私は、今、ホロスコープでいう「中年の危機」の真っ最中です。

そして、冥王星による、水木金土冥コンジャンクション大変革期の真っ最中でもあります。

 

そんな時期に、

2022年は、「ずっとここにいたい、これが天職だ」と思った部署から抜けさせられ、

次の1年間、「これが終わったら元・天職部署に戻る、そこが私の一番輝ける場所」という目標を掲げて、その部署に持ち帰るネタを探して仕事に励み、

そして、2023年9月中旬。その目標を(希望調査に書いたのに)なかったことにされる、、

 

という挫折を味わったのですが。

本当に、人事異動命令見たときは、心から「ボキッ」って折れる音聞こえましたからね、、

 

そんな、3か月たった今、ふと、気づいたことがあります。

 

この中年の危機のような、

変化がある、運気に波がある(落ちるときもある)、

そんな「ターニングポイント」がある運気のときに、

実際に落ちる、意に反することがある、など、挫折感を味わうことは、

それだけ見ていると、そりゃあ辛いです。(私ももちろん辛かったです)

 

しかし、気づきました。

表の挫折よりも、裏にもっと大事なものが隠れている、ということに・・・!

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皆さんは、何が隠れていると思いますか。

 

以前書いた(気がする。もはや、いつ書いたか覚えてない、書いてないかも!?)のは、

「挫折の裏には、”変化しなさい、今までの自分を捨てなさい”というメッセージがある」

「挫折を呼ぶ出来事は破壊。破壊の後に再生があるから、しっかり、破壊なり、縮小なりをやろう」

という話なのですが、

隠れているのは、それだけではありません。

 

これはこれで重要なメッセージなのですが、

実は、もっと大事な、そして、もっと、「多くの人にとってうれしい」メッセージも隠れているのです。

 


それは・・・

 

 

 

それまでの、行動するべきときに

しっかりと行動し、

日々、精一杯やってきたからこそ、

そして、精一杯やって、結果がある程度ついて、「上がって」きたからこそ

「挫折」イベントがしっかりやってきた。

 

これまでの自分の懸命さがあったからこそ

しっかり「挫折」できた。

そんな、これまでの自分の頑張りに、大拍手!!!

たくさん労おう!!!感謝しよう!!!

 

ということなのです。

 

 

私の「中年の危機」の場合は、

その本質は、「火星の年齢域に、チャレンジをして打ち出した自分」を「へし折られること」です。

(へし折られることで、次の年齢域の「木星」の寛容さにシフトしていくのが狙い)

 

チャレンジをして打ち出した自分があるからこそ

それが折られるのです。

 

逆にいえば、

そもそも、火星の年齢域に、チャレンジをしていない、

1.1-1.2倍の負荷をかけて、自分を鍛えていないし、

自分を打ち出さず、周りに合わせておとなしくしているだけ、

そんな生き方をしていたのであれば、

そもそも「挫折」はありません。

(それはそれで、別の「行き詰り」イベントが用意される気もしますが・・・)

 

 

他の「ターニングポイント」がある運気の例ですと

大運の天中殺や変剋律、

年運の天中殺あたりがそれでしょうか。

(他に、車騎星、龍高星、調舒星といった、動の星の大運・年運や、

月干支の天極星、天馳星の「20-40代の動乱運」も入るかな?)

 

運気の荒波にしっかり乗って

精一杯やって「上がった」からこそ

「落ちる」も、出てくるのです。

 

 

人は、ただでさえ、「落ちる」運気や、挫折を恐れがちです。

だからこそ、算命学の処世術でも、「禍をできるだけ少なくする方法」という話が、大変盛り上がるのでしょう。

 

運気はよく、天候にたとえられます。

運気の荒波は、例えるなら、台風や大雨のようなもの。

禍を味わいたくないなら、一番安全なのは、出かけずに家に引きこもって何もしないことです。

ですが、それでは身も蓋もないし、

なぜ、人として生きることを選んでるんだ!?という話。

それに、年運ならともかく(2年でも長いかもだが、、)、大運の10年、20年もの間、何もしないで耐えるというのは、非現実的です。それはもはや「死んだように生きている」屍のような生き方では、、

 

 

「落ちる」や、ターニングポイントを恐れずに、

日々、精一杯やっていく。

これを、続けてきた、というだけで

大変素晴らしいことなのです。

 

と、いうことで、

そんな、持続的に精一杯やることができた、過去の自分を大いに労い、ほめ、

そして、ターニングポイントには素直に降参して、何かを変える。

 

 

そして、過去の自分に感謝した分、

その「持続的に精一杯やる」リソースを、引き続き使って、

何かを変えた「新しい自分」として、

また、新たに何かを持続的に精一杯やる。

これが、生きる、ということであり、

「人生経験を積む」ということではないかと思います。

 

 

なので、(私自身もそうですが)

今まで頑張ってきた自分を

もっと褒めていいし

労っていい!

のです。

 

挫折するなら、最初から頑張らなくていい、のではないのですよ。

逆です。

「挫折するなら頑張らない」と、恐れから、なりがちな人もいるだろうからこそ

頑張った自分に大拍手!!なのです。

 

 

 

私が思うに、

素直に、運気の流れや、占星術でいう天体の各年齢域に、

それにふさわしいことをしっかりやり、

酸いも甘いも、笑いも涙も、両方味わうからこそ、

うまくいくときもあり、時には折れて試行錯誤もするからこそ、

自分の人生に彩り、味わいが出るし、

人としても成長でき、実年齢にふさわしい(いや、それ以上!?)の経験と器のある人になれるし、

それらを全部ひっくるめて、自分の人生を生きることがこれほど幸せで満たされるものか、とすら感じられます。

 

そして、こうやって色々なイベントがあり、

日々変わりゆく自分を楽しめるからこそ、

自分の人生、自分という人の世界を、好きになれる。

この人生(運命学でいえば、この命式、このネイタルチャート)を選んできて本当によかったという深い満足感を味わえる。

 

そして、こんなに人生っておもしろいものか!濃いものか!と感じ、

ますますこれからが楽しみになる・・・

 

私の場合、今回の「中年の危機」の「挫折」で心が折れ、

そこから新たな生き方を見出したことで、

もう、自分の人生というコンテンツ(それは戦略シミュレーション・人生RPGゲームのよう)を味わうだけで、大満足でして、

他人の人生にますます興味がなくなりました、、

「推し」の応援もする暇がなくなりました・・・

たまに、「推し」に限らず、人間観察しにちょこっと近況を見る程度ですね。

(思うに、自分の人生というコンテンツを、酸いも甘いも十分に味わい切れていないから、他人の人生を見て投影し、人生を味わった気になる、それが「推し活動」・・・!?

あるいは、自分の人生を味わってもなお、他人の人生コンテンツも見たくなる?)

 

 

上に書いた話とは陰陽のニュアンスが変わりますが

うまくいく・プラスの感情が出る「陽」と、

行き詰る(挫折)・マイナスの感情が出る「陰」と、

両方揃って一つになったのが「人生」です。

 

陽の中に陰があるように

挫折という「陰」は、「陽」の、うまくいくまで精一杯やったことがあるからこそ生まれるのです。

今までは、逆の、挫折という「陰」の中に、次の「陽」につながるものがある、

だから、その「陽」につながるように、何かを変えよう、

という類の話をしたのですが、もう一つ、今回書いた見方がありますね、というお話でした。