最近、大谷翔平さん情報がよく入ってくるので、
これは、大谷先生を見習って、マンダラチャートを作ってみよう、ということだ!
と察したので、さっそく作ってみました。
お題はもちろん、魂のライフスタイル。
マンダラチャートのお話↓
・魂のライフスタイル のマンダラチャート
自分へのメッセージでもあるチャートですので、
どーんと公開😄
具体的な金額の目標は、さすがに人様に見せるわけではないので、塗り隠してますが。
でも、
あえて隠すことで
それをいったん忘れて、
そこに制限されず、天の導きのままに行動できる
のが、これはこれでいいなと感じました笑
収入源が複数あるので、アクションは別々に書いてしまったのですが、
現実問題、豊かな生活を送れる分お金が巡れば十分な話なので、
特定の収入源の目標だけにこだわると、それは余計な制限になるかもしれませんね。
ちなみに、マンダラチャートの外枠のA~Hの各9マスは、「行動」を書くものですが、Hの「衣食住」は、「~の場所に住む」を、文字数オーバーで省略しているところがあります。
これは私の個人的な解釈ですが、
この外枠の9マスには、「行動」ではなく「価値観」を書いて、
各価値観の優先順位をつけて、1~8に入れていく、という使い方もできそうですね。
とはいえ、マンダラチャートの本質は、「今からのアクション」を促すことにあるでしょうから、やはり、「行動」という直接的な促しネタを書くのがベストですかね。
・書いてみて気づいたこと
今までこのブログに書いてきたことの集大成的な内容になったな、という印象です。
それだけ、日々の自己対話が充実し、得られた自分のデータが蓄積されているのだな、と。
こうやって、一枚の絵で、地図のように俯瞰できるのは大きいですね。
ただ、マンダラチャートの仕様上、8つまでしか書けないのがつらいです。
つらいのは、体第一のところですね。
最初、食事ネタを、
タンパク質摂取量管理
グルテン、シュガーフリー
ビタミン、ミネラルも大切に
と分けたら枠がなくなったので、「栄養を大事にした」とかいう抽象的な言葉でまとめてしまったし、
1日2リットルの水分を摂る、も書きたかった。
ここもそうですが、全体的に、解説が必要そうなネタが多いのに、枠小さくて全然ムリでした。意味わかんない言葉たくさんあると思いますが、そういう仕様です、ごめんなさい、と。
私自身の中では理解できてます。自己満足ですね。それでいいんだ。
そして、俯瞰してみると、
既に今やってるアクションが多く、
今の生活は、かなり、魂のライフスタイルの理想に近いと気づきました。
さすが、千日修行という名の、牡牛座的・己の感性重視の生活なだけのことはある。
共同体のところは、、できてるかは相手にしかわからないものもあるのがつらい汗。
そもそも、これに当てはまる共同体の現実化のための、
まずは自身が、愛、生命力、生きる覚悟をもつ存在であれ
のアクション、
つまり、自己変革、古い縁の要素の徹底排除と修正を、今徹底的にやっているところで、
それが、現在のヤマかもね、と気づきました。
地道にやることしかできないので
地道にやるだけです。
それ以外は、今まだできていないアクションは、お金の目標到達ですね。
だから、今すぐ、今の職場を辞める気になれていない、という簡単な話。
そして、お金のアクションができる見込みがたつ、
例えば、次の仕事の縁か、同居人の縁が来たら、
すぐ辞めたいのだ、
という状態にあることに改めて気づきました。
はたからみれば、「お金のブロックがあって辞められない人」にみえるかもしれませんが、
そりゃ、そこが今これからの力の注ぎどころだと認識しているのだから、そうなるよ・・・
そんな自分を許します。
許したうえで、「空間から大金、大金を持ってる相棒(同居人)が出るのもありだよ!」とも決めています。
仕事に関して、少し驚いたのが、
職場の人たちとの関係ではなく
お客様や下請けの人との接点と、自分個人の作業だけなら、
ライフワークのアクションを
すべて実践できていることです。
逆に、職場の人たちとの関係では、「Gの共同体の人たちとの縁~」のアクションができない。そりゃ、やめたくなりますよ~~~
なるほど、だから、
縁切りしたのは、あくまで今の職場環境との縁であり、
仕事そのものとの縁はまだ切る気になっていない、と。
でも、強いて言うなら、
楽しさを感じる度合いが
もっと強いのが理想
であり、
ここを、ライフスタイルの現実化のときに
ライフワーク選びで大切にしていくのがいいのだ
とわかりました。
ただ、人って、どうしても、「今足りない要素」に強く意識が向きがちです。
他のアクションをすべてできることが前提で
「楽しさ」を重視する、
というのを心に刻んでおきます。
そして、
ここまで書いたように
自己変革行動を今やっているのだから、
今回作ったチャートの内容は
今後
どう変わってもおかしくありません。
なので、あまり、このチャートにとらわれず、
自由に感じていこう、
引き出しを増やそう、
まずは色々やってみよう、
と、決めました。
・自分の変化を感じたこと~「一人でいることが好き」なのか?
