私にとっての、人生で最もきつかった2014年以来の、甲年が来ました。

 

そんな甲年を意識してか、

当時に浄化しきれなかった、ネガティブ感情や

その感情を生んだ記憶が、

甲年直前の、冥王星山羊座→水瓶座の時期に、たくさん浮上してきた・・・という気がします。

「気がします」というのは、非言語エネルギー体であり、言葉ではないのでよくわからないのですが、体はそんなふうに感じた、という意味です。

 

冥王星変革パワーの影響もありますかね。

ちょうど、金星に重なる時期ですし。

 

なぜ金星かというと、恋愛にも関係するからです。

2014年当時、

恋愛が全くできない、

恋愛どころか人間関係すら作れなかった自分に気づき、愕然としたものです。

 

余談ですが、今、中年の危機でガンガン挫折しても、この当時よりは全然楽なので、

今から思うと、ここで折れたのはよかったですが。

 

当時は本当に五里霧中、暗中模索でした。

自分が今どんな生き方をしてるのか全く分からず、

ネットで色々調べていたら、

支配型毒親育ち

回避型愛着スタイル

で、アスペルガー傾向だとわかりました。

 

今ではそのことをだいぶ忘れて来ましたが、

今指導している部下が、

なんだかアスペルガーっぽい言動だな、と思ったら

記憶がフラッシュバックしてしまったのです。

 

 

で、今の私で、アスペルガー診断をやったら、

多分以前よりは少しましになったでしょうが、

やっぱりアスペルガー傾向でした。

病院行ったら診断される可能性高いですね。

 

相変わらず、好みや興味関心は偏りまくりだし

言葉は素直に受け止めてしまうし

毒舌だし

人付き合いが苦手で一人の時間が至高だし。

 

当時はアスペルガーっぽい自分が嫌だったのですが、

今の私自身、

アスペルガー傾向を改善したいかというと、全くそんな気は起こりません。

それが、ありのままの自分ですから。

これだけ偏ってるからこそ

感性や言葉選びが独特だからこそ

自分のブログを自分で読むのがすごく楽しいし

日々のセルフトークが至福ですから。

 

自己対話を続けたから

それが実感できました。

 

アスペルガーでもないと、

こんなノリのブログ、毎日書けんよ笑

 

アスペルガー傾向なだけあって

最初は、自己観察が苦手だったのですが

最初に自己観察をやった、アテインヨガというレッスンで、

体を観察し続け、

だんだん感じ取るようになったら、

その後出会った自己対話を、すんなり実践できたのです。

 

今から振り返ると

心と体を観察する日々の習慣の積み重ねと、

NLPで、相手の立場を想像するワークや、非言語情報を観察する練習をやったことで、

それらが合わさって、観察力が上がりました。

はっきりと言葉にならない雰囲気を

ある程度察することもできるようになりました

実際に自分の認識があってるのかは、知りませんが。

 

それまでは、非言語情報に全く気づかなかったし

自分を観察することもできなかった

(ここらへん、アスペルガーあるある)

だから、

少しできるようになった自分、

ほんとよく頑張ったね

という気持ちでいっぱいです。

 

そして、

下手でもいいから

うまくできなくてもいいから

自己観察を毎日続ければ

体や心の動きの観察日記を書き続ければ

観察力はつく。

自分を観察できれば

他人もある程度観察しやすくなる。

と、気づきました。

他人も、価値観とかは違えど、似たような脳の仕組みを持っている、人間ですから。

 

 

そう、

自愛の自己対話は、

アスペルガー傾向のバランスを

少し、人間観察(自分も他人も)に傾けることができるという、

素晴らしいトレーニング習慣なのですね!

 

 

もちろん、

変に直そうと頑張らず

自然体のままでいいんだ

と自己肯定できる

そんな恩恵も大きいです。

 

アスペルガーっぽい自分の個性を受け入れ、

そんな個性に合う

環境で生きればいい。

 

苦手なことをやめて他の人とかに任せる、というのは

アスペルガーに限らず

言動が偏る人にこそ、おすすめです。

 

 

私の場合、

そうか、アスペルガーっぽいし、回避型だから

友達やライフパートナーという人間関係をやれないのか、と、当時思ってしまったので、

今でもそんな思い込みがあるようで、、

 

でも、そろそろ、

自愛に合わせて、思い込み修正ですね。

 

もしライフパートナーシップをやるなら

アスペルガーっぽい自分のままでやれる

ライフパートナーシップをやる、

と。

 

よくわからないのですが、上に書いた変革期つまり首と肩、背骨がしばらく痛い時期があって(ここで非言語エネルギー体を浄化していたのかと、、)、それを抜けてきたら、「一人で生きること」へのこだわりというか、それに関する重たいものが、消えていった感がありました。

一人で生きようが、そうでなかろうが、別に何でもいいか、という感覚です。今は。

自分が自然体でいることが最も大事で、それができるなら、何人で生きようが、それはたいした違いではないのかな、と。

なんだかすごい変化だな・・・と感じましたね。

これからどうなることやら。