昨日書いたお話。

朝、直属課長に「ここの会社に一般応募する予定だが、求職規制に引っかかるか気になるので、人事担当部署に確認予定です」と話を持っていきました。

 

結果:

 

まずは今週中に部長補佐(首席)と面談することに

 

私「まだ部長面談じゃないのか・・・

そして、人事への確認が後回しにされた・・・」

 

転職活動云々よりも、

退職の意思表示をされたも同然なので

まずは、幹部と意思確認の面談である

という流れになってしまいました。そりゃそうか・・・

 

 

↑に書いたように、

・自分の理想の働き方(デスクワークは、一日7時間なら、週4以下+兼業を視野)

・今の仕事以外にやりたい仕事ができた

 

・・・というのを伝えたのですが、

感触としては、少し弱かったです。

 

課長に言われたのが(私を引き留めたい大前提があると思いますが)、

 

そもそも、公務員は、定年まで勤めることが前提である。

そして、(私)のような、専門行政職4級(一般行政職6級)の、いわゆる「課長補佐級」になると、今まで組織に育てられた分を還元し、次の世代を育てることが求められる。そんな時期に辞められることは想定していない。

 

というお話。

 

・国歌公務員になるという覚悟~これが公務員組織というものだ~

正直、↑の話を、「知るかボケ」とか流せたら簡単なのですが、

つまりは、

仕事内容が面白そうだから、というだけで

「国家公務員」という職場環境を選んでしまった、当時の自分の未熟さを大反省

というお話です。

 

だって、国家公務員って、(そしてきっと、地方公務員とかも)

そういう組織なんだもの。

 

みんな定年まで組織に献身してくれる、という暗黙の前提で

人を駒のように扱うし、

できそうな人を「能力の高いユニット」として扱い、

そのユニットがストレスを被るどころか、病気などで戦闘不能になることすら厭わず、きつい仕事をぶちかます。

全ては、組織のため。

そういう組織です。

 

牽牛星の「組織のために個を犠牲」という組織です。

 

キツい仕事は

途中で担当者が倒れても

使い捨ての駒の如く

スパっと別の人を担当者にする

 

課長、課長補佐が

部下を何人潰そうとも

部下を次々と入れ替えるだけで

上司は入れ替えない

 

 

私ら平社員は、

 

組織は人を駒だと思って

大事にしてないよね

 

何かあったら

使い捨てにして

他の人にやらせればいいやって思ってるよね

 

だから、自分の身は

自分で守るしかないんだよね

 

なーんていうのが共通認識。

 

↑抜粋ここまで

 

公務員志望、

公務員に興味ある若い人たちが

このブログを見つけたら、

私は、そんなあなたに、こういいたいです。

 

自分という個を、組織に捧げても構わない、

働いているときは、組織を自分より上に置いて構わない、

それくらいの覚悟がある人だけ、

正規採用ルートで行ってください。

 

今の私のように

「まずは自分を大切に」という人は、

そのうち価値観が相違する可能性大ですので、

どれだけ、仕事に魅力ややりがいを感じても、

やめときましょう※。

 

※「有期雇用」のような、「終身雇用」「出世」が前提になってなさそうな雇用形態なら、平社員で、面倒ごとを回避できる可能性があるので、仕事内容が魅力的なら、公務員はありかもしれません。

全ての組織、全ての仕事に、有期雇用があるとは限りませんが。

 

公務員試験を受けた当時の私は、

親のいいなりで、親が公務員公務員うるさかったというやつでして、

「まずは自分を大切に」じゃあ、なかったのでね・・・苦笑。

 

でも、その時の自分は、それでベストを尽くし、

やっててワクワクする仕事を自分で見つけることができたので、

当時の選択を否定はしません。

いい人生勉強になりました。

以上です。

 

この経験を活かして、

やってワクワクする仕事を自分で見つける「アンテナ」を活かして

これからも、自分の人生を自己責任で、

そして、自分を大切に、生き続けていきます。

 

 

・自分の理想を語るだけでは弱い、ここまで語るか(作戦変更)

私「やはり、自分の理想をきれいに語って、きれいに終わらせようとするには、無理があったか・・・」

 

自分の理想を語ろうものなら、

組織の理想(向こうの要求)をぶつけられて終わり、なのでしょう。

 

ということで、

・い つ も の 「命大事に」の要素を足す作戦、

つまり、

この組織という環境に居続けると、

私自身が、心身を病む可能性が高いことを伝える

 

