梅田幸子さんの記事↓

 

改めて、リスペクトです。

世の中に、自己啓発や天職ネタの発信者は数多くいれど、

私自身、そこまでたくさんの人の発信を見てきたわけではありませんが、

 

リラックスしよう、

ゆるくやろう、

 

のような、

 

「ゆるめる」「脱力」系の発信に偏っていると感じます。

ゆるめたり、脱力したりで、リラックスしよう、という系ですね。

 

特に、スピリチュアル要素がある人は、例外なく、そっち系かな、と。

 

で、私が梅田幸子さんを知ったのは、反射の統合話から、だったので、

この、反射の統合も、脱力を大事にするのがメインだと感じており、

そっち系なのかなあ、と思っていました。

 

ところが、上の記事のように、

しっかりと、「ゆるめる」「脱力」系の話だけではなく、

真逆の「強いる」、つまり、締める系の話もしていらっしゃる!

私が思うに、

傾聴とか、信頼関係構築でのびのびやらせる、というのもでき、

「強いる」といった、「締める」系の話もできる人は、

育成系の発信者として本物だと思います。

 

ゆるめる、脱力、リラックス、オープンマインド(からの信頼関係)

=拡大という陽の要素

 

強いる、律する

=締める(「適切な負荷で追い込む」を含む)、整える、という陰の要素

 

この陰陽が両方揃ってこその

指導・育成です。

 

で、上に書いた、陽の発信に偏りがちの、スピリチュアル系の人は、

もともと、陰の要素ばかりで、自分に厳しすぎたり、真面目すぎたりであって、

「ゆるめる」要素を取り入れることで、バランスがよくなって自分が変わったから、

「陽の要素が大事だ!(陰だらけだったから)」という見方になってしまったのかな、と。

当たり前にあった陰の要素に気づいていないのかも、と。

 

私は、「運気に沿って生きよう!」とか、

「自分の感性、感覚を第一に」とか、

そういう点では、スピリチュアル要素もあるのでしょうが、

 

スピリチュアル要素の方で、「ゆるめる」をやっているからこそ、

「強いる」「律する」要素が大事である、ということを伝えるのも、

思いつく限りのタイミングで、やっていこうと思っています。

 

私は、小3~高3まで受験勉強をやってきましたし

(中高一貫でしたが、中1から、大学受験を見据えた先取り学習が始まるので、実質、受験生生活みたいなもの)

大学4年の夏と、冬~春までは、大学院入試、薬剤師国家試験、国歌公務員試験が集中し、そこでも「受験生生活」でした。

 

なので、その中で、自分で勉強計画を立てたりして、色々やっていくことが自然とできており、

「強いる」「律する」要素は、得意です。

息をするように自然とできます。

 

そして、「ゆるめる」をやり、

あー、ゆるめるばかりだと、生活がダラダラと、混沌としてしまうよな、

とも気づいて、

「強いる」「律する」要素を、どこかの要所要所で入れておくことにしました。

 

すると、密度の高い(濃い)、充実した生活を送ることができるし、

そういう生活を楽しく味わえるのだから、自分で自分が、日々もっと好きになっていく!!

今、これを実感しています。

 

梅田幸子さんのお話ででてきた「強いる」というのは、

・成長に必要な、「適切な負荷」(いわゆる、1.1倍程度)を強いる

・予定を強いる(→自分を律する、という要素も入ってくる)

の、主に2つかな、というのが、私の解釈。

 

・「適切な負荷」とは

1.1倍程度の適切な負荷、というのは、

不定期に書いていますが、

「自然体でやるには少しきつそうだが、頑張ればできそう、

やってやれないことはない」という、力をもう少し入れればできそうなことです。

 

筋トレがいい例ですが、

何か(筋トレでは筋肉)を成長させたい、鍛えたい、のなら、

自然体で楽にできることだけをやっていては、成長しません。

「がんばればできそう」

「きついけど、辛い・しんどい、ではない」(これすごく大事)

という、適切な負荷をかけて追い込んでこそ、成長します。

 

これまた、筋トレの話がいい例ですが、

体に無理をさせる、ケガにつながりかねない、

そういう負荷は、厳禁です。

 

あと、辛くて頑張れない、とか、

そもそも、できない、体が動かない、とかも、厳禁です。

 

例えば、40kgのバーベルを持ち上げようとしても、体が動かないのなら、

無理やり40kgで頑張ろうとするのではなく、

「35kgなら頑張れば持ち上がる」だったら、35kgの負荷で鍛えるべきなのです。

 

