

というセットだったのかな、と。

 

ところが、

相変わらず「安定志向」が強い私は、

それだけでは、これからの風の時代は、不安定になる、と、察知しました。

冥王星水瓶座時代の今、

地の時代に、権力の暴力とかでもみ消した不正等が、どんどん明るみに出て、

歴史ある組織が崩壊するようになってきてますし。

もはや「絶対存在する組織」が存在しないのでは、といえる時代になってきました。

 

そもそも、今は、日本がGHQ体制以来暗によりかかってきた、アメリカが、何やら不安定ですし、

日本という国そのものも、少子高齢化だなんだと、不安要素が多いですし、、

国家レベルで、不安定なんだよなあ・・・

 

 

しかし、

最近、風の時代の「安定」が何かを察知し、

再び、安定志向の私は、安心感でいっぱいになりました。

そんな、風の時代の「安定」は、何かというと、

 

自分の肉体に搭乗し、

体の感覚や、感性を信頼して、

「自分の感覚」「ピンときた」「なんとなく」

を信頼して、進んでいくこと。

 

です。

 

自身の体感覚、直感、感性を

信頼して、

それに従って行動することが

安定な生活をもたらします。

 

「安定な生活」というのは、

精神面が安定し、心穏やかに生きる生活という意味です。

 

はたからみれば、

色々チャレンジしているし、

人によっては、仕事や住まいの場所をコロコロ変えていくのでしょうが、

外面は、変化が多くても、

本人の内面が、穏やかで安定している、

そういう意味での「安定な生活」です。

 

この先、何があっても、

自分は大丈夫だ、生活できる、

という、究極の自己信頼感という「安定」ですね。

 

自身の直感や感性とかに従うので、

変化がある方が、自然です。

変化しない=衰退=不安 です。

 

自分の肉体という筐体に乗って、動き続けるようなイメージですね。↓

 

ガンダムが動かないことは・・・ありえないでしょう。

それくらい、変化し続ける、動き続けるのが、自然だということです。

 

上に書いた「地の時代」の「安定」ですと、

物理的に、一か所にしがみつく、

というイメージですが、

風の時代の「安定」は、真逆です。

 

体に従って、動き続けるのが、

真の安定です。

もちろん、

そんな体をメンテナンスし、制御するために、

思考や理性も、重要な役割を果たします。

 

体に従う=思考を捨てる、ではないんですよ。

ここは、強調したい。

思考は、体を過度に制限してはいけないでしょうが、

使いどころは、あります。

いい例が、外の情報をみて、分析・判断するときです。

水瓶座の世界が語るように、

直感を構成する大事な要素の一つが

「高速で動く思考」です。

思考なくして、直感なし。

 

特に、今年2024年は、大いなる宇宙の意志に従えるかが大事、とはいいますが、

その「大いなる宇宙の意志」という情報を、どこでキャッチするかというと、

体です。

体が、キャッチします。

 

なので、

「自身の体感覚、直感、感性を

信頼して、

それに従って行動すること」

というのは、

自ずと、

大いなる宇宙の意志をキャッチし、

内なる自分(ハイヤーセルフ)と体内で融合させて

それに従って行動すること

を、意味します。

 

したがって、結局は、自分の体感覚や感性、直感に従う、でOKです。

 

 

・風の時代のパートナーシップ(陰陽要素あり)はどうなる

パートナーシップといっても、色々な形がありますが、

ここでは、算命学の陰陽論でいう、パートナーシップが、

風の時代にどうなるか、を考えてみます。

 

陰陽論でいうパートナーシップとは、

 

陽=パートナーシップの「主」。自分のやりたいことをやり遂げて、人生を生きていくことに、幸せを感じる。

陰=パートナーシップの「従」。

自分のやりたいことをやり遂げる、というよりは、

陽の人が、自分の人生を生きるのを、サポートしていき、

陽の人が、自分の人生を生きるのを見たり、応援したりすることに、幸せを感じる。

というものを意味します。

つまり、陰の人は、

「自分のやりたいこと」が、「誰かが自分の人生を生きるサポート、応援をし、身近で見ること」である、というわけです。

 

もちろん、ここでいう「陽」の人同士がパートナーシップをやり、

協同で何かをやり遂げるか、

完全に独立した道を生き、互いに見守り応援もする、とかもあるのでしょうが、

今回は触れないことにします。

 

では、この、陰陽論でいうパートナーシップとして、

地の時代、特に、家族制度込みでは、何が理想形だったかというと。

 

陽=大手企業や公務員など、

生涯年収が高く安定した職業につき、その仕事をやり遂げるか、

とにかく高収入で、何か事業をやり遂げる(男性が多い)。

陰=陽の人に養ってもらい、家庭をしっかり支える、専業主婦(主夫)。

でした。

 

