26~29日の4連休。

特に、27~29日は、ジム行く以外は完全ソロプレイだったので、

自分と話すいい機会でした。

 

ぼーっとする→自分と話す みたいな。

 

そんなときに、ふと、

ガラケーが壊れて今のスマホに変えたときに、

ショップの店員さんに言われた言葉を思い出しました。

「なんで、わざわざ、ガラケーとipod Touchを持って、

しかも、さらに、WiMAXまでつけているの?

そんな面倒なことしなくても、スマホにするのが普通だし、手軽ですよ」

 

はて、何かこれに似た「そんな面倒なことしなくても」ネタ、ありましたっけ・・・

 

すると、

人付き合いに関する、ネガティブ・ビリーフ(負の思い込み)が、出てきました。

 

「なんで、わざわざ、自分の話をブログに書いて、

しかも、後日、記事が上がったときに、自分で読んでいるの?

そんな面倒なことしなくても、

誰かに「身近な存在」になってもらって、

話を聞いてもらう方が、

普通だし、手軽ですよ」

 

私「いや、だって、

他の人にわざわざ話聞いてもらう、だなんて、

その人の時間とエネルギーを奪うから、失礼やん。

仕事話とかならともかく、

私のなんでもない雑談話聞いて、よかった、なんて人、おる?

私はおもろいから聞くけどさ。」

 

・・・改めて見ると、

我ながら、

ひ ど い ビ リ ー フ や な (沈

 

もっと掘ってみると、

どうやら、元母親の愚痴のはけ口にされてばかりだった記憶が強く、

「誰かに話を聞いてもらう」=「愚痴とか、なんでもない話とかの、”承認欲求満たし”、”時間とエネルギーを奪うだけ”、の、よくない行動だ」

というビリーフがあった模様。

 

 

そうか、だから、

4月に、私の嫌いな、承認欲求BBA(通称)が、同じ部署に来て、

そんなビリーフは捨てろ!と、気づかせるために、

その通称どおり、承認欲求の塊の「私の話聞いて♡構って♡」な行動全開なのを、

私や、同じくこの人が嫌いな先輩に見せていたと!!

(どうやら、先輩曰く、

「シマの向かい側で会話が始まると、

勝手に、すっと立って、話をガン聞きして、

わざと大きな笑い声を出して、会話に入る機会をうかがう」ほどの、承認欲求の塊なんだとか・・・

それはひどいな、、)

 

そんな人が、私にどんなメッセージを投げてたかって、

あなたも、

本当は、自分の話を聞いてくれる存在が欲しいんでしょ?

な、わけです。

 

いわゆる、

自分で自分に禁止して、本当はやりたいのに、抑えつけていることに近いことを、

他の人がやることで、

「もうそろそろ、禁止しなくてもいいんじゃないですか」と、知らせてくれている

というお話ですね。

 

 

よく考えたら、

上の、元母親との関係で嫌だった、「話す=はけ口」って、

ネガティブな愚痴だけの話とか、

自分の自慢話とかですよね。

 

でも、

私が、どうして、自分の話を自分でおもしろいと感じたり、好きなのかって、

・ネガティブなことでも何でも、

自分の感情を、スカッ!と軽く出して、自分で眺めて認めているから

(つまり、「はけ口」とは違って、聞き手に感情エネルギーを投げつけていない)

 

・私的におもしろおかしく、ネタっぽくアレンジして話しているから

※そこらへんの感性が違う人には、つまらんでしょうが笑

 

・たいてい、話がポジティブだし、

ネガティブな話も、最後は「これからこうしよう」のポジティブか、笑いに落とし込むから

 

です。

 

お、それじゃあ、別に「はけ口」でもなんでもないな・・・

↑の思い込みは、幻想だったか・・・爆

 

とはいえ、時間をいただいていることは確かなので、

話が長くなったら、最後に、

「話を聞いてくれてありがとう、おかげで~~になった」を添える、これですね。

 

そして、

私の話をありがたくも聞いてくれた人に対して、

今度は、私が話を聞く側になればいいのですよね。

 

自分の話がひと段落したら、

相手にも、何か質問してみる、と。

 

そういえば、私が質問してみたら、

相手が色々お話して、最後に、

「なんとなくイライラしてたけど、話して整理された。ありがとう」

と言ったことがあったんですけど、

私もそうやってお礼を言えばいいし、

何やかやで、人の話を聞くのが好きな私ですから、

日頃、身近な人たちには、質問して聞いていれば、

相手側も、私の話を聞きたくなる・・・といいですねえ。

 

で、ここまで書いたときに、

内なる声に、こういわれました。

 

あなたは、自分の感情を自分で処理しているし、

他にも、内観がすごくて、しっかりしすぎている。

周りからみると、冷静でしっかりしてるように見える。

そんなあなただからこそ、

少しぐらいは、信頼できる人に、素直に愚痴ることすら、ありでしょう。

たまには、誰かに、はけ口になってもらい、甘える、というのも、ありでしょう。

あなたのようなしっかりしてそうな人に、

時々、話の聞き役として頼られると、

皆、嬉しいんだと思いますよ。

だから、安心して、話したいだけ話せばいいんですよ。

 

 

・・・。

 

よくわからんのですが、

とりあえず、自分の奥底の何かをゆるめて、

話したいときは話す、でやってみます。

「ねえねえ、話聞いて♡」を、やっていい、と。

 

正直、ちょっと「恐る恐る」感、まだありますけどね・・・。

これも、長年無意識に持っていたであろう「防衛反応」の一種だったのかもしれません。

話をして人に嫌がられ、それによって傷つきたくない、みたいな。

 

 

とはいえ、

「人生を共に生きる仲間」レベルの深い関係なら、

お互い、「ねえねえ、話聞いて♡」ができる関係でないと、

なんといいますか、信頼されてる感や、愛着関係が足りません、ということで、

相手側が寂しがる、というのもありえますね。

 

・・・と、

私自身の「愛着障害の克服」の課題と、

克服のためのビリーフチェンジができた、というお話でした。