を、追加することにしました。

 

課長には、

 

・(課長もお察しのように)私は「個人事業主」タイプであり、

そろそろ、「組織人」として周りに合わせることが、限界になってきた

 

・私は「自分の一番」を仕事にし続けたい性分・価値観なので、

それができる会社に応募することにした。

この組織は、「自分の一番」だけを仕事にし続けることが、現実的にほぼ不可能。

 

と伝えました。

 

「そりゃそうか」という反応をされました。(だって、組織ってそういうものだもの。個人の好みよりも、組織にある仕事の都合が最優先でしょう。

そこで価値観が相違している時点で、私がこの組織にいるのは不自然です。)

 

これから部長補佐などの幹部との面談が待っていますが、

似たような「今の職場に居続けることはできないのか」の話は続くでしょう。

 

単に、「私の理想の道に行きたいです」だけでは弱く、

「なぜ今の職場を離れることを選ぶのか、その意志がどれくらいか」を確認し、

幹部側が、組織のメンツ的に※修復不能と判断したら、辞職の道に行くのを認めていただける

そういう世界なのだな、と感じました。

 

※潰れそうな可能性が高い人を、本人がNoといっているのに、そのつぶれそうな道に進ませることは、さすがに、「メンツ」が傷つくし(適材適所ができなかったという意味で)、そういう暗い人、定年までいる気がない人をいさせ続けるのは、職場の雰囲気が悪くなるから避けよう、と判断している可能性大。

 

結局、

私自身と、周りの人たちの波長が合っていないので、

私が職場環境にいると、それだけで、無意識に心と体が疲れている状態であり、

だから、このまま何年もいると、病む可能性が高い。

最長、2024年度末で辞める。

と、言うことになるのかな、と思っています。

 

実際、「あれ?私の、いつものポジティブフレーミングが発動しないぞ?

最近、やたらイライラしてたな?」

と、先月末から自分の変化に気づき、

「あ、これ、心を病むレッドゾーンの兆候だ」と気づいた状況ですからね。

で、幸運なことに、次の仕事ネタが突然現れて、今に至る。

 

 

ただ、

↑の、課長の「国家公務員は終身雇用、定年まで組織に献身するのが前提」のような話に対して、

 

たしかにそういう組織でしょうが、

それ以前に、「私」は、「組織の人」ではなく、「長い人生の中、この組織に勤めることを一時的に選んだ、一人のかけがえのない人」です。

だから、「一人の人」として、後悔なき、ベストな選択をするまでです。

 

と返したのですが、

この言葉はなかなか効果的だった模様。

課長に、良心のようなものがあってよかったです。感謝です。

 

他の幹部にも、上のような話をまた言われたなら、

↑の「一人の人」の話もそうですが、

このまま、私がこの組織に勤め続け、

特に、あなたたちの理想のとおり、管理職コースに乗ろうものなら、

おそらくストレスで命を落とすような

「組織に命を捧げて終わる」生き方になりかねませんが、

そういう生き方は、一人の人として絶対に拒否します。

そういう生き方は選んでいません、

生きているなら、自分のやりたいことを楽しくやる、それが私です。

と、伝える心づもりもしています。

 

 

・伝えるときは、「アイ・メッセージ」(自分を主語)で

改めて、特に意識しようと思ったのが、

「私が、今の組織に居続けることを選ばない理由」を、どこかで話すときがきそうなので、

アイ・メッセージを徹底する、ということです。

 

私が組織を離れるのは、

私と組織とで、生きる方向性や価値観が大きく違い、

「相性が」悪いからであって、

「組織が」悪いわけではないからです。

 

組織や、そこにいる人の「批判」「悪口」になってはいけないし、

なることは、真実ではないのです。

自分以外を悪者にする意図は、全く持っていません。

 

そもそも、「いい」「悪い」という次元の話ではないのですが、

やむなく「いい」「悪い」の話をするなら、

組織に気持ちよく合わせられない「私」が悪いです、

これが、真実なのです。

 

★私が悪い、なんて書いてますが、

私自身は、そのことを、一切自己否定していません(ここは、強調しておきますね。)

↑の言葉には、自己否定のエネルギーは乗っけず、

私、よく言った!素晴らしい!という、肯定感をのっけています。

それが、自愛ってやつです。

何をしようと、どうであろうと、

はたからみて悪かろうと、

自分は10点満点中11点であることには、変わりません。

 

