3月20日12時7分ごろ、春分を迎えます。

いつもなら、ホロスコープ詠みの記事は夜に上げるのですが、

この記事で私の「春分の決意」を書く予定だったのが、ホロスコープのメッセージのネタが長くなりすぎたので、「決意」のネタを夜に回します。。

ですので、朝っぱらではありますが、さっそく、ホロスコープからメッセージをいただくとしましょうか。

 

 
春分のホロスコープのメッセージは、2024年度の一年間、
つまり、2024年春分~2025年の春分の前日までの生き方に関するメッセージです。
 
<この一年間で大切にすること>
・大いなる宇宙、特にトランスサタニアンの導きに従うこと、
つまり、そんな導きが「現実化した」ものである、
日々の出来事、人との縁からもたらされるものに、
一つ一つ丁寧に対応し、
ネガティブな反応だった場合は、自分の中の何かを変える、修正する。
 
 
・大いなる宇宙の導きと、自分の何かとがずれているときは、
降参して、導きに合わせる。まずは、導きから来る外の誘いなどに、疑わずに素直に乗ってみる。
大いなる宇宙の導きに、自分を合わせて、自分を変えていくことは、
自分の魂に還ることに等しい。
だから、素直に降参することが大切。
 
 
・自身の心の内側を日々見つめる。
無意識の深層部、つまり魂に近い部分、
体でいうと、みぞおちの下~下腹部あたりから湧き上がってくる想いが、「魂の理想」に近しいものである。
そこらへんからのメッセージをキャッチできるようにし、自分の理想を追求する。
必要なら、日々、「理想」を修正し、魂の理想が何か、と、見続ける。
 
 
・「内なる自分」に献身し、忠誠心をもって、
日々、自分の心と体を大切にして生活する。
運気や気候に合わせて、無理なく自然体で生きる。我慢は一切しない。
自分の感性が喜ぶものに囲まれた暮らしを徹底する。
妥協せず、自分にとっての「豊かさ」を追求し、可能な限り実現させる。
 
 
・とりわけ、「人との縁」、「どんな人とどんな接点ができるか」は、
今のあなたの潜在意識の表れであるから、
それが自分の理想からずれていると感じたときは、
自分の価値観、キャラクター、「そんな人間関係と引き合ってしまった要素」を、徹底的に見直して、理想の縁と繋がるよう、自分を変えていく。
 
 
・魂にふさわしい縁だけを残し、他を積極的に断ち切る。
魂にふさわしい縁は、あなたが属する「共同体」を形成する。
その「共同体」が、あなた自身の存在とともに、あなたに安心感をもたらすものである。
そこに属することで、体が安心感を得て、「愛ベース」「与えたくなる」状態でいられる、
そんな共同体と縁を繋ぎ、そこに身を置き続ける(現実的に一緒にいてもいなくてもよい。離れていても無意識での繋がりを感じ、安心感が得られる共同体が、真の「魂にふさわしい縁」の共同体である)
 
 
・魂にふさわしい縁と接点を持ち続けるために、自分自身を、素直に表現し、自分らしく活動し続ける。また、同時に、己を素直に表現・打ち明けてきた人には、誠実に応じ、傾聴し、その存在を認めることもやる。
「キャラクター(アイデンティティ)」「価値観」「理想(ミッション、ビジョン)」レベルの話を、互いにオープンにし、傾聴し、認め合える人は、「魂にふさわしい縁」の人である。
 
 
いっぱいありますけど、中でも一番大事なのは、「人の縁の整理」、「自分の魂に合う縁の共同体にて、愛ベースで過ごし、最高の安心感という土台を作ること」でして、
とにかく、
どんな人と関わっていくかが、本当に大事。
関わる人を作るのは、自身の無意識であるから、
大いなる宇宙の導きに従って、自身の無意識を整えていくことも、同じくらい大事。
というお話です。
 
自分の内なる存在と仲良くすることも大切ですが、
外でどんな人と関わるかも、自分の内なる存在に返ってくる大事な要素ですから、
しっかりと、徹底的に整えなさい、片付けて「ときめく人間関係」だけにしなさい、というメッセージが強烈です。
 