実際、「優れた経営者は、家事をやらない」という言葉があるくらいです。

高い収入を毎年出し続けるには、事業に費やす脳や時間のリソースが多くなり、

家事なんてやってる暇はないのです。

だからこそ、家のことを「専業」でやって、生活を支えてくれる存在は、本当にありがたく、

それゆえ、優れた経営者は、配偶者をとても大切にしているそうです。

 

それでは、「風の時代」には、この、陰陽は、どうなるでしょうか。

陽が自己実現し、陰が、陽の自己実現をサポートする、というところは、同じですが、その在り方が、違ってくるでしょう。

 

陽=自身の体感覚、直感、感性を信頼して、

それに従って活動し続けることで、自己実現することに、幸せを感じる。

「魂がワクワクすること」だけに専念する。

陰=陽の人が自己実現をするのをサポートし、応援し、近くで見ることに、幸せを感じる。

陽の人が「ワクワクしない」ことを引き受け、生活を支える。

陰の人は、自身の「体感覚、直感、感性」に対して、陽の人ほど、敏感でなくていいし、それに従ったチャレンジとかもしなくていい。

 

と、なるのかな、と。

地の時代のそれとの大きな違いは、

陽が仕事、陰が家庭、とは限らない、ということです。

誰が何をやるかは自由です。

パートナーシップによっては、

陽が、クリエイターで、あまり儲けがないけど、楽しく自己実現をし、

陰が、陽よりも高収入の仕事をして、二人の生活を支え、家事もやる、

なーんていうのも、あるかもしれません。

それくらい、お互いが、具体的に何をやるかは、自由です。

 

 

風の時代の「安定」である、

「自身の体感覚、直感、感性を信頼」というのは、

私にとってはさほどでもないですが、

難しいと感じる人にとっては、きっと、難しいのでしょう。

全てを、自己責任で、判断しないといけませんし、

たくさん行動しないと、いけませんから。

なので、すべての人が「安定」の道をいけるか、というと、そうでもないでしょう。

 

人によっては、

自己責任で判断し、仕事を選んだり、自分で生み出したりしていくよりも、

思考停止で、収入が高い企業に勤めている方が楽だ、

という人もいるでしょうが、

思考停止した自分一人で生きていくか、

思考停止した仲間と共に生きていくか、では、

これからの風の時代、幸せに生きることができる、とは言い難いでしょう。

衰退していってしまうでしょう。

そういう人が、

風の時代、幸せに、心満足に生きるためには、

自身の体感覚、感性、直感に乗って生きている人を「素敵だ」と感じ、

この人を近くで見ることで幸せだと感じるし、

これからの人生、この人についていけば、大丈夫な気がする、と、

この人をパートナーにして、支えていく、

そういう形で「安定」を求める、というのが、

これからの陰陽のパートナーシップでの「陰」というキャラなのかもしれません。

 

・・・というか、

このパートナーシップに近しいことをやって儲けているのが、

YouTuberとかなんだよな、、

陰が陽のファン、というやつ。

陽の人の収入源は、陰のファンが落としたお金なので、

このパートナーシップっぽいことが、ビジネスモデルになってますね苦笑。

 

ビジネスモデルだけではなく、

リアルなパートナーシップでやっても、もちろんいいと思いますよ、私は。

というか、そういうパートナーシップ、既にたくさんありそう。

 

 

正直、私が思うのが、

お互い、自分で考えて、自分の感覚に従って動く人同士だと、

色々と楽しいし、面白いのでしょうが、

それだと、感覚が全く同じ人はいないので、

「共に生きる」という感じでは、なさそうなんですよね。

 

自分の感覚に従って動く、ということは、

一匹狼になる、ということです。

そんな人を一匹狼にせず、

共に生きるには、

その人の感覚を信頼してついていき、支えてくれる人、

そういう人の方が、相性がいいのかもしれません。

 

完全に信頼する、となると、依存になってしまいますが、

時には、

相手が「自分の感覚に従って」から、ずれそうになったときに、

何かを察知して気づかせてくれる、

その程度の感覚は持っているほうがいいですね。

 

自分の感覚に従って、といっても、

色々な要因(外とか、過去の自分のクセとか)に振り回されて、

ずれそうになるの、あるあるです。

だからこそ、

自分の感覚に従うという「安心」を得ている陽の存在ならば、

・従えているか、を、外からチェックして、ずれとかに気づかせてくれる

自分の感覚に従う=ワクワクすることだけやる、なので、

それ以外のことを引き受け、生活を支えてくれる

という、陰の存在は、かけがえのない、ありがたすぎる存在なんですよね。

 

ということで、

風の時代、

考えて行動できる人と、そうでない人とで、二極化が進む、とはいいますが、

「そうでない人」でも、

「考えて行動できる人」を信頼して、支えて、ついていく、

そういう生き方をすれば安定になるだろうし、

そのようなサポートをするために、

「そうでない人」が、一定数いるのかもしれませんね。

 

「そうでない人」といっても、

「ある程度考えることができる」方がいいに越したことは、ありませんが。