自愛、自己肯定感のような土台が

しっかり安定してきたからこそ、

こういう言い方を少ししても、土台が揺れることはなく、

辞める勇気が出た、という話かもしれませんね。

 

 

・辞める(転職)の話をするまえに、職場環境と縁を切っておいてよかった

これを本当に実感しました。

先に、縁をしっかり切っておくことで、

(少しはあったかもしれない)職場への帰属意識、共同体意識がなくなったので。

部長や幹部たちや組織と、自身とを切り離し、

面談で、「今は私の人生の話をしているので、主役は私だ」くらいの意識になり、

立場が上の人たちを、比較的小さき存在として見ることができています。

組織論や、貢献欲、帰属意識とかに訴えそうな話は、すべて、楽にスルーできている、

流されずに、「大切な自分を守るために離れる」という価値観を徹底できている、

という感覚になりました。

 

自分のポジションを強固に守ることができているような。

 

これから幹部面接が続きそうですし、

対面で、敵地に赴く形になりそうですが、

毎度、しっかりグラウンディングして、縁切りのお守りを忍ばせて、臨みます。

 

 

・以下、「公務員」の辞職のお話(民間との違い)

ここはネットの情報どおりでもありますが、いい機会ですので、書いておきます。

 

民間企業では、「雇用」は、「契約」という形態をとります。

民法上、「契約」は、双方の合意がないと成立せず、片方が合意しなくなったら有効なものではなくなります。

したがって、勤めている人が「辞職届」(退職届?などいろんな名前があるかも)を出せば、

その時点で「契約に合意するのをやめる」ということになるので、

通常、出してから2週間も経てば、雇用契約解除で、退職できます。

これは、雇用者側がどんなに引き留めようと、反対しようと、変わりません。

 

ところが。

公務員の場合は、雇用契約ではなく、

任命権者によって「命令」が出されるという形式です。

つまり、辞めるためには、任命権者に「辞職命令」を出してもらう必要があります。

 

だから、契約の民間とは違い、「届」はできず、「辞職命令をください」と、「願」を出すのが必要です。

国家公務員の場合は、人事院規則によって、「任命権者は,職員から書面をもって辞職の申出があったときは,特に支障のない限り,これを承認するものとする。」と定められていてます(人事院規則八―一二の51条)。

 

この「辞職の申出」つまり「辞職願」を出す前に、

自ら属する組織の幹部に話をし、辞職を認めてもらう(意思確認面談)プロセスを経て、

「じゃあ、●年●月に辞めることを認めるから、

辞職願を出していいですよ。

提出され次第、辞職手続きに入りますから。」

と、「辞職願」のフォーマットをいただく

というのが、実態です。

(なので、ネット上で「辞職願」のフォーマットを入手するとかで、自分で作っていきなり上司相手に持っていく、ということは、やめましょう。

まずは、辞職の幹部交渉から入るのが、正当ルートです。)

 

「願」を出す方式とはいえ、

辞める意志が固い人を、辞めさせない、というまでのことは、幹部は、しない模様です。

そこは、ギリギリ、「一人の人」としての尊厳を尊重してくれている、というところですかね。

(だから、部長補佐、部長、その上の幹部(組織トップ)、と、意志確認面談が複数回あるのかな、と。

何度言っても辞職の意思が変わらないかを、チェックされているのかと。)

 

今の私は、転職活動が求職規制にひっかかるかを問い合わせる前段階なのですが、

今の流れで、先に面談が来るということは、

求職活動をするなら、在職中に転職活動だなんて甘えず、とっとと辞めなさい、という流れになる可能性もありますね。覚悟しておきます。

 

はたまた、「年度の人員配置の都合上、年度いっぱいまではいてくれ」という妥協案で手を打つ可能性もあるか。

なんとなくの感触ですが、「年度途中」の退職は、いわゆる「課長補佐級」未満の若いうち(20代~30代前半)とかでないと、認められにくいのかも!?

 

私のような、41歳、ポジション的には「管理職一歩手前」で、「合わないからやめる」となるのは、遅いです(反省)。

組織側からみても、「40すぎまでいてくれてるんだから、管理職コースで献身してくれますよね(はあと)」と、都合よく思われている可能性が高いです。つまり、こちらと組織の価値観のミスマッチの溝が、長くいればいるほど、深くなってしまうのです。

違和感を感じたら、30代前半までの若いうちに、さっさと離れるが吉ですね。

※といっても、40歳前後の「中年の危機」変革期で、ようやく気付いた、という、私のようなパターンも、それなりにありそうですね。