「ゆるめる」「自然体」だけだと、楽に持ち上げられる、20kgを上げようとしますが、それでは成長しません。

 

というお話。

 

これを、筋トレ以外の話に応用すると、

 

適切な負荷=難しそう、大変そう、とか、

できるか少し不安、とかは感じるが、

それでも「挑戦してみたい」「やってやれないことはないかも」という気持ちも出る程度。

「よし、やるぞ!」と、アドレナリンが出やすい。

 

過度な負荷=苦しい、辛いだけ。しんどいだけ。

やってもできずに辛いだけ。

アドレナリンは出ず、ストレスが溜まるだけ。

 

というお話。

 

ほとんどの「苦労しすぎ」「生きるのが辛い、しんどい」という人は、

負荷設定を誤っています。

過度な負荷でやりすぎなのです。

 

おそらく、「できない自分が嫌」だから、

そこに過度な負荷があっても、

「自分にはできるだろう」

「できる自分でいたい」

「これができないと、自分が嫌だ」

とかの、こじれた気持ちで、

自分の器、力量(自然体の実力)としっかり向き合って、降参することができていないから、

「そこに負荷があるなら、それをできるようにしなければ」と、

合わない、過度な負荷ばかりをやってしまってきたのかな、と思います。

 

私自身、指導(部下だけじゃなく自分自身の指導も)で経験しましたが、

「適切な負荷」の設定は、

自分や、指導する相手の力量を観察し、見極める力と、

観察しつつ、辛そうなら軽くし、楽そうなら重くする、という、臨機応変の対応力と、

この二つを使いこなすことが必須です。

 

正直、私は、今まで、たくさん(10人近く。一年に一人、と考えると、かなり多い)の部下を指導してきましたが、

幸い、自律力、締める力のある人たちばかりだったので、

自律という意味での「強いる」を指導した経験は少なかったです。

また、自律力と成長欲があれば、部下の方で勝手に勉強して伸びていくので、

仕事のノウハウ以外、特に指導したという記憶はないのですが、

今の負荷が適切なのか?という、観察とペースメイク(調整)だけは、

日々、神経をとがらせて、やっていたものでした。

 

優秀な人が部下だったときに、

(指導者である私も、この分野のベテランだから、と甘えられて)難度が高い案件ばかりが割り振られたときは、負荷が高すぎる、と上司に抗議したこともありました。

また、もともとノルマ達成がきつく、仕事の基礎力に改善の余地があった人の指導をしていたときは、

基礎力をつける時期は、自然体で、比較的やりやすい案件の負荷にしていたが、

力がついてからは「チャレンジ」に切り替えていいだろう、と判断し、

そういう負荷の仕事を選んでやらせたこともありました。

 

で、実際、部下たちには、私の指導は、トレーニング道場みたいだ、と言われました笑。

「トレーニング道場」だなんて、

時には、ややスパルタな負荷だった、と、部下側は感じたのだと思いますが。

それでも、部下は私を慕ってくれているので、

適切な負荷をペースメイクするだけでなく、

「負荷のチャレンジ」を頑張ったら、しっかりと、部下の努力をねぎらい、拍手(祝福)する

ということも、やってきたからでしょう。

 

適切な負荷を与えて見守り、

負荷への挑戦が終わったら、祝福する。

この繰り返しです。

 

私自身、今も、

日々、自分に適切な負荷をかける「チャレンジ生活」が、体に染みついているところがあります。

今の負荷は、日々の筋トレはもちろん、

すきま時間を集めて、ファイナンシャルプランナーと簿記の資格試験勉強を頑張る(楽しくやる)ことです。

 

 

・予定を強いる

こちらが、梅田幸子さんの記事でのメインテーマですね。

毎日の生活を送るにあたり、

予定もなく、行き当たりばったりという

「強いる」がない生活なら、

混沌と、ダラダラしがちでしょう。

放浪を楽しむ気質の人以外はね。

 

勉強や、運動(筋トレとか)のように、

特に、持続的に、または、定期的に取り組む活動に関しては、

「予定を強いる」のが、おすすめです。

 

予定を強いることで、

その予定に、他の活動も自ずと合わせることになり、

自律とメリハリが生まれます。

 

やることが決まっているのだから

「いつやるか」まで、しっかり決めて、強いてしまおう、と。

 

 

