以前、日干と生まれた季節(つまり、月支の季節)で見る、「旺相休囚死」の生き方の話をしました。↓
それぞれの生き方については、修正前のこちらにも書いています。↓
この、「旺相休囚死」というのは、十二大従星のエネルギーの強弱の世界に応じた生き方の考え方と同じようなものです。
さて、そんな生き方のうち「囚」というのは、天印星(赤ちゃん)、天報星(胎児)にあたる生き方です。
周りの助けを必要としつつ、自身は元気に素直に生きる。
周りの助けが必要だが、それゆえ周りに影響を及ぼす生き方、狡猾ではなく素直な生き方です。
はい、ここで、「周りに影響を及ぼす」という言葉が出てきましたね。
「影響を及ぼす」といえば、他人、多くの人に対する影響力を持ちたい、という欲がある人は、それなりにいることでしょう。
自身の影響力を発揮したい、そんな仕事をしたい!とか。
少なくとも「誰かの力になりたい」という欲がある人は、「影響力を発揮したい」に近しいでしょう。
影響力を発揮する、というと、多くの人が思い浮かべるのは、
自身の得意なこと、好きなこと、楽にできることをやって、人に見てもらったり、人を助けたりすること
ではないでしょうか。
そして、影響力を発揮する、というと、「旺相休囚死」の中ですと、「旺」、特に、天将星ではないか、というイメージを持っている人も多いことでしょう。
ところが、「旺相休囚死」の生き方では、
旺は、「現実社会でのエース、主役」ではあるものの、そのニュアンスは、「世のため人のための労働力」であって、「影響力」という言葉は、実は出てこないのです。
逆に、上に書いたように、「影響を与える」という言葉が出てくるのは、「囚」の、赤ちゃんや胎児の世界です。
・・・ということで、
上に書いた、「影響力」とは、自分の得意なこと云々、という認識とは、
実は、
「影響力」の話ではなく、
自分が「主役」「エース」「ヒーロー」になりたい、
という話にすぎないのです。
真の「影響力」というのは
赤子や胎児のような
「自身が無力であるがゆえに、人を動かす」という世界なのです。
男性性と女性性を当てはめると、わかりやすいでしょうか。
自分が主役、エース、ヒーローだ!
自分の力を発揮しよう!発揮して人を助けよう!
というのは、まさに男性的。
最近こそ、女性のヒロインがヒーローっぽい活躍をするお話も増えましたが、
昭和~平成初期は男性キャラばかりでしたよ。
だって、男性性だもの。
逆に、「影響力」という、無力の世界は、
受け身で受動的であり、自らは何もしないで待っている、という、女性性そのものです。
昔よくあった、さらわれて助けを待つだけのお姫様とか、
主人公の旅立ち、挑戦を見守ったり、帰りを待ったりするヒロインとか。
自分は無力で動けないから
人を動かしてやってもらう、
これが「影響力」なのです。
「マリオ」シリーズがいい例でして、
クッパにさらわれて、マリオの助けを待つだけのピーチ姫が、それです。
最近では、ネット上で色々な考察を見ることができますが、
「実は、真の黒幕はピーチ姫であり、
わざとクッパにさらわれることで、
クッパとマリオを弄んでいるのでは?」
なーんて考察があって、
これこそが、影響力、囚の生き方なのです。
お気づきでしょうか?
影響力というのは、
得意なこと、好きな・やりたいことで発揮されるのではなく
苦手なこと、やりたくないことで発揮されるのだということに・・・。
だから、
「影響力ある人になりたい」ならば、
好きなこと、やりたいことで自己PRするのではなく、
「私はこれができません、助けてください」と自己PRすることです。
そして、助けを求める自分を否定せず認めることが重要ですね。
でないと、精神的につらい。
影響力があるという点で、強い者とは、
自分の弱さを認め、そんな自分を愛し、その上で助けを求めることができる人なのかもしれません。
国の社会制度は、経済的に苦しい人や、生活力が苦しい(齢で衰えるとかの)弱者救済の制度が多いです。
逆に、経済的に自立して、自分の収入で生活できる人は、放っておかれます。
それどころか、税金や保険料徴収を増やされ、「弱者を支えなさい」と締め付けられてしまいますよね。
これも、弱者の影響力です。
そこらへんは、多数の、高齢者という「弱者」ではなく、
「囚」にふさわしい、子育て支援を強化する方が自然であり、
今の政治は民主主義ゆえの不自然なものになっている、ともいえますが・・・。
話がそれましたが、
真に影響力を欲しているのでしたら、
多くの人が持っているであろう
「自分は素晴らしい人間」「自分は優秀な、才能ある人間」という、変なプライドは捨てて、
私、何もできないの、助けてね♡
と、ハラの底からの眩しい笑顔で、日々楽しく生きることです。
それはまるで、純粋な赤子のように。
(自分で書いてて笑った)
実は、この話に気づいたきっかけは、部下の言動と、それに対する私のコメントが、私自身にブーメランしたときです。
部下は、仕事のセルフマネジメントが全くダメで、
自分の脳力のキャパがとても低いのか、毎日研修を受ける生活になったとたん、その外で回っている現場仕事環境に意識を向けることができず、沈没しているような状況です。
部下が自分でできないのを周りが見ているから、管理職や指導者が、部下の手持ちの案件とかの、仕事状況を見て、あれやこれや、自分だったらこんな計画で進めるけど、とか、考えてやきもきし、
そんな考えることに時間を使ってしまうのはもちろん、
現実的に、〆切を守れなそうでまずそうなのは、先回りして、根回しもやっていました、、
さすがに、私は、すぐ疲れまして、
いやいや、最低限だけやって、後は私自身の仕事に集中だ、
私は、巻き込まれるのは本当に最低限にしないとね、こっちだって時間も体力気力も限られてるんだし、
と、少し距離を置いており、緊急と感じたとき以外は動かないようにしています。
でも、緊急を察知するために、部下を観察するという手間仕事が増えている・・・おおつらい。
これが、囚の無力の影響力というやつか・・・
と、感じていました。
そして、部下には、
こういう管理は、本来は、自分でやるものだ。
あなたが自分でできないことで、管理職に手間をかけさせ、他の人に余計な仕事をさせてしまっているのだ。
それでいいのか?
