タイトルどおり。


風の時代の「風」エレメントは、知性・情報に関連します。


地の時代は、組織や社会制度、社会基盤に頼れば安心、だった感がありましたが

では、風の時代の拠り所は何か…?

と考えたときに

真っ先に出てきたのが


知性

智の徳

自ら考えること、

自ら学ぶこと

です。


安易に、

誰かの発信に頼ったり

鵜呑みにしたりすることなく

ただ勉強して終わりではなく

いかに、咀嚼して

自分のものにするか

です。

神、伝統的な宗教や学問などの

精神・思想世界に触れるのもいいけど

触れて鵜呑みにしているだけだと

何か、別のものに憑かれただけの人形になってしまう。

それは、他人任せで思考放棄した人の如し。


これが最初に出てきた話。


他、

知性、考える、学ぶ、について

いろんなことが浮かんできたので

雑記として記録しておきます。



・風の時代のエクスタシーは

シンクロニシティ

セレンディピティ

である


※セレンディピティ:一見異なるジャンルなどの、別要素が、脳内でパズルのピースのようにハマって一つのものになった感覚。

ある分野に異なる分野の知見を活かすアイデアが出るとか。


これらを味わうには

自身の知のジャンルの広さがものをいう


だから、人生に無駄なことなど何一つない

少しでも興味やモチベーションがあることはどんどんやろう


「今」の短絡的な思考で

いらないと斬り捨てるなかれ



・何かをすることがすごいのではなく

何かをした結果からいい学びを得て、糧にすることが一番すごい


何事も経験であり学び。

何事も歓迎しよう!

そこから何を学ぶかだ!!


もちろん、最後に笑うことに活かせる学びになるのだ!!



・何かを「いい経験になるよ」と言うのは

その何かを任せられ、引き受けた側が言うセリフであって


任せる(押し付ける?)方が言ってはいけない

それは、ただのありがた迷惑であり

知に頼った暴力発言なのだ



・「これをやるといい経験になるよ」と言われて何かを任せられたら

言われた以上のことを学び

それを言われた相手に伝えて

想像以上だと言われるくらい、やれ



・大事なのは

自分で考えて選択するかであり

主体的か受け身かではない

受け身であったとしても

それを「自分で考えて選択」するなら良し。



・知性の格差とは

発信を生み出せるものほど上に行き

発信を受け取るしかしない人ほど下に行くことである

ただし、どちらが良い、悪いではない



・発信をする側で

自身の信者を増やし、儲けたい・上にいたいなら、

答えを求める人に答えを与えよ


自身の信者を増やすのではなく

誰かを本気で育てたいなら

答えを与えるなかれ

答えに至る考え方を与えよ



・知性格差とは

自分で考え、選択できる人だけが生き残る

サバイバル・ゲームである

自分で考えるなら

自分で考える人たちとだけ付き合え

でないと、考えられない人たちの波に揉まれてしまう


考えられない人や

考えられない人を生み出す発信をしている人からは

積極的に離れよう



・他人に関心がなくなるのは

悪いことではない

それだけ、他人に自分を投影せず

自ら考え行動しているということだ



・これからの教育、指導は

知識の詰め込みではなく

自走する力の育成がゴールだ

単なるデータを教えるのではなく

考え方、データの使い方を教えるのだ



・知識を詰め込むのは

咀嚼して自らの血肉とし

自ら使うためである

使えない情報は知識とは言わないし

使わない情報を知識とも言わない


ただし、今すぐ無理に使おうとしなくていひょんなときに使えるかもしれないのだから。

それがセレンディピティであり

幸せである