梅田幸子さんが取り上げていた「足ぷろ」を、「強いる」に使うというお話、

私も、まさにそうしています。

私は、もともと、筋トレや、体の調整ワーク(ヨガとか)の大部分を、ジムのスタジオプログラムという「強いる」要素の力を借りてやっています。

 

強いているからこそ、

無意識に続けることができますし、

「自律」という、都度自分を律するアドリブ力を、他のところに注ぐことができます。

 

ジムのスタジオプログラムも、足ぷろも、曜日単位のサイクルなので、

「一週間の生活」を「強いる」ときに、

私はまず、これらの予定と、仕事の予定から入れます。

 

仕事も、今の勤め生活では、

自分でフレックスタイムのシフトを作っており、これも「自分で強いる」になっていますね。

与えられた勤務時間帯から選ぶだけだと、受け身になりがちでしょうが、

上に書いた、運動の予定と合うように、曜日ごとに細かくシフトを変えているので、

足ぷろや筋トレとかと合わせて、

仕事も「強いる」スタイルになりました。

 

そして、仕事時間の「強いる」で、もう一つ、最近大事にしているのが、

仕事時間の定時の少し後に、「他の活動の予定を入れる」ことです。

 

他の活動の予定を入れることで、

家で仕事をするときに、

時間があるから、と、

キリが悪いから~と甘えてダラダラ仕事作業を「つい」やってしまうことを、

徹底排除しています。

これも、「強いる」です。

 

出勤の日は、

電子出勤簿の「退勤時刻」が、PCの電源を落とした時刻となるシステムになっているので、

「定時になったらPCの電源落とす」

と、正確な出勤記録をつけるために「強いる」ことができているのですが、

家で仕事するときは、退勤時刻は、手入力するしかないので、

時間があるからもう少しやっちゃうか、という「甘え」がでてきてしまっていました。

 

なので、火曜と金曜を家で仕事をする日とし、

火曜は、筋トレや整体を、

金曜は、足ぷろを入れ、

それに合ったシフトとすることで「強いて」います。

 

 

また、ファイナンシャルプランナーや簿記の勉強は、

毎週水曜の仕事のシフトを、早朝(7~16時)に変更し、

「16時~19時までと、昼休みは、

ジムに移動しつつ、勉強をする時間である」

と、「強いて」います。

 

これだけで、週に最低3時間以上は勉強時間を確保できており、

他は、空き時間に、やりたくなったら、やりたいだけやる、としています。

最低限の勉強時間を確保する、というだけでも、

勉強という活動を強いて、続けるのは、十分なのです。

 

 

ここまで書いていて気付いたのですが、

水曜と木曜の出勤日も、しっかり「定時後に他の活動の予定を入れ」て、強いてますね笑。

水曜は、上に書いた勉強と、その後の筋トレ。

木曜は、19時前定時でして、その後は、「体をほぐしてお風呂に入りにジムに行く、終わったらもう寝る時間」という塩梅で、これまた、予定がしっかり入っています。

(ちなみに、月曜は、原則休みにしていますが、

たまに月曜に仕事をするときは、これまた、夕方前からジムのレッスンの予定があるので「強いる」をやってます。)

 

仕事の定時後の予定を「強いて」おくことで、

ダラダラ残業しなくなりますし、

仕事後にダラダラとネット等を開いたりして、時間をつぶすこともなくなります。

 

「強いる」ことは、効果的な自律であり、

生活を引き締め、密度と充実感、満足感を大きく上げるのだ、

というのが、よくわかりますね。

 

私が、自然体で、「日々丁寧に」生活できているのは、

自然体で、ゆるく生きていても、生活の密度が濃いのは、

日常的に「強いる」予定をたくさん入れているからだ、

というのが、よーーーくわかりますね。

 

逆に、月曜夕方~20時までと、土日の半分以上は、「強いる」予定なしで、そのときの感性に従って過ごしています。

ここは、自然体で「ゆるめる」時間帯です。

このメリハリが、いいのだ、という話なのでしょう。

 

ゆるめるのと強いるのが両方揃っているからこそ、

自然体で日々満足感あふれる生活ができ、

感性や本能的感覚がすくすくと成長し、

日々の気づきや解脱感がすごいのだな、と。

 

(もちろん、職場の「この人となら接点もってもいい」という人と、

仕事が終わった後の時間に、食事やら立ち話やらで、話をするのも、時々はありです。

職場の人でなくても、仕事後の時間に合って話をするのもあり。

今はまだそういう人いないけどな笑。

そのときも「定時後の活動を強いる」ことには変わりありません。)