今日の話は、算命学の命式の話、ではなく、

算命学発祥の高尾宗家のお話です。

 

題して「因縁のお話」。

肉体が細胞から成り立っているのと同じように、

霊魂も、細胞から成り立っています。

そして、この細胞の中身は、その人に欲があればあるほど、ぎっしり詰まっている、ということになります。

霊魂という核に、欲という綿飴がぐるぐる巻きついて、細胞が大きくなってしまうようなイメージだそうです。

 

人は欲の塊なところ、ありますよね。

財欲、人脈欲(家族が欲しい、友達が欲しい、等)

承認欲求、名誉欲求、

何かを残したい、

そういった現実的な欲求や、

精神的に成長したい、自身を表現したい

そういった精神的な欲求も。

 

さらには、「死んだら極楽に行きたい」「孤独死は嫌だ」とかの、死に方や死後のことへの欲まである。

 

人が亡くなるときに、欲が残っていなければ、

核から欲が離れて、軽やかでシンプルな核だけの状態になります。

ところが、欲が残っていれば、残った欲は固まり、核から離れなくなります。

これが「未練」というやつです。

 

そして、この、残った欲の固まりが、同じような固まりを他の人の霊魂と引き合って、因縁となる、のだそうです。

 

 

つまりは、無欲な人の霊魂は、淡々と、軽やかに、そして一人静かに生きるが、

欲が残った人の霊魂は、似た者同士惹かれあい、くっついてしまう、

それはまるで、弱者が群がるかのように・・・。

 

ここでいう「臆病者」と似たニュアンスのような、、↓

image

 

実際、人を欲する(何かをやるときに、人と一緒にやりたいと思うとか)人や、

孤独が嫌で群れたがる人って、

はたからみてると、満たされていない人、つまりは欲深い人なのだな、と感じることが、人間観察をしていると、多いです。

 

(余談ですが、「満たされていない」人は、波動が重たいのですが、

自ら欲を認めて清々しく生きている人は、それよりもかなり波動が軽い気がします。

ジムに「若い人と話したいの♡若いエキスがほしいの♡」というノリの、80歳以上の人で、気軽に色々な人に話しかける人がいますが、清々しいおかげか、私はこの人と話すのは楽しいですね。)

 

 

・・・というわけで、高尾先生がおっしゃるには

人は、亡くなるときは、無欲であり、

極楽に行くかどうかといった死後のことは、全て天に任せるのが理想です、と。

 

そうか、

だから、算命学では、

欲をもって、その欲を、命式を燃やすことでしっかり満たしに行きましょう、

欲は命式を燃やす原動力ですから、満たしに行きましょう、

というのが土台にあるわけですね。

 

命式を燃やして欲を満たすのは、

人としての成長のため、がメインでしょうが、

裏の目的は、欲を解消し、未練なく一生を終えるため、ということです。

 

 

で、因縁の話に戻りますと、

「親から子に継がれる因縁」という、はた迷惑な話もあります・・・。

子供を作る段階で、そのときの夫婦の過去の生き方が蓄積した、霊魂に溜まったものが、生まれてくる子供の魂に入っていくんだとか。

 

特に、他人に対して冷たくする、他人を都合よく利用する、邪険に扱う、とかをしてしまうと、そんな仕打ちを受けた他人は、その人を恨むわけでして。

で、そんな恨みの気が、夫婦の霊魂の中に引きつけられ、

生まれてくる子供も、その気を受けてしまう・・・。

 

そして、その恨みの気を受けた子供は、

その気が自身の霊魂の一部となり、因縁になってしまっており、

同じような、恨みの気を親から継いだ子と縁ができて、

知らず知らずのうちに、親がもつ恨まれた気を抱えて生きてしまう・・・。

 

で、こうなると、

たとえ、親である夫婦が、その後改心して、恨みの気を晴らしたとしても、

子供の方には恨みの気が残っているわけですから、

そこでギクシャクして、晩年、親子関係がうまくいかなくなるのだとか。

 

 

私「ふざけんなオイ

 

私の元両親が過去に何をしたのかわかりませんが、

特に介護のときに、あらわになった本性からして、

そりゃ、恨みの気を受けており、私にもいくらか行っていることは、

今までの自分の人生を振り返ったら、明らかでした。

 

実際、中学受験の時から縁ある友人もまた、

最近、親から距離を置くことを決意し、

結婚して実家の近くに住んでいたのを、引っ越ししたのだとか、、

(ああ、似たような因縁を持つ子との縁というやつか、、)

彼女もまた、恨みの気を晴らすために、懸命に頑張っているのでしょう。

心から応援しているところです・・・。

 

 

本当に、子供からすると、

人生制限プレイ、親の因縁縛りとかいうハードモードで、

割に合わなすぎる、理不尽な話であります。(怒)

 

ですが、

そんな親の元に生まれることを選んだのが

自分の魂である、という話であり、

親を恨まず・・・というか、親の存在から自分を切り離して無感情になり、

淡々と、自力で、恨みの気を浄化していきなさい、というお話。

 

 では、自力で恨みの気を浄化するには、

というと、

これはとってもシンプルなお話です。

 

嫌いなこと、

自分に合わないことをやる。

10年も続ければ、

気が浄化され、

心穏やか、人生スムーズ。

 

私(今の職場で仕事をすること、やないか)

 

恨みの気が溜まっていると、

人生、どこかスムーズにいかないし、

心も穏やかでない。

そんなときは、

嫌いなこと、合わないことを、長期間やってみよう、というお話。

 

 

私の場合、

最近は、合わないことをやらされてはいるけれど

日々、幸運であり、

長い目で見たら、順調である

ような気はしていますが。

それでも、まだ完全な順調ではない、ということで、

残った気を浄化していっているのが、今だ、というのかもしれませんね。

 

 

嫌いなこと、合わないことをやるというなら、

合わなかった大学院生活、

今の部署に、入社時に配属され、

今の仕事が、今やってるよりも苦手でできが悪く苦労した、

そして、庶務担当とかの、合わない雑用多数、

さらには、親の介護とかいう、人生で本気で嫌いだったやつ、

その後自愛で、人生を、合うことだけで固めようにも、

外から求められてやらざるを得なかった

原課での仕事、

去年やった引っ越し担当。

 

もちろん、それをやってる間、他に、合うこともたくさんやってました。

そうしないともたない、、

 

なので、以上の期間を足すと、10年はいってるでしょうが、

宗家のおっしゃる、合わないことを10年、というのにはまだ少し足りていないのかもしれません。

でも、じきに終わる気がしますね。

今の仕事は、合わずに熱が湧きにくく、淡々とやっていますが、

脳をよく動かして燃やすというところだけみれば、許容して耐えうるレベル。

職場の波動とは合わないので、そこは可能な限り殻にこもる方向で。

 

今の仕事をやって、何か日々静かに満ちた感覚があったのですが、

これは、脳が燃えた、

求めに応えることで業が燃えた

ということの他に、

今回の話の気が浄化されたからというのもあるんでしょうね。

 

 

気の浄化が十分終わった段階で、

残りの業を燃やすにふさわしく、

私にぴったり合ったライフワークの縁が来るのかもしれません。

 

なので、引き続き、

淡々と求められる仕事をこなして気を浄化し、

できるだけ自分の内側に集中し、日々波動を高くし続けるだけですね。

 

気の浄化という目的があれば

その目的達成のために理性が働いて

淡々とできそうだし、

余計なことをスルーして、自分の内側に集中しやすくなります。

 

そして、

私が、今の職場環境との接点があることに限界を感じ、実際に辞めるときが、

気が浄化されたときだ、ということなのかもしれません。