と、伝えました。
さすがに、仕事を自立してやることが求められるのだから、
囚のキャラでは、いけませんよね、と。
特に、これから成長することが大いに求められる、20代なのですから・・・。
囚は、「遠い将来のエース」です。
今は無力ゆえに影響力を発揮しているが、
ゆくゆくはエースになる器なのですから、
「人に手間をかけさせた」と気づいたら、
「相」に移行し、自力でやれるようになるべく成長していく、
それが、人というものでしょう。
・・・そう考えると、管理職の仕事というのは、
囚の「無力」のような、仕事ができない、管理ができない人の世話だ、ということになりますね、、
皆が自分で、自分の仕事の進捗管理ができるならば、
管理職の仕事のうち、部署メンバー各自の仕事の管理の指示を出す仕事は、要らなくなるのだから。
仕事ができないのは「囚」であり、理想は、囚にふさわしく、ゆくゆくは成長し自己管理できるようになることです。
ここまでで終わると美談かもしれませんが、
実はこの後に、私自身へのブーメランというオチがあります。
部下に↑の言葉をかけた一週間くらい後でしょうか。
1月分の仕事が早く終わり、2月の処理計画、もとい、ノルマ消化のための案件クエスト積み込み計画を立てていた私は、
2月に配ってほしい案件の数を計算し、管理職に連絡しました。
すると・・・
「今回はそれで受けますが、
今後、欲しい件数を連絡するのは、月末の希望調査の連絡までお待ちください。
データ管理の都合上です。」
と返ってきました。
おわかりいただけただろうか・・・
自分のペースで勝手に動くことで、
管理職に余計な手間をかけさせてしまったのだと・・・
現実社会で生きるということは、
可能な限り、相手のペースを慮り、合わせていくことである。
やはり、私は、「相手のペースを慮る」力がなく、
そこは、弱点であり、「影響力を発揮」し、周りに自分に合わせてもらうという、余計な仕事や気遣いを発生させてしまっている、、
自分の弱点に降参してもいいが、
それに降参して、合わせてくれる人に甘えて感謝するのは、
プライベートでやる分には、自然体でとてもいいかもしれない。
(例えば、もし、仮にパートナーシップをやるんだったら、自然体で、甘えたほうがずっといい気がする)
だが、現実社会の仕事という世界では、
相手が自分のペースを教えてくれるところまで、無力で影響力を与えてしまう、
その程度にとどめておき、
(ここは苦手なので、降参します、、)
相手のペースを知ったのなら、それに合わせて現実社会で生きるよう、精進しましょう・・・
ここからは完全に余談ですが、
私のように自然体で生きていると、
できないこと、苦手なことは、当然出てきます。
きっと、自分が気づいていない以上に、想像以上に、たくさん出てきます。
今までのクセで、出てきたときに、自己否定しがちですが(↑に書いた件では、しました)、
いや、つい自己否定してしまうのも含めて、自然体ですかね。
でも、そんな自分だからこそ、まるっと受け入れて降参して、
自分を愛おしく感じるのが、一番です。
自然体ですから。
そして、無力、苦手なところでは、「囚」の無力さのように、周りに頼るのが自然と降参し、
そんな、甘える自分を、否定せず、
心から、感謝を伝え続ける、
ただ、それだけです。
自分の想像が及ぶ以上にたくさん世話になっていると意識し
感謝し続けるだけです。(ってか、それしかできることがない、、)
自然体とはいえ、
周りの人たち、いや、周りの自然と調和した方が、心地よさそうと感じたら、
「自然体で出来る範囲で」調和していくよう、精進しましょう・・・