私が、今の職場を辞める決断をした根本的な理由が、
私が、仕事において最優先するものが、
「仕事の内容・働き方(個人プレーか等)と自分との親和性」から、
「仕事で関わる人たち、そんな人たちの集合意識が作る職場環境と、自分との相性」に変化した
ことでした(それゆえ、「自分に合わない人たちが多数派の職場環境」を、以前はどうでもいい、と思っていたのが、大きな違和感でストレス源で、断ち切るものだ、と捉えるようになり、辞める決断へ)
 
これは、まさに、春分のメッセージどおりである、という(驚
 
 
 
・大いなる宇宙による「足切り」と「棲み分け」
上に書いたように、人間関係を整えること、
そのために、人間関係の土台となる、自分の無意識を、大いなる宇宙の導きに素直に従って整えることが、とても大事です。
 
それすなわち、
プライドが拗れ、
素直に降参できない、自分の非などを認めることができないなど、
今までの自分に固執したり、自分から目を背けたりする人は、
この、大事なことができずに、足切りされそうな予感です。
 
私の内側から、何度か「足切り」という言葉が強く出てきていまして、
また、海部舞さんの「星使いの時刻表」でも、
「各自が(大いなる宇宙の導きにより)自分の道に導かれると同時に、道に反する人は落ちていくことになりそうです」という言葉があります。
 
私の「足切り」に近しいニュアンスですね。
私が「足切り」という言葉を遣ってしまっているのは、たぶん、受験生時代に選抜試験のやりすぎだったせいですかね、、、
大学受験の「センター試験の点数で足切り」みたいな。
 
このような話になると、
「生きることの試験、
生きることの資格試験のようなものなのか?」
と思ってしまいますが、
そのような、資格や、何かに受かる落ちるという次元の話ではなく、
はたまた、天国に行くか地獄にいくか、という類の話でもなく、
 
どんな生き方でも、その人の今世の魂にとっての「正解」であり、
資格、合不合格、天国と地獄の差、上と下(上がる、落ちる。上がる方がいい)という話ではない。
 
どんな生き方でも、
大いなる宇宙が、その人の今世の魂にとっての「正解」に導く、
あるいは、強制的に連れていくために、力を注ぐものである。
 
自分の魂の道に沿って、大いなる宇宙の導きに従って進む人には、
大いなる宇宙が、愛ベースで、全力で手厚くサポートし、応援してくれる。
そのような人は、大いなる宇宙がいる、世界の中心の、内なる方向へ進んでいく。
 
逆に、自分の魂の道から逸れ続け、大いなる宇宙の導きに従わない人には、
大いなる宇宙が、これまた愛ベースで、全力で、「逸れる方向」に行くよう、「大いなる宇宙がいる内とは反対の外側」へ、その人を押し出し、
世界の中心から離れた、外側の、混沌とした世界へと、放り出す。
(私注:混沌としている世界だからこそ、「支配」「コントロール」でもって、統制しようとする人が現れやすく、「支配」「恐怖」「不安」の方向にいきやすいのでは、と。)
 
このように、内なる方向へ進むよう導き、サポートされるか、
外側の混沌へと、押し出されるサポートをされるか、
そこで、二極化し、棲み分けがされる。
それは、現実の空間の棲み分けとは関係なく、無意識の世界の上での棲み分けである。
(例:現実世界で、同じ職場など、同じ環境に両者の人がいたとしても、
人のつながりは、はっきりと、内向きと外向きとで分かれ、両者の接点は自ずと最低限か、無になる。
互いの存在が気にならなくなる、無関心になるような状態ですね。)
 
というお話。
 
 
・「棲み分け」をふまえた、人間関係の片づけ
内なる方向へ進むには、自分の人生は自己責任、どんな選択も自分でする、という覚悟が必須です。
そして、人間関係の片づけをする、とくに、大いなる宇宙の導きから逸れる人たちとの縁を切る覚悟も必要です。
私が、乙女座満月~魚座新月のときにやっていた、ここら辺の人たちとの縁切りが、まさにそれです。
 
・コントロール、支配ベースの人
・満たされておらず、他人に満たしてもらおうとする人。特に、承認欲求。
・主語が自分ではない人
・プライドが拗れている人
・自分にできないことがあると認めることができない人、「できない自分」「ダメな自分」が嫌な人
・自分を見ない人
 
(注:上に書いたのは、主に成人以上を想定しています。
未成年、特に、小学生まででは、心が未熟で、ここら辺がまだ出来ていない人も、もちろんいますので、許容します。例えば、親元にいるうちは、自分を見ない、の逆の「自分を見る」ができている人の方が、少ないかもしれません。
何歳にせよ、「そうならないための気持ち、意志」があるかどうか、で判断しましょう。)
 