実は、最初にチャートを作ったときは、
ライフスタイルの8つの要素の枠のうち、1つだけが空きました。
自分を守る、のところです。
当初は、ここには、自分一人の活動と書いていました。
ところが、一晩寝かせたら、違和感に気づき、
そうだ、「自分を守る」だ、と、修正しました。
ここが、今までの自分のイメージと違って、驚いたところです。
自分一人の時間、活動を、大切にしていた、
その本質は、自分を守ることなのだ、と、気づきました。
そして、自分が、Gに書いた、愛、生命力、生きる覚悟がある人たちの共同体に属しているならば、
チャートのとおり「一人でいるようにリラックス」でもあるので、
それができるなら、
一人きりの空間でなくてもいいな。
と、「一人の活動」にこだわらなくなったのですね。
もちろん、一人でやる活動(ゲームとか)の中に、好きでこれからもやりたいものはあるのですが、
それは、
よほどの集中力がいること以外は、一人きりの空間でやる必要はなく、
それすらも、静かであれば、一人きりである必要はなく、
たいていの行動は、
何人かいる空間の中で、それぞれが好き好きに別行動している、という形でもいいな、と、感じるようになりました。
あれだけ、一人でいるのが好きだったのは、
自分に合わない環境にいすぎており、
そこではリラックスなんてできない、
だから、自分を守るため、一人の活動、空間を大切にする、というのが本質だったのです。
今まで
そんなに懸命に、自分を守ってきたのか・・・(´;ω;`)
よく頑張ったね(´;ω;`)
でも、もう、そんな頑張りはいらない。
これからは、皆で、皆を守るのを、
理想の共同体で、やっていくのだから。
もちろん、
このブログを書いている今のように、
物理的に一人の空間で、「守る」ときもあるけれど、
無意識の世界では、
一つの共同体の中に、私を含めて何人かいて、
「皆で、皆を守っている」、ということです。
さっそく、今週の出勤のときに、そんな意識で過ごしてみたのですが、
どうなったかというと、
今の空間には、私の周りにいるのは、人ではなく歯車だらけ(私とは無縁)。
でも、私は、魂にとってベストな共同体の皆と、一緒に、それぞれの活動をしているのだから、
安心して、自分の世界に籠れるな。
という感覚になりました。
すごい・・・!これが意識の力・・・!
・今これからの時代の「守る」とは
上に書いたように感じるくらい、
私は、「守る」ことを大切にしているし、
今これからの世の中全体という集団に対し、
合わない人たちの方が多いかもしれない、という、「危険地帯」だと認識し、
その上で、魂に合う人たちとだけ縁をつなぎ、皆で、「皆にとって安全な共同体空間」を作り、日々、大切にしているのだ、
と、気づきました。
合う人たちとだけ幸せにやっていく、合わない人とは疎遠になるから楽だ、
というような、きれいごとでは決してありません。
合わない人たちももちろんおり、
彼彼女らといかにしてすみ分けて、皆を皆で守るか、
今これからの時代は、そういう時代であり、
そんな、合わない人たちの存在もあって、
互いに何かで支え合っているからこそ、世の中という大自然が成り立っているのである、
という、
「生きることは重たいこと」「陰の要素もある」的な話なのです。
最たる例をあげれば、
この資本主義社会だからこそ、資産運用で生活費をある程度賄える、いわゆる「準富裕層」「アッパーマス層」が、勝ち組でしょうが、
そんな、「資本家」が生き方の一つになりそうな人たちは、
多くが自立し、資本家として生きる覚悟を決めつつ、自由に生命力全開で生きているのでしょうが(つまり、私の魂の縁に近しい人たちもいるのでしょうが)
そんな人たちの生活は、
投資先の株とかの企業に属している、その多くが歯車のように生きている「合わない」人たちが、毎日働いてくれ、資産が増えるから、成り立っているのです。
逆に、私の魂の縁に近しい人たちは(私自身も含め)
魂がやりたいことをやって、豊かに生きており、その分、幸運にも(ここ大事)お金の巡りが大きいのだから、
それだけ税金をしっかり払い、社会を、特に、「合わない人」たちという、運との縁がさほどでもなさそうな人たちを、経済的に支えることが大事だ、ともいえます。だから、過度の「節税やりこみ」は、私にはしっくりこないんですよね。なので「自然体で節税」って書いているという。
なので、
私の魂に合う人たちと、
合わない人たちは、
見えないところで、お金の循環などで支え合っている。
支え合っている要素があることは認め、
そこは感謝するけれど、
それ以上の、人としての接点は不要。
人として合わないのだから。
・・・と、
「感謝すること」と、
「人として直接の接点をもち、同じ共同体空間で関わること」とを、
完全に切り離して生きる
これが「守る」ということなのかな、と思いました。
同じ現実社会にいるからこそ、
お金の巡りの上での縁はあるでしょう。
なので、「縁が全くない」というのは不自然かな、と。
お金の巡り以外の縁は全くない、と、するのが、私には、しっくりきます。