ここら辺は、まだ、「切りたい」と思いやすいかもしれませんが、
実は、以下の人も、「大いなる宇宙の導きから逸れる人」であり、縁切りが必要な人です。
いわゆる「いい人なんだけど・・・」「正直者が馬鹿を見る」というタイプですね。
 
・我慢している人
・苦労人(特に、支配的な人に尽くしてしまう類の苦労人)
・面倒ごとを引き受けてくれる人
・奉仕、献身の行動が多い人
・自分より他の人を優先する人
 
・・・のどれかであって、かつ、その行動をとっているときに「生命力・元気さを感じない」
(注:「生命力・元気さを感じる」、つまり、例えば、イキイキと献身し、自己犠牲で何かを頑張っている人は、きっとそれが魂に合う自然体です。
「生命力・元気さ」の有無で、魂に合っているのか、合っておらず、無理にやっているのか、がわかります。
縁切りが必要なのは、もちろん「合っておらず、無理にやっている」方です。)
 
自然体で、大いなる宇宙の導きに従って生きていくと、
苦手なこと、厄介ごとからは、どんどん逃げるようになります。
自分が逃げるということは、代わりにそれを引き受けてくれる人との接点ができやすいのですが、
その「引き受けてくれる人」は、↑に当てはまることが多いのです。
そのような人に感謝して、お礼としてこれからも交流する、愛をもって接する、と、関係を続けてしまうと、「縁切り」はできていません。
それどころか、関係を続けるのが自然になり、その自然に合わせるように、さらに「厄介ごとが出てきて、自分は逃げて、その人に引き受けてもらう」出来事が起きやすくなることすらあります。そんなのは、嫌ですよね。
 
なので、
「引き受けてもらう出来事」と接点を持ってしまった、自分の無意識を、「そんな出来事が似合わないもの」にしっかりと変容させつつ、
既に引き受けてもらった人に対しては、
引き受けてもらったことにしっかりと感謝を伝えはするが、
それ以上は接点を持たず、そっと離れる(縁を切る)。
 
やりがちなのが「あなたも無理しない方がいいよ」「一緒に逃げよう」「苦労やめよう」とかの、余計なアドバイスを言うことや、「申し訳ない」という罪悪感を抱くことです。
 
本人は、今世の魂に従って「引き受ける」を選んでいるのですから、どちらも、完全に余計なお世話です。
自分の課題と人の課題は、しっかり分離しましょう。
 
アドバイスの言葉が出そうになったら、その人ではなく、自分自身に「もっと逃げよう」「もっと苦労をやめよう」と、言葉をかけることです。
そして、罪悪感は不要です。
罪悪感が出たら、自分に、もっともっと、厄介ごとと無縁でいいと許可を出しましょう。
 
もちろん、相手に求められたときは、愛をもって、アドバイスや提案をしましょう。
↑の、生命力や元気さがない人でも、「今はこんな状態だけど、そこから抜け出す意志と覚悟はある、でもどうすればいいかわからない」という人なら、アドバイスとかを求めてくるはずですのでね。
 
そういう、自分を変えようという意志や覚悟がある人は、
現状がどうであれ、「自分の魂の道を行くことを、無意識の奥底で欲している」側であり、ゆくゆくは、自分の魂の道を行く側にシフトする人です。
そのような「シフトする意志や覚悟を感じる人」に対しては、
求められたら、積極的に接点をもち、誠意をもって応じることが大切です。
意志や覚悟があるかどうかは、主語が自分になっているかどうかで、見分けられ(嗅ぎ分けられ)ます。
主語が自分になっている人なら、
他の人に依存せず、参考情報として取り入れる程度であり、
自分の意志でもって、その人にベストなやり方で、シフトしていくでしょうから、
愛と信頼でもって、お任せする、という関わり方をします。
 
実は、以前も書きましたが、
春分~5月上旬までは、牡羊座新月以外は外向きが強いですし、
季節の節目のホロスコープは、全て、内向き寄りではない(12~3ハウスに天体が密集するタイプが一つもない)のです。
 
冒頭に書いたように、
無意識が人との関わりを作りますし、
人との関わりが、無意識を作ります。
 
だからこそ、
自身が「自分の魂の道に沿って、大いなる宇宙の導きに従って進む」側の人ならば、
「今までは、魂の道に沿わなかったけれど、
今後は、魂の道を行きたい、という、意志と覚悟がある」
そんな人が、接点やサポートを求めてきたのならば、
愛ベースで、積極的に応じる、
これが、大いなる宇宙からのお願いである、ようです。
 
最近、感じるんですよね。
大いなる宇宙としては、それぞれの人が、今世の魂に沿って自由に選択して、どんな道を生きても、広く受け入れる器があるのだけれど、
できれば、大いなる宇宙の調和のために、
一人でも多くの人に、自分の魂の道に沿い、導きに従ってほしい、と。
だからこそ、そちらの道に沿って進む人には、
「同じ道を進みたい」という人を、可能な範囲でサポートし、
そんな人たちが「自分の魂の道に沿う」ルートに乗るよう、フォローしてほしい、と。
 
(以前、私の引き寄せの師匠であるMACO氏が
「ライトワーカーはまだまだ足りてない、って宇宙さんが言っている」的なことを書いていましたが、きっと、↑のような話なのでしょう。)
 
で、「同じ道を進みたい」となる人って、
魂の道に沿って、大いなる宇宙の導きに従って進む人が、自然体で行動していれば、
その立ち居振る舞いから、強い生命力や魅力のオーラを感じ、
それに惹かれて、感化され、自分もそうなりたいという気持ちになるのだとか。
 
だから、「魂の道に沿って、大いなる宇宙の導きに従って進む」側ならば、
とにかく、どんな環境でも(自分に合わない環境でも)自然体で、のびのびとやっていきましょう、と。
もし、そこで、「この人生命力なさそうだな」と感じる人との接点が何度かできたとしても、不快感や違和感、ストレスがなければ、来るもの拒まず、で話をしましょう、と。
そのうち、「自分もそっちにいきたい」と、サポートを求められる流れが来る可能性もあるのだ、と。
 
 
・「人は変わる」ことをお忘れなく
私が、縁切り神社に行き、縁切り設定をしたのは、実はすごく効果的でして、
逆に、縁切り設定を貫通してくる人というのは、
今これからの自分の人間関係に、何らかのよき影響をもたらすのだ
だから、一見、「あれ?この人って、縁切り対象のような人では?」と感じても、
縁があるなら、無理ない自然体で、それを受け入れてみましょう、
ということなのです。
 
いっとき、「縁切り対象」と認定したとしても、
人は、みな、変わります。
今がこういう変革期なので、誰がいつキャラが180度変わってもおかしくないです。
だからこそ、来るもの、来る縁に対しては、
よっぽど危険なオーラが出て、嫌悪感、不快感を感じる人以外は、
「この人ってこういうキャラなはず」という、過去の認識をいったん脇において、
そのときの、その人と向き合い、
その人の今の状態を、フラットに眺めることが大切です。
 
私の場合なら、
「かつて縁を切った元母親が、「毒親キャラ」から脱却してるかもしれない」
「人的に無理だった元部下に、成長意欲が復活したかもしれない」
ぐらい、過去の認識を捨てる、というのがちょうどいいようです。
(自分で書いていて、なんと極端な例か!と思いましたが、それくらい、フラットに接しなさい、というお話)
 
縁切り設定をしっかりした上で、
その縁切り設定が生き続けていると信頼し、
来る縁を素直に認めましょう、というお話です。
 
もし、かつて縁切り対象だった人と、
再び接点をもっても、不快感や違和感とかがないならば、
その人が変わったか、変わろうとしている可能性大だ、と。
 
 
また、こういう話でもありますね。
自分が変わるように、人も変わっていく。
もしかすると、今までは「魂の道に沿って生きる」側だった人が、そこから逸れる方向に舵を切ることもありえる。
 
どんな人間関係も、
人が変わるのだから、「絶対」「安定」ではない。
その時々に応じて、柔軟に、素直に、
自分の感覚に従って、親和性の高い方向を向き続けて
人間関係を変えることを恐れずに、生きていこう。
 
 
ともかく、人間関係がやたら強調されている感あります。
人間関係が多いということは、なかなか疲れるので、
休み、回復も、しっかりやりたいものですね。
 
 
これ以降は、以上の話をふまえて、私の2024年の宣言の話に行きますが、
長くなったので、夜の